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そう言えばこんな友達がいた。
いつも肩の辺りまで髪を伸ばしていたその子は心の中に宝石らしきものを隠し持っていた。はじめてみせて貰ったのは保育園の年少さんの時、庭で指先に小さく瞬いた石を私とその子でじっと眺めた。小学校に上がると、宝石は親指の大きさぐらいになり、透明なのに光が近づくと、白いラインを出して自分の存在を知らせているみたいだった。中学に上がると、片手ぐらいにまでなっていた。ダイヤモンドに似ていたがその子は決してそれをダイヤモンドなんて呼ばなかった。だけど、それがなんなのかもわかってなかった。
「多分、やさしさとかが形になったんだと思う」恥ずかしそうにそう言ったことがある。
しかし、やさしがこう目にはっきりと見える形になってしまっていいのだろうかと思い、 保健室の先生に尋ねたところ、こんなことを言われた
「だめに決まってるでしょ、やさしさがはっきりと形になったらそうじゃない人は憎んだり傷ついたりするわよ。世の中は自分が持ってないものを素直に認められる人ばかりじゃないし。だからもしほんとにやさしさがはっきりと形になったとしても、それを自慢したりそれに意味を問いかけたりしたら…(ここから先は覚えていない)」
だから、私たちは隠した。親にも教師にも夜明けを告げる鳥にさえも。そして、今は離れ離れになってしまったわけだが、あの子は形をどうしているのだろうか。一度だけ触らせてもらった時、十月の朝に食べるシチューみたいなあたたかさがあった。世の中はいつも冷たい風が吹いている、あのあたたかさがちょっとした事で失われてしまったのでは無いかと時々心配になるのだ