8 予感
今すぐ写真機を買いに行くと駄々をこねる父を、母が時間がないと説得して、花の宴に向けて家を出発する。
母曰く、会場には写真家がいるかもしれないから、運が良ければ家族写真が撮れるだろうとのことだ。
家の前には人力車が待っていたが、ただの人力車ではない。車を引くのはシロサイの種族の車夫だった。
車も見覚えのある一人乗りではなく、向かい合わせで座れば6人は余裕で乗れるであろう大きな車体だった。
シロサイの車夫は「10人でも余裕っす」と親指を立てて大変頼もしい。
先に車に乗り込んだ兄が手を差し伸べてくれたので、それに捕まって車に乗り込む。
「冷えるだろうから羽織った方がいいよ」
「ありがとう」
私の隣に座った兄からショールを受け取って、言われた通り羽織る。人力車は吹き曝しになっているから、今の薄着では少し肌寒いので助かった。
「ドレスよく似合ってるよ」
「兄様も、詰襟姿よく似合ってるわ」
兄は学習院の詰襟を着ていた。普段は袴でいることが多いから新鮮に映る。
いつもより大人びているように見え、きっと会場のご婦人方に注目されることは間違いないだろう。
暮れなずむ町を人力車は走り始めた。
人力車に乗るのは初めてだけど、思ったよりスピードがあって、風が気持ちいい。
記憶を取り戻してから敷地の外に出るのは初めてで、新鮮な気持ちで町の様子を眺める。
大通りは整備され、人力車だけでなく、馬車や自動車も何台か見かける。
この辺りは和風建築が多いけど、デザインが凝ったガス燈が街道を照らして、和洋折衷な景観を作っている。
「もうすぐ着くっすよ」
「ああ」
車夫の言葉に頷いた父はふと空を見上げた。
「お、見てみろ。あれは燕昂司家だ。珍しいことに鳥の種族が多く輩出される家で、大昔からこの国を空から守っている」
父の視線の先には、月光で影になっているが、翼を持った人が数名、会場となる場所の上空を飛んでいた。
その中から、小さい影と大きい影が、会場に下降していくのも見える。
燕昂司といえば、攻略対象にもいた苗字だったと思い出す。
燕昂司隼人。古くからこの国の航空防衛を司ってきた家の次男で、祖父は現帝国空軍大将。父親も空軍大佐で、隼人自身も将来は士官学校を卒業し、空軍将校となることが約束されているエリート中のエリートだ。
家の爵位は侯爵。ちなみに白木院家は子爵なので、雲の上の人感がすごい。実際に雲の上を飛ぶ人達だけど。
隼人の年齢は主人公や私と同い年で、種族はハヤブサ。
私はゲームの中でも、この隼人ルートが一番好きだった。
光属性の快活男子に弱いというのもあるけど、空を飛ぶデートだったり、ハヤブサの機動力を生かした戦闘が爽快で、何度もときめいた記憶がある。
その隼人に会えるかもしれないとなると、少し緊張してくる。なんというか、アイドルに会いに行くような心持ちだ。
そういえばゲームの桔梗も、隼人に淡い想いを抱いていたはず。ゲームではあまり接点が描かれていなかったけど、こういった華族が集まる行事で出会ったのかもしれない。
桜ももしや、私の洋装を見たいとか言いながら、本心は攻略キャラに出会うのが狙いで付いてきたのかしら。
私の向かいに座って、小町と談笑している桜を見ると、目が合った。
風で声は聞こえないけど、「どうかしましたか」と口が動いたのがわかった。
私の声も聞こえないだろうけど、「何でもない」と返して、燕昂司家が警護する空を見上げる。
鳥が飛び交う夜空には、靄に包まれてほのかに霞んだ下弦の月が昇っていた。
花の宴は源氏物語の第8帖のエピソードにちなんだ行事だ。無礼講とまではいかないけど、素性を気にせず、親睦を深めることを目的としている。……良い風に言っているけど、光源氏が帝の妻と不倫して、さらに失脚のきっかけになるエピソードなわけで、そこにあやかっていいのだろうか。
会場の入り口前で人力車が止まり、兄の手を借りながら車を降りる。
鹿鳴館のような煉瓦造りの西洋館は、まるで映画のようなセットで圧倒される。
すでに来賓者が集まっているようで、華やかな音楽や話し声がここまで聞こえてくる。
少し風が強くなってきたので、ショールの合わせを強く握り締めた。
根拠はないけど、何だか一波乱ありそうだという予感があった。