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哭き裂く天使  作者: Norn
第一章:光はまだ、哭かない
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第6話:侵蝕する非日常、閉ざされる答え

朝の光は、やけに薄かった。

まるで、街の瓦礫と同じ色をしているみたいに。


家を出た瞬間、胸の奥がズキッと痛む。

痛みというより――思い出したくない感覚が、勝手に身体のどこかを締めつけてくる。


昨日まで普通に家が並んでいた道は、いびつに歪んでいた。

ひしゃげた車、裂けたアスファルト、誰かの玄関だった破片。


そこに残っているのは、天使と怪物が戦った跡――

そしてたぶん、その中心にいたのは私だ。


足が重い。

歩くたびに、靴底が自分の罪を踏みしめているみたいだった。


生きて帰ってこれただけ、まだ運が良かったのかもしれない。

でも、じゃあこの壊れた家々は?

朝の通勤路に立ち尽くして、言葉も出ない大人たちは?


私が、やったんじゃないの……?


いやだ。考えたくない。

考えたら、もう歩けなくなる。


学校に行かなきゃ――そんな理由じゃない。

ただ逃げたいだけ。

昨日の夜美からも、部屋に残った証拠からも、

そして何より、私自身から。


それでも、足は前に出る。

出さないと、立ち止まった瞬間、全部が崩れそうだから。


「……行かなきゃ」


声が震えたことに気づかないふりをして、澄羽は壊れた住宅街をそのまま通り抜けた。


まるで、自分の犯した罪を跨ぐみたいに。


――――――――――――――――――――――

澄羽は校門をくぐり、一昨日よりも活気のない校舎へと足を踏み入れた。

教室にたどり着くと、席の空きがいつもより多いのがはっきりとわかった。


欠席の理由は分からない。

ただのサボりか、あの夜の出来事に怯えているのか――

それとも、ここに来ることすらできないほどの被害を受けたのか。


(……人、少ない。みんな、生きてるよね)


住宅街を抜けてくる間に少し落ち着いていた澄羽は、机にバッグを掛け、静かに席へ腰を下ろした。


わずかな話し声があるものの、教室の空気はどこか沈んでいる。

だが、静けさに慣れてしまった澄羽にとっては、その重さすら居心地の良さに感じられた。


その時――


「あっ……澄羽、おはよう!」


花守美空が教室へ入ってきた。

笑顔はいつもの調子に見えたが、どこか無理をしているような陰があった。


「……おはよう。美空が無事でよかった」


「ありがとう…。私も、澄羽が無事でほんと安心したよ」


無事で安心した。

いつもなら、澄羽はその手の言葉をどこか冷めた目で聞き流していたはずだ。

だが今は、美空の声の震えが、そのまま胸に落ちてくる気がした。


美空はふと、声のトーンを落とした。


「そういえば……澄羽。一昨日の夜のこと、知ってる?」

「一昨日って……もしかして」


澄羽は唾を飲み込む。

教室の空気が急に冷たくなった気がした。


「天使、出たって噂になってるじゃん。しかもね……私、見たんだよ。あの天使を」


澄羽の胸が跳ねた。

言葉と記憶が一致していく。

夢ではなく、あれは現実だったと突きつけられる。


登校途中に見た崩れた住宅街の光景が、脳裏に蘇る。

吐き気が込み上げる。


「天使……。そ、その、どんな……感じだった?」

声が震えているのを、必死で抑える。


美空は目線を落とし、かすかに首を振った。

「……あれは、天使なんかじゃないよ。形は白くて、人みたいに見えたけど……。でも、あれのせいで……私のお父さんとお母さん、今も病院で意識が戻らないの」


澄羽は、胸の奥がまた重く沈むのを感じた。

《あれは、天使なんかじゃない》

美空の言葉が、頭から離れなかった。


その時、教室のドアがガラリと開いた。


「全員、席に着けー」


担任の低い声が、教室の空気を一気に引き締める。

入ってきた先生の表情は、どこか疲れていた。

夜の出来事について教師たちも混乱していることが、見ただけでわかる。


「……今日、欠席が多いのは知っているな。ニュースで騒がれている件もある。まずは、その件について連絡がある」


先生が教卓に資料を置く音が、教室の静けさにやけに大きく響いた。


先生は教卓に立ち、深く息を吸い込んだ後、絞り出すように話し始めた。


「昨日からニュースでも報道されていると思うが……一昨日の夜、燈朝市で未確認の現象が発生した。その影響で、ここから南側の住宅区域に、大きな被害が出ている」


ざわ……という震えのような声が教室を走る。


「被害状況や原因については、まだ公式に発表されていない。ただ……ご家族や友人と連絡が取れていない生徒もいる。今日、欠席が多いのは……そのためだ」


教室の空気が軋む。息の仕方まで迷うような沈黙が広がった。

先生は出席簿を閉じ、かすれた声で続けた。


「君たちは、まず自分の無事を優先してほしい。

不安なことがあるなら、教師に必ず相談してくれ。……ひとりで抱え込むな」


その言葉は教室全体に向けられたものだったはずなのに、澄羽の胸だけに、重く沈んで落ちてきた。


「それと、今日は午後に全校集会がある。一昨日のことについてA.E.O.I.の職員が話をしてくれるそうだ」

澄羽は全身が凍りつくような感覚に襲われた。

ずっと夢だと思っていたことが現実となり、澄羽の心へ押し寄せていった。






昼休憩後、校舎に響き渡った放送は、全校生徒を体育館へと集めた。

ざわめきはあるのに、どこか沈んだ空気。

照明の白い光がやけに冷たく見えて、澄羽は無言のまま列に並んだ。


壇上には、いつもの校長ではなく、黒いスーツ姿の男女が三名。

胸元には見慣れない紋章──A.E.O.I.と刻まれたバッジが光っている。


(やっぱり来たんだ…)

