第三話
屋敷を出て、村を一望する。
緑豊かな森に囲まれた小さな村だ。
集落と言ってもいいかもしれない。人口は100人にも満たないのではないだろうか。
取り止めのない事を考えながら村を歩いていると、突然誰かに通せんぼされた。
「おいヴァン! この前の借りを返しに来たぞ!」
「……はあ?」
目の前に立ちはだかったのは二人の少年だ。
声を荒げているのは太った少年で、それに付き従うように痩せた少年がいた。
誰だこいつらは。
「忘れたとは言わせねえぞ! お前のせいで母ちゃんには怒られるし、おまけに飯も抜かれたんだ!」
一体何の事を言っているのかわからないが、目の前の二人の少年には何か既視感を禁じ得ない。
腕を組んで少し悩んでいたが、目の前のデブガリコンビに俺はハッとした。
もしかして──。
「あ、ああ! お前もしかしてトーマスか!? そっちのお前はロディか!」
トーマスとロディ。始まりの村で主人公ベロニカを虐めていた二人組の男の子だ。
「な、なんだよ?」
「いやぁ。お前たち変わらないな。デブとガリのコンビなんて俺以上のモブキャラに会えて嬉しいぜ」
なんとも感慨深い。
ヴァンに転生してしまったのを残念がっていたが、目の前にそれ以上のモブがいると知ると、少し気分も落ち着くものだ。
「今なんて言ったこのやろう!?」
「や、やっちゃえトーマス!」
デブのトーマスが突進して掴みかかってくるが、俺はそれを軽く躱す。
「うわっ!?」
体重を預ける相手がいなくなった事で、トーマスは前のめりに地面に倒れ込んだ。
「いてて……っておい!? や、やめろ!」
俺は自分の服からサスペンダーを外し、それでトーマスの尻を叩く。
「いてえ! おい! ふざけんな!」
「はっはっは。生意気なガキには折檻だ」
何度も叩くと、トーマスは地面に倒れ込んだまま泣き出した。
「う、うう」
「と、トーマス? 大丈夫?」
心地よい疲れを感じると共に、子供相手に大人気なかったな、と少し自己嫌悪に陥った。
まあ、このトーマスとロディはベロニカを虐めていた悪ガキコンビであり、主人公に共感しながらゲームをしていた俺にとっては敵以外の何者でもないが。
俺は痩せた少年に視線を向ける。
「おいロディ。この腰巾着野郎。お前も俺に文句あるのか?」
トーマスに駆け寄るロディにサスペンダーをビシッと張り詰めさせて問いかける。
「な、ないよ。だからそれを仕舞ってくれよ……」
ロディは足が震えているし完全にビビってしまっている。トーマスも蹲ったまま泣いているしこれ以上はやりすぎだろう。
「まあ、ここら辺で許してやるか。じゃあ俺は用事があるんだ。もう行くからな?」
何も言わずに去るのも何だかな、と思って問いかけたが、トーマスとロディは頷くだけだった。随分と怖がらせてしまったらしい。
手を振って離れながら、俺は独り言を漏らす。
「いやあ。それにしても生のトーマスとロディを見たけどいいキャラしてたな。序盤しか出てこないモブキャラにしておくには惜しい人材だった」
口笛を吹きながら村を歩いていると、ようやく見覚えのある小屋が目に留まった。
「……」
思わず足が止まってしまった。
考えてみればあのベロニカに実際に会うことができるのだ。
俺の憧れの女の子であり、誰よりも幸せを願ったキャラクターに。
「……ふう。落ち着け俺」
鼓動が早くなる心臓を落ち着かせる様に深呼吸をして、俺は小屋の方へと歩いていく。
扉の前に立ち、ノックをしようとしたその時、中から何かが割れる音が聞こえてきた。
それに驚いていると、小屋の扉が開いて中から一人の人物が出てきた。
「あ? 邪魔だクソガキ!」
中から出てきた中年の男に肩を強く押され、俺は地面に尻餅をつく。
そのまま離れて行った男の背中を見ていたが、不意に開け放たれた扉の奥に人の気配を感じて視線を向ける。
「──」
中には割れた皿を拾いながら、虚な目を向けてくる少女がいた。
昼間の光が届かない薄暗い室内から、妖しく光る赤い瞳を向けてくるその女の子は、手が傷つきながらも必死に皿の破片を拾っていた。
「……あ」
思わず素っ頓狂な声が漏れた。
そうだ。なぜ忘れていたんだろう。俺が目の前にいる少女の幸せを願ったのは、彼女があまりにも報われないと思ったからだったのに。
「ヴァン?」
耳に届く鈴の音の様な声を聞くと、俺は平常心ではいられないほど胸がざわつくのを感じた。
「ベロニカ」
俺の口からその名前が絞り出されると、彼女は弱々しく笑った。
幼少期のベロニカは叔父と一緒に暮らしていて、長い間虐待されてきたというエピソードがあった。
それを今の今までどうして忘れていたのだろうか。
何も言わない俺に気を遣ったのか、ベロニカが口を開く。
「今日も遊びにいく? ちょっと待っててね。これ片付けるから……」
最初は気づかなかったが、ベロニカの体には至る所に青痣があって、髪はボサボサで着ているものは薄汚れた布切れだった。
どれだけの間、彼女は虐待されてきたのだろう。1日や2日ではこうはならない。そんなのは見ればわかる。
「……俺も手伝うよ」
小屋の中に入って、皿の破片を拾っていく。
中は酷い匂いで、卵が腐った様や匂いと、濡れた雑巾を放置した様なカビ臭さが混じった臭気がした。
──これは、人が住む場所じゃない。
本当にこんなところで、ベロニカは生活しているのだろうか。
「ありがとう」
不器用に微笑みながら礼を言うベロニカに、俺は目頭が熱くなるのを感じた。
ゲームをプレイしていた時は可哀想だなと思う程度だった。
だが画面の前ではなく、実際にその姿を見るとやるせない気持ちが溢れる。
ベロニカは主人公で、世界を救う救世主なのだ。なのに、こんな扱いであっていいわけがない。
ストーリーだとヴァンがベロニカと知り合ったのはいじめっ子のトーマスとロディから助けたのがきっかけの筈だが、きっとヴァンもそんなベロニカを放っておけなかったのではないだろうか。
「ベロニカ。今日は森の湖に行って水浴びでもしないか?」
「あ……うん。そうしたい。けどいいの?」
「いいって何が?」
「ヴァンは剣士ごっこするのが好きでしょう?」
そういえばゲームのワンシーンでも木の棒を振り回していた覚えがある。
「好きだけど今日は違う事をしよう。たまにはいいだろ?」
「うん……ごめんね」
ベロニカの体が汚れているため気を遣ったのだが、どうやらそれに気づいたみたいだ。
卑屈に謝るベロニカを見て、俺は虐待する叔父の問題をどうにかしなければならないと感じた。
「よし! 破片も片付いたし行こう」
手を差し出すと、ベロニカは一瞬ためらい、そっと手を伸ばしてきた。怯えながらも、温もりを確かめる様にゆっくりと俺の手を握る。
ひび割れた痛々しい手は、今にも折れてしまいそうな程に小さかった。
この手がこれからも傷つき、そして最期には熱が失われるのを考えると、これからの方針が急速に固まっていく様に感じた。