表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
哭き裂く天使  作者: Norn
第一章:光はまだ、哭かない
7/12

第7話:踏み出す者、立ち止まる者

この小説に登場するキャラクターの特徴をまとめたwikiを作りました。物語が進むにつれキャラクターの情報も増えていきます。

https://seesaawiki.jp/retsuga104/

「ねえ、澄羽。ちょっといい?」


振り返ると、美空が立っていた。

朝よりも、ずっと疲れた顔をしている。


「……どうしたの、美空」

「ううん、ちょっと話したくて。外、出よ?」


二人は下駄箱を抜け、夕方の薄暗い廊下を歩いて校門近くまで出た。

そこには誰もいなかった。風に揺れる木々の音だけが静かに響く。


美空はしばらく口を開けず、何度も言葉を選ぶように視線を揺らしていた。


「……今日の話、聞いてて思ったんだ」

「…あの天使、なんなんだろうって?」


美空は小さくうなずいた。


「うん。A.E.O.I.の人、天使のことだけは機密って言ってたでしょ。それって……逆に怪しいよね。守ってくれてる存在なら、もっと堂々と話せると思わない?」


澄羽の背筋が凍る。

胸の奥で、さっきからずっとくすぶっていた吐き気が再びせり上がる。


「あの日、天使を見て……正直に言うと、怖かった」

「……」


「白くて綺麗で、助けてくれる存在って、普通なら思うのかもしれない。でも、あれは……なんか違う。優しくない。救うためじゃなくて、壊すために動いてる感じがしたの」


その言葉は、澄羽の心の奥深くに鋭く突き刺さった。


自分自身の身体で味わった感覚。

敵を砕く感触。

飛び――裂き――喰らい尽くす衝動。


あれは、『救うための力』ではなかった。

美空は続けた。


「……澄羽は、どう思う?」


その問いは不安を共有したい友人としてのものだった。

それでも澄羽は答えられなかった。


あの日、自分が天使だなんて言えない。

言えば、美空はどうなる?

自分を見る目は?

美空の両親のことは?


混乱が一気に渦を巻く。


「……わたしは、まだ何もわからないよ」

そう返すので精一杯だった。


美空は寂しそうに微笑み、でも無理にそれ以上は踏み込まなかった。

「……そっか。ごめんね、変なこと聞いて。今日はもう帰ろ?」


美空の背中が夕日の陰に溶けていく。

澄羽はその後ろ姿を追いかける気になれず、ただ立ち尽くすしかなかった。


胸の奥で、ひどく冷たいものが沈んでいく。


――壊したのは、きっとわたしだ。


誰にも聞こえない声が、 夕暮れの風にかき消されていった。


――――――――――――――――――――――


夕暮れ前の住宅街。

崩れたブロック塀の前で、作業服の人間が慌ただしく行き来している。


澄羽と美空が家の前に着いたとき、玄関先に一人の少女が立っていた。

年の頃は中学生くらいだろう。


「……燈莉」

美空の声に、少女が振り返る。

美空の妹、花守燈莉は強く唇を結んだまま、駆け寄ってきた。


「無事でよかった……ほんとに……」

そう言って抱きつくが、すぐに離れる。

泣きそうな顔をしているのに、涙は落ちてこない。

「家……また壊れるかもって聞いて。じっとしてられなかった」


燈莉の視線が、ゆっくりと澄羽へ向けられる。

「……この人?」

「うん。クラスメイトの白鷺澄羽」


燈莉は一瞬だけ澄羽を見つめ、深く頭を下げた。

「ありがとうございます」


唐突な言葉に、澄羽は戸惑う。

「……え?」

「お姉ちゃんが無事だったから。理由はわからないけど……それだけで」


燈莉の声は震えていなかった。

それが、澄羽には逆に重く感じられた。


「澄羽、今日は一緒に帰ってくれてありがとうね。燈莉、私はご飯の支度してくるから先に入るね。…澄羽、また明日ね」

美空は澄羽と目を合わせ微笑むと、家に入っていった。


美空が家に戻り、二人きりになった一瞬。

燈莉は、崩れた道路の先を見つめながら口を開いた。

「白鷺さん、A.E.O.I.って知ってますか?」


澄羽の肩が、わずかに強張る。

「……ニュースで、少し」

「私、入りたいんです」

即答だった。


「……どうして?」

燈莉は少し考え、拳を握った。

「守りたい人がいるから」

その言葉に、澄羽の胸が微かに軋む。


「守れなかったら、きっと一生後悔する。だったら……怖くても、行かなきゃって思ったんです」

澄羽は、無意識に自分の足元を見ていた。

瓦礫に染みついた黒い痕跡が、脳裏をよぎる。


「……怖くないの?」

燈莉は首を横に振る。


「怖いです。すごく。でも……何もしないほうが、もっと怖い」

その言葉は、澄羽の心に静かに突き刺さった。


(ああ……)


