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哭き裂く天使  作者: Norn
第一章:光はまだ、哭かない
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第3話:墜ちた光の夢

真夜中の燈朝市。

街灯がぽつりぽつりと並び、世界は眠りに沈んでいた。

その静寂を裂くように、夜空から一筋の白光が落ちてくる。

光は音もなく着地し、ゆっくりと地面を染み込むように溶かしていった。


やがて、住宅街の一角で奇妙な音が響いた。

金属がきしむような、獣の喉が鳴るような、そして人間の呻きにも似た音。

光に触れた一台の無人トラックが、ボディを歪ませながら変形していく。

鉄の外殻は筋肉のように蠢き、ヘッドライトが眼のように光を灯した。その姿は、鋼の獣ようだ。

宇宙外生命体は、無機の器を乗っ取ったのだ。


――――――――――――――――――――――


世界が眠りに沈む真夜中、澄羽は目を覚ました。

普段の彼女の瞳は光を吸い込む深淵のようだ。だが今、その瞳は深淵すら切り裂くほどの漆黒に染まっていた。


「…………」

澄羽の黒い瞳が、ゆっくりと真紅へと変わる。

その瞬間、肌から色が失われていく。血の気のない白が全身を侵食し、少女の輪郭は次第に人のものではなくなった。


澄羽は無言のまま服を脱ぎ捨て、窓を開け放つ。

夜風が髪をなびかせる中、彼女は迷いなく外へ身を投げた。

常人なら確実に死ぬ高さ。だが、澄羽の身体は羽のように音もなく地に降り立った。


その足元から、異変が始まる。

骨が軋み、筋肉がねじれ、背が伸びていく。

皮膚の下で光が脈打ち、白い肉体が急速に巨大化した。

両腕には刃状の手甲が生え、背中には翼のような突起が四枚形成される。

顔の面影は完全に消え失せ、ただ白き怪人だけがそこに立っていた。


澄羽はゆっくりと頭を上げた。

二階建ての屋根を見下ろすほどの高さ。

その顔面に、深紅の目玉が幾つも開く。ひとつ、ふたつ、やがて十を超え、顔の半分を覆い尽くした。

無数の視線がギョロリと住宅街の一角を見据える。


そこには、ボディを歪めた「トラックだったもの」がいた。

金属の脚をきしませながら、何かを探すように這い回っている。

進行方向には民家が並び、破壊は時間の問題だった。


澄羽は一気に駆け出した。

地面が砕け、突風が吹き荒れる。

一瞬で数百メートルを駆け抜け、跳躍する。

白い残光を引きながら、52メートル上空へと舞い上がった。


眼下には、今まさに住宅街へ踏み込もうとする鋼の獣。

澄羽は空中で身をひねり、どこからともなく双剣を構える。


次の瞬間——静寂が裂けた。

鋼と鋼がぶつかり合う甲高い音が夜を貫く。

閃光が走り、火花が散る。

澄羽の刃が、鋼の獣の外殻を深々と断ち割った。


鋼の獣が咆哮した。

その声は、エンジンの爆音と獣の唸りを混ぜ合わせたような、不快な共鳴だった。

車体の残骸を背負い、四本の金属の脚でアスファルトを抉りながら突進してくる。

足が地を蹴るたびに、火花と油煙が夜気を裂く。


澄羽——いや、白き怪人はその咆哮を真正面から受け止めた。

衝突の瞬間、空気が爆ぜ、衝撃波が周囲の窓ガラスを粉々にする。

その一帯が、まるで爆弾でも落とされたように閃光に包まれた。


だが怪人は、微動だにしなかった。

双剣を交差させ、獣の牙のような金属アームを受け止める。

その刃と刃のぶつかり合いが、深夜の住宅街に雷鳴のように響き渡った。


「ガァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"——!」


獣が吠える。

その咆哮とともに、トラックの荷台だった部分が開き、中から鋼鉄の腕が何本も伸びる。

まるで意思を持つ触手のように、電線を引きちぎり、壁を粉砕しながら怪人へ襲いかかる。

怪人は地面を蹴り、夜空を駆けた。

翼状の突起が広がり、白光を放ちながら滑空する。


だが、獣は逃さない。

脚部のタイヤが一斉に回転し、アスファルトを引き裂いて追いかけてくる。

