第七話
翌日。
今日も今日とて、魔導回路を素早く出現させる練習や、変声の魔導の発動の鍛錬に勤しんでいた。
魔導回路を出すのはだいぶ上達したし、変声の魔導を発動するのは格段にスムーズになった。
今の俺は瞬時に自分の声色を変えることができる。誰かの声真似をするのはチューニングが必要だが、単純に自分の声を高くしたり、低くしたりは出来るようになった。
子供の身体からおっさんの声が出るのは中々に奇妙な絵面だったが、きっと飲み会では大盛り上がり間違いなしだ。
もちろんこの世界ではクソの役にも立たないだろうが。
「はぁ」
あの後、リカルドに続きは無いのか訊ねたが、どうやら屋敷にあるのはあの書物だけらしく、俺はそれ以上の魔導を扱うことは出来なかった。
「ベロニカにでも会いに行こうかな……」
魔導士として並以上の才能があるのはわかったが、現状はこれ以上学べる事はない上に、主人公の様子も気になる。
ベロニカと初めて会った日から、ずっと彼女の事を気にかけてはいるが、叔父の問題をどうすれば解決できるのかまだ答えは出ていない。
ゲームでは本編が開始する一年後。つまり、ベロニカが13歳の時に叔父は村から忽然と姿を消す。
だからと言ってあと一年の間、ベロニカが虐待されているのを黙って見ている気はないのだが。
「かと言って、本編を大きく変えたら何が起きるかわからないんだよな……」
これが目下の悩みの種だ。この世界はゲームの世界で、俺はエンディングまでクリアした知識がある。
だが、だからと言ってこの世界の全てを知っているわけではない。知っているのはヴァンが2年後に死に、ベロニカが主人公として本格的に覚醒した場合のストーリーだ。
その道筋を大きく変えてしまう様な事をすると、俺には全く予想もつかないストーリー展開になる可能性がある。
そうなれば、もしかしたらベロニカの覚醒イベント自体が無くなってしまう事だってありえるのだ。
「そうなったらベロニカは女神の使徒になれないって事だよな……」
このゲームは人間と巨人族の戦いがメインだが、それはお互いの信仰する女神と巨神の争いでもある。
人間側の最終兵器としてベロニカは女神から祝福を授けられ、この世界にたった四人しかいない女神の使徒になるのだ。それこそがベロニカが主人公としてこの世界の中心人物になるきっかけでもある。
「女神の使徒にならなきゃそもそもレベルアップやらファストトラベルも出来ないし、ストーリーが詰むよな」
女神像というものがこの世界の各地に存在する。
それはファストトラベルや、レベルアップ、そのほかにも多くの恩恵を授けてくれる。女神の使徒にしか使えないシステムで、この村の森にも一つだけ女神像が存在する。
一年後の13歳の時、ベロニカはこの女神像に触れることで使徒になる資格を得る筈だが。
「ベロニカはなんであの時、一人で森に行ったんだろう……?」
ムービーで短く描写されていただけで、ベロニカが女神像に触れる経緯については説明されなかった。確かその時のベロニカは傷だらけで、何かから逃げている様に見えた。
モニターの前でなら本編の過去に触れる事で純粋に喜べただろうが、いざこの世界の登場人物になってみると、何が起きているのかわからないというのは恐怖でしかない。
ベロニカはいずれ世界に名を轟かせる英雄になるが、今はただの少女なのだ。
「俺自身、死にたくもないしな……」
もちろん2年後に死ぬ予定のキャラに転生したからって、そのまま死んでやる気は毛頭ない。それこそベロニカには死んだように見せかけて、そのまま舞台から降りて姿を消す選択肢だってある。
ただ、ベロニカの問題は見過ごせないし、舞台から降りたとて、彼女のために出来ることはなんでもしてやりたいと思っているが。
「そのためには力がいると……結局堂々巡りかよ」
結局魔導師としてスキルアップするしか現状に対抗する手段はない。俺の知恵など知れてるし、2年後のイベントが起きれば、何もしないままなら死ぬだけなのは目に見えてる。
焦燥感を胸に、俺は部屋の扉を開けた。
「坊ちゃん、どうしたんですか? 今日は随分と顰めっ面ですね?」
廊下でばったり出会ったのは、屋敷で働く三人の内の一人だった。
