第八話
小屋の前で俺の目に飛び込んできたのは、予想を遥かに超えた光景だった。
「おら! 立てって言ってんだ!」
蹲ったまま泣いているベロニカと、その髪を掴んで怒号を発する叔父がいた。
俺は足元の石ころを拾うと、それを叔父の背中に投げつけた。
「いっ……? てめえ、何しやがるクソガキが」
背中を摩りながら据わった目つきで此方を振り向いた叔父を無視して、俺はベロニカを見る。
光を失った様な目で俺を見るベロニカに、涙が溢れそうになった。
「なんでベロニカを傷つけるんだ?」
「ああ?」
「なんで、彼女を傷つけるんだ。あんなに愛らしい子に、どうしてそんな酷い事ができる? 一体、なんの権利があって」
「──こんなのは躾の一環だろうが。それに愛らしいだあ? ふざけんじゃねえ! こいつは魔族だ! 人間じゃねえんだよ! 俺の商売が失敗したのも、酒が足りねえのも全部こいつのせいだろうが!」
「躾……?」
「ああそうだよ! 魔族は人間の敵なんだよ! だから飼い慣らすためには躾が必要なんだよ! こいつのせいで俺は不幸になったんだ! だからこいつが死ねば、俺は幸せになれるんだよ!」
「てめえ……ふざけんじゃねえ!」
思わず叔父に掴みかかったが、相手は大人だ。振り回されて地面に投げ飛ばされ、俺は背中を打った衝撃で咳き込む。
「や、やめて叔父さんっ……」
ベロニカが叔父の腕を掴んで止めようとするが、振り解かれてベロニカは地面に尻餅をついた。
「そうだ……こいつが死ねば、俺は」
目つきが変わった叔父を見て拙いと思ったが、その時一人の執事が割って入った。
「止まりなさい」
「どけよ。そいつは俺の物なんだ。どうしようが勝手だろうが」
「いいえ。王国法に則れば保護者は子供の安全を守る義務がございます。これに抵触すれば牢に入れられ、犯罪者として裁かれる事になります」
リカルドの理論整然とした語り口に、叔父は怯んだ様子を見せる。
「ちっ。お前らも俺と同じだろうがっ!」
捨て台詞を吐いて去っていく叔父から視線を外し、リカルドが近づいてくる。
「坊ちゃん。大丈夫ですか?」
「うっ……俺より、ベロニカを」
「私は坊ちゃんの事を優先させていただきます。それが責務ですから」
脳震盪を起こしているのだろうか。頭がふらふらする。リカルドに抱き抱えられながら、俺はベロニカを見ていた。
彼女の視線は小屋に注がれていて、後ろ姿からは何を考えているのかはわからなかった。
どうして彼女は主人公なのに、こんな目に遭っているのだろう。ゲームの脚本を書いたやつが目の前にいたら、ぶん殴ってやりたい気分だった。
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「治療は終わりました。どうやら、かすり傷程度の様です。頭を打っているので、少しの間安静にした方がいいでしょう」
「……そうか」
治療してくれたリカルドに、気の利いた一言でも言ってやれればよかったのだが、そんな気分にはなれなかった。
頭の中にあるのはベロニカの姿だけだ。
なぜ彼女はあんなに打ちのめされながらも、主人公として立ち上がる事が出来たのだろう。彼女はなぜ傷つきながら、人を守ろうとしたのだろうか。
「坊ちゃん。なぜあの移民の子をそんなにも気にかけるのでしょうか?」
リカルドの質問にすぐには答えられなかった。そういえば、同じ様な気分になった事が前もあった気がする。
そうだ。ベロニカに自分の事が好きかと問われた時に似ている。
ベロニカは、俺がいい人になろうとするから、彼女を手助けするのだと言っていた。俺が憑依する前のヴァンはどうだったんだろうか。
ベロニカを手助けする事で、自己満足に浸っていたのだろうか。
「俺がベロニカを気にかけるのは……ただ、彼女に幸せになってほしいからだ」