昨日まで遠くの出来事だったはずの戦いが、現実の音を立てて近づいてくる気がした。

息が苦しくなり、手が汗ばんでくる。


校長の短い挨拶のあと、中央に立った男がマイクを握った。

四十代ほど、無駄のない所作をする鋭い目の人物だった。


「私たちは《A.E.O.I.》──宇宙外生命体対策機構の職員です。本日は、一昨日の夜に発生した事象について説明をしに参りました。」


体育館のざわめきが一瞬だけ膨らみ、そしてすぐに消える。


「皆さんもご存じのとおり、燈朝市の一部では大きな被害が発生しました。その原因は、我々が『宇宙外生命体』と呼んでいる存在です。簡単に言えば──観測できる宇宙外の、未知の生命体系に属する存在です。」


生徒の誰かが小さく息をのむ音がした。

男は淡々と続けるが、声だけは妙に重かった。


「宇宙外生命体は、一般的な生物とは構造がまったく異なります。我々の研究では、彼らは極めて高温のプラズマ状態を基盤として存在していると考えられています。つまり、生き物であると同時に、エネルギーそのものともいえる存在なのです。」


(プラズマ……そんなもの、生き物として成立するの……?)

澄羽は理解が追いつかず、ただ不穏な寒気だけが背筋を這った。


「しかし、一昨日現れた鋼の獣は、その本来の姿ではありません。」

男はわずかに声を低くした。


「地球の環境に耐えきれなかった宇宙外生命体が、この星の物質──金属や人工物と融合した変質体でした。あのような異常な姿になる理由は、彼らがこの世界では長く存在できないからです。不安定なまま、地球上の物質に取り憑くようにして形を保っている。」


体育館の空気が一瞬固まる。


融合──

それは人にとっても例外ではないのだろうか、と澄羽は胸の奥が痛むほど嫌な想像をした。


「現状、燈朝市が今後も戦闘区域となる可能性は十分にあります。もし今後の状況によっては、この街を一時離れることも視野に入れてほしい。皆さんの命を守るためです。」


(街を……離れる?)

ざわ……と体育館全体が動揺する。


「ただし、我々A.E.O.I.は市民の安全を守るための機関です。もし、皆さんの中で当機構への所属──すなわち支援部隊や研究班としての参加を望む者がいれば、歓迎いたします。もちろん強制ではありません。これは、皆さん自身の未来を選ぶための一つの選択肢です。」


(参加……? 高校生なのに……)


現実味のない言葉が並ぶのに、胸は苦しくなる。

澄羽は視線を伏せ、ぎゅっと制服を握った。

そんな中、職員が言った。

「質問がある生徒はいますか?」


沈黙が数秒続いたあと、どこかのクラスの男子が手を挙げた。

「あの……その……天使って、本当は何なんですか……?白い人型が怪物と戦ってたって騒がれてて……」


体育館に再びざわつき。


澄羽の心臓は強く脈を打った。

喉がひりつき、息が浅くなる。


職員は、ほんの一瞬だけ、感情を読ませないまま瞳を細めた。

そして──静かに答える。

「……最重要機密につき、一切お答えできません。」


その言葉は、体育館の天井にまで響き渡った。

質問した生徒は戸惑い、周囲にざわめきが走る。

(やっぱり……それは知られちゃいけないんだ……)


澄羽の胸が強い圧で締め付けられる。

自分の身体の奥で——何かがきしむような感覚だけが残った。


職員は最後に、淡々と言い放つ。

「以上で説明を終わります。どうか皆さん、自分の身を守ることを第一に考えてください。」

静寂の中、集会は閉じられた。


澄羽は顔を上げられなかった。

体育館の冷たい空気が、皮膚のすぐ下まで染み込んでくるようだった。






体育館から戻ってきた生徒たちは、重たい沈黙のまま教室へと散っていった。

澄羽のクラスも同じだった。誰も口を開かないし、椅子を引く音までよく響く。


ほどなくして、担任が教室に戻ってきた。表情は落ち着いているように見えて、どこか張り付いたような強張りがあった。


「……まずは体育館での話、お疲れさま。驚いたと思うけど、ひとつだけはっきり言っておく」

先生は一度視線を落とし、深く息を整えてから顔を上げた。


「恐怖で家に帰れない人や、一人で過ごすのが不安な人は、遠慮なく学校に相談しなさい。A.E.O.I.とも連携して、しばらくは地域の安全確保に動くみたいだから。ひとりで抱え込まないこと」


クラスの誰も返事をしなかった。

淡々とした先生の声が、いつもより教室に重く響く。


「……あと、言いづらい話だけど」

先生は少し言い淀み、言葉を慎重に置くように続けた。


「被害にあったご家庭についての噂や憶測は、絶対にしないこと。憶測は誰も救わないし、傷つけるだけだから」

美空が小さく首をすくめたのを、澄羽は視界の端で捉えた。


「これからも学校はあるけど、何かあったらすぐに言いなさい。以上。……解散」


先生の声は、どこか普段通りを必死に演じているようにも聞こえた。


そして、澄羽の胸には、

――普段通りなんて、もう戻れないのに。

そんな思いがじわりと広がっていった。


チャイムが鳴ると同時に、教室中が一斉に荷物をまとめ始めた。

いつもなら友達同士で話しながら帰る生徒たちも、今日は無言のまま足早に教室を出ていく。


澄羽も帰ろうと席を立ったとき、背後から声がかかった。


「ねえ、澄羽。ちょっといい?」


振り返ると、美空が立っていた。

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