庭師のヴィンセントという青年で、明るい性格の働き者だ。だだっ広い屋敷の庭を、この青年が一人で管理しているというのだから驚きである。
今は木箱を担いで何かを運んである最中だったみたいだ。
「ヴィンセントって働き者だよなぁ」
「本当にどうしたんですか? 最近の坊ちゃんは少しおかしいですよ……。もしかしたら何か悩みでもあるんですか?」
そりゃ大いにあるが、だからと言って目の前の青年に相談したところで何も解決しないだろう。
「いや、別に悩みなんてないよ。それより、ちょっと外に遊びに行ってくるわ」
「あ、だったら途中まで一緒に行きましょうよ。俺も村の人に荷物を届ける最中なんです」
木箱の中を覗くと、中にはリンゴのような果物が入っていた。
「なんだそれ?」
「庭の木に実ったアプルの果実です。屋敷では消費しきれない分をお裾分けしてるんですよ」
「ほーん。どれ一個もらおうか」
「どうぞ」
ヴィンセントは笑顔で果物を差し出してくる。どこからどう見てもリンゴにしか見えないが、味はどうだろう。
「ふむ。うーん。おー……甘くて美味いな」
「それはよかった。坊ちゃんのお墨付きなら村の人たちも一層喜びますよ」
お世辞抜きに中々美味い。ジューシーだし、蜜もたっぷりで前世で食べていたリンゴよりも品質が良い気がする。
「もう一個もらっていいか?」
「はい。好きなだけどうぞ」
アプルを齧りながら二人並んで屋敷を出る。
――――――――――――――
ヴィンセントと村を歩いていると、見覚えのある少年が立ち塞がった。
「おい!」
「またお前かよトーマス……今度はなんだ? また尻を叩かれに来たのか? もしかしてあれが病みつきになっちまったとか……そんな事……ないよな?」
「何言ってんだバカやろう! それに俺は負けたと思ってないからな!」
どうやら少年の性癖を歪めてしまった訳ではないらしい。
「そもそも勝負にすらなってなかったしな。それよりなんの用だよ」
俺が聞いてもトーマスはボソボソと口籠るだけで、よく聞こえない。
「トーマスくんどうしたんですか?」
助け舟を出すかのように年長者のヴィンセントが問いかける。それに漸くトーマスはこちらを向いて話し始めた。
「あの魔族女が……」
「──ベロニカがどうしたって?」
俺が遮るように問いかけると、トーマスはびくりと肩を跳ねさせた。
「叔父さんから殴られてたんだ……。止めようと思ったんだけど……お、俺怖くて」
トーマスは涙を滲ませながら言った。
それを聞いて俺は頭が沸騰する程の怒りを覚えた。
「どうして俺に伝えに来たんだ?」
そもそもベロニカを虐めていた筈のトーマスがなぜ俺にこんな事を言いに来るのだろうか。それが不自然に思って問いかけたが、トーマスは目を背けた。
「お前……騎士の息子なんだろ。お前ならあの魔族女を助けられると思って」
「お前、ベロニカの事が嫌いなんじゃなかったのか?」
「き、嫌いなんて一言も言ってないだろ! ただ、俺の方を見ないから気に食わなかっただけだ」
トーマスはもしかしてベロニカの事が好きなのだろうか。なるほど。納得した。確かに幼い年頃だと、気になる子につい意地悪をしてしまう事もあるだろう。
俺はトーマスの事を誤解していた事を知って、深く息を吐いた。
「ヴィンセント。悪いけどリカルドを連れてきてくれないか?」
「それはまあ……構いませんけど、どうする気ですか?」
「どうもこうもないんだよ。いいから行け」
ヴィンセントは戸惑った様子を見せながらも、アプルの入った木箱を置いて走り去っていった。
「ロディは?」
「あいつは風邪ひいて寝込んでる。それより早くしないと!」
「トーマス。お前、この木箱の中の果物をヴィンセントの代わりに村の人たちに配ってくれ。一個くらいつまみ食いしてもいいぞ」
「なんで俺がそんな事……」
「いいから早く行けよ。ベロニカの事は心配すんな。俺が助けるから」
俺の言葉に、トーマスは少しの間逡巡した様子を見せたが、最後には納得した様でゆっくりと頷いた。
ヴィンセントにリカルドを呼びに行かせたし、何か問題が起きても彼がなんとかしてくれるだろう。
俺は急いでベロニカのいる小屋に向かった。