そうだ。ヴァンは彼女のために命を落とす。物語上ではそれが単なるイベントだとしても、ベロニカを助けるために命を投げ出す。
その理由は実にシンプルな筈だ。
「そうか。俺は、ベロニカの事が好きなんだな」
リカルドの質問に答えるのではなく、まるで独り言の様にそれは口から漏れた。口に出してみると思っている以上に腑に落ちて、少し笑みが溢れるほどだった。
「そうですか……ならば、私は坊ちゃんにお渡ししなければならないものがあります」
リカルドは真剣な様子で俺を見る。
「俺に渡すもの? なんのことだ?」
「坊ちゃんのお母様からお預かりしているものがあります。坊ちゃんが誰かを好きになった時に、渡す様にと仰せつかっております。着いてきて下さい」
そのまま立ち上がったリカルドに、俺も慌てて立ち上がる。
リカルドは部屋を出て、廊下を進んでいく。そして、一つの部屋の前で立ち止まった。
「既にご存知でしょうが、奥様が亡くなられて以来、この部屋は私以外の者は入った事がありません」
「そうか」
ヴァンの母親と、リカルドの関係が気になる所だったが、訊ねられる様な雰囲気でもなかった。
リカルドは扉の鍵を開け中へと入る。
俺も後に続いて部屋に入ると、中はパステルカラーで統一された女性らしさのある部屋だった。
「今からお渡しするものは、旦那様でさえ触る事の出来なかった物であり、奥様がヴァン様に残した遺品でもあります。それを肝に銘じて下さい」
強い口調のリカルドに、俺は頷く。
リカルドは部屋の奥にある金庫を開け、その中から宝箱の様なものを取り出す。
「この鍵を使ってお開け下さい」
「あ、ああ」
一体俺に渡したい物とはなんなのだろうか。そんな疑問を胸に、俺はリカルドから渡された鍵を宝箱に差し込む。
目に飛び込んできたのは、一丁の銃と、それを収めるホルスターだった。
「これ……魔導銃か」
「ご存知なのですね。そうです。魔術師が扱う武器であり、非常に高価な物です」
銃を手に持ってみると、ずっしりとした重みを感じる。
魔導銃については本編でも出てきたから知っている。ハンドガンの様なものから、銃身の長いライフルの様なものまで様々あり、魔術師専用の武器で、言ってしまえば魔法使いの杖の様なものだ。
けれど、こんな銃は見た事がない。本編で見た魔導銃よりも重厚で大きい。銃身が長いと言うのか、銃口も大きく、もしも弾が発射されたら熊でも撃ち殺せてしまいそうな銃だった。
「これをどうして俺に?」
「奥様は聡明な方でした。坊ちゃんはきっとロアンドール様に憧れ、剣を手に取ると予想していました。ですが、もしもその道を諦め、それでも尚、力を求め、そして愛する人ができた時にこの銃を渡す様に言われました」
愛する人などと小っ恥ずかしい事を言われると頬が熱くなるが、それはとりあえず置いておこう。
ヴァンの母親はヴァンが3歳の時に亡くなった。つまり、ヴァンはあまり母親との記憶がない筈だ。母親もヴァンとあまり長い間一緒には過ごせなかった筈である。
なのに、ヴァンには剣の才能ではなく、魔導の才能があると見抜いていたのだろうか。母親とは不思議な存在だ。
「──その銃の名はイフリートといいます。最高級の魔導銃であり、その威力は火の精霊の怒りとも称される世界でたった一つの品であります。奥様も、この銃をいつも持ち歩いていました」
「そうか」
「坊ちゃん。力には責任が伴います。まだ坊ちゃんにはこの銃を扱う事は出来ないとは思いますが、覚悟を固めるためのお守りにはなるとは思います。奥様もきっと、そんな思いを胸に抱きながら、これを私に託されたのでしょう」
銃を見ていると、非現実感に襲われた。イフリートと呼ばれるそれは、サイバーパンクの世界から抜け出してきた様な機械的な構造をしていて、そして一目で危険な代物だという事がわかる。
「ありがとうリカルド」
「いえ。私はただ、頼まれた物をお渡ししただけでございます」