この子は、まだ壊れていない。

それでいて、踏み出そうとしている。


「……すごいね」

澄羽の声は、どこか遠かった。

「すごくなんてないです。ただ……お姉ちゃんを、守りたいだけです」


沈黙が落ちる。

「白鷺さんは?」

不意に、燈莉が問いかける。



「守りたい人、いますか?」



澄羽は答えなかった。

答えられなかった。


その沈黙を、燈莉は責めなかった。

「……聞きすぎました。すみません」


「ううん……」

澄羽はかすかに首を振る。


「……羨ましいって、思っただけ」

燈莉は、少しだけ驚いた顔をした。


「そうですか…。…私、行きますから」

それだけで十分だった。


澄羽は何も聞かなかったし、燈莉もそれ以上語らなかった。

その沈黙の中に、理由も覚悟も、全部詰まっているとわかっていたからだ。


「……気をつけてね」


それは別れの言葉ではなかった。

けれど、戻ってくる保証のない言葉でもあった。



――――――――――――――――――――――


次の日の朝、澄羽の部屋には、さらに残骸が増えていた。

傷ついた内部の組織が、眠っている間にまた排出されたのだろう。


(これは……?)

澄羽は、床に転がるしぼんだ残骸を拾い上げた。

原型はほとんど留めていない。それでも、それが眼球だったものだと、誰の目にも明らかだった。


けれど、澄羽はこの光景にも、少しずつ慣れ始めていた。

増えた残骸をまとめて部屋の隅へ押しやり、上から布をかける。


それから、陽の当たる場所へ布団を引きずった。

乾燥機など使えない。太陽の光で、強引に乾かすしかなかった。

それでも、出血量は確実に減ってきている。


血に塗れた身体をタオルで拭い、制服に着替える。

澄羽は部屋を出ると、物音を立てないように階段を降りた。


夜美は、まだ起きていないらしい。

(……珍しいな)


澄羽はそっと玄関の扉を開け、外へ出た。

朝の日差しが、やけに眩しかった。


(そういえば……A.E.O.I.には、もう天使がこの街にいるって、知られてるんじゃ……)


その考えに、足が止まる。

数秒の躊躇のあと、澄羽は再び歩き出した。


死ぬこともできない世界で、

理由もなく、生きていくために。






朝の通学路は、まだどこか落ち着かない空気を残していた。

壊れたフェンス、仮設のバリケード、修復途中の歩道。

それらを視界の端に追いやりながら、澄羽は歩いていた。


「――あれ?」


背後から、聞き慣れないが落ち着いた声がした。


振り返ると、同じ制服の男子が立っている。

どこか、同年代にしては大人びた雰囲気を纏っていた。


「お前、確か……白鷺、だっけ」

「……え?」

「最近、学校来てるんだな。あんまり見なかったから」


突然の呼びかけに、澄羽は一瞬言葉を失った。

記憶を探るように相手の顔を見る。

「君は……えっと……」

「桜庭玲司だ」


淡々と名乗る声。

責めるでもなく、距離を詰めるでもない。

「俺も少し学校を休んでた。あまり話したこともないし、覚えてなくても無理はない」

「……桜庭、くん。休んでたって……体調、悪かったの?」


澄羽の問いに、玲司は一拍置いた。

それから、ほんのわずかに視線を逸らす。

「いや。A.E.O.I.に、加入申請をしてきただけだ」

「……え?」


澄羽の足が、無意識に止まった。

「家族同然の、大切な友人がいる。昔、海外で世話になってた先の子なんだけどな。そいつが、A.E.O.I.に入ったって聞いてさ」


玲司は空を見上げる。

澄んだ朝の青が、やけに遠く感じられた。

「守れる力があるなら、使わない理由はないだろ」


その言葉は、澄羽の胸の奥を静かに打った。


守る。


その言葉に、自分はどれだけ縛られてきたのか。


「……そう、なんだ」

それ以上、澄羽は言葉を続けられなかった。

「無理に話す必要はないさ」

玲司は軽く肩をすくめる。


「ただ、同じ街に住んでる同級生として、顔くらいは覚えておこうと思ってな」

そう言って歩き出す背中を、澄羽はしばらく見つめていた。


A.E.O.I.という名前が、

また一つ、確かな重さを持って日常に落ちてきた気がして。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