そのたびに地面がひび割れ、車のアラームが一斉に鳴り出す。

静まり返った街は、瞬く間に戦場へと変わった。


獣の跳躍が空を裂き、鋼鉄の腕で怪人を叩き落した。

怪人が家屋の屋根に叩きつけられた瞬間、瓦が爆ぜ、木片が散った。

一軒の家が大きく傾き、壁が軋む。


——その家の隣家に、花守美空がいた。

爆音で目を覚まし、咄嗟に布団を跳ねのけて外を見る。

窓の向こうに映ったのは、夢とも現実とも思えぬ光景だった。


「…なに、これ…?」

白い巨影。

翼を持ち、無数の目を持つ異形が、金属獣とぶつかり合っている。

美空の喉が震えた。生物としての本能的な恐怖を感じていたのだ。


怪人の眼が獣を捕らえた。

紅い視線が獣の中心を貫いた瞬間、澄羽の四枚の突起がバサリと開き、強烈な風を巻き起こす。

そのまま突進。


衝撃。

獣の巨体が持ち上がった。鉄骨の軋む音が夜気を裂く。

怪人は獣の顎を蹴り上げ、空へと放り投げた。

トラックだった残骸が空中で回転し、無数の火花を撒き散らす。


跳躍――。

怪人の脚が地面を抉る。砕けたアスファルトが弾丸のように四方へ飛散した。

白き天使の躯が、黒い夜空を裂いて舞い上がる。

瞬間、獣と怪人の位置が逆転した。

月を背にしたその姿は、まさしく「堕ちた神」そのものだった。


怪人は身体をひねり、脚を高く振り上げる。


足裏に紅蓮の光が集束していく。

空気が爆ぜる。

そして――


「――――堕ちろ」


怪人の踵が獣の胸を直撃する。

閃光。

怪人は獣に一撃を与えたまま地へ堕ちた。

両者は地表へ到達する。音よりも先に、圧力の波が住宅街を呑み込んだ。


瓦礫が吹き飛び、炎が夜を染め上げる。

やがて、崩れ落ちた鉄と肉の塊は光を失い、動きを止めた。


爆音の余韻が、街の奥へと吸い込まれていく。

燃え落ちた家々の間で、炎の色だけが夜を支配していた。


「……っ……なに……これ……」


瓦礫の隙間から、花守美空は這い出した。

眠っていた寝室が一瞬で崩壊し、気づけば夜空が見えている。

頬には粉塵、掌には血。けれど痛みを感じる余裕もなかった。


その視線の先――燃える瓦礫の中心に、それは立っていた。


白。

けれど清らかさではなく、存在そのものがノイズのように白い。

形容しがたい異形。

無数の紅い眼が、まるで美空を「見ているようで見ていない」。

足元には、鉄と肉が溶けた残骸が散らばっていた。


「……天……使……?」


美空の口から、震える声が漏れる。

記憶が揺らぐ。あの夜、光の柱の中に降り立った天使。

優雅で、美しかった。

それが今――その同じ光が、ただのおぞましさとして目の前にある。


光のはずの存在が、影を撒き散らしている。

美空は息を呑み、後ずさった。

瓦礫を踏む音が夜に響く。


その瞬間、天使の顔面――いや、眼球の群れがギョロリと美空を見た。

何も発していないのに、頭の中に轟音が響く。

「近づくな」という命令にも似た圧力。


足が竦む。声が出ない。

燃える空気の中で、彼女はただ立ち尽くした。


やがて怪人は足を引きずりながら、夜の闇へと消えていった。


その光景を、美空は呆然と見つめていた。

心臓の鼓動だけが現実を刻む。

あれは本当に、天使なのか――

それとも、何か別の災厄なのか。



――――――――――――――――――――――



耳鳴りのような残響だけが、頭の奥で膨らんでいる。


身体の芯が異常なほどに重い。


まるで体内に鉛を流し込まれたような、息苦しい倦怠感がまとわりつく。


立ってるだけで世界がゆっくりと傾いていく。

焦げた匂い。


瓦礫の向こうに、まだ微かに燃える赤。


――どこかで見た夕焼けみたい。


歩いても歩いても、家に辿り着けない気がした。


それでも、足だけが勝手に前へ進む。


何かに導かれるように。


……気持ち悪い……


吐息とともに、胃の奥からこみ上げる違和感。


扉をなんとか開け、床に倒れ込む。


冷たいフローリングの感触が、現実のようだった。


……これ、夢じゃない……よね。

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