4 絶体絶命
毛が逆立ち、耳は後ろに伏せられ、尻尾を巻き込んで体全体で丸まって、言い逃れができないくらい完全にビビっているところを桜に目撃されてしまった。ラスボスというにはあまりに程遠い姿だ。
だって、こんな暗いところで白い肌におかっぱ頭の着物少女はホラーでしかない。怖がるのも無理ないじゃないと自分を慰めるが、桜が手に持っているものを見てさらに震え上がる。
桜の右手には抜き身の刀があった。銀色に輝く刃はよく手入れされていて絶対に切れ味抜群だ。
ただでさえパニックだったのに、さらなる最悪な想定が脳内を埋め尽くす。
未来の悪女が工房にする誰も存在を知らない洞窟で、誰にも見つからず忍び込んだ私と、たった一つの出入り口の前に立ち、刀を持って仁王立ちする主人公がいるこの状況。
目撃者もいない、逃げ道もない、打開するような能力もない(未来はラスボスでも)まだ雑魚の私。殺るなら抜群のタイミングすぎる。
こ、こ、殺される。
「なな、なんで」
「桜こそ何でここにいるの」と余裕綽々な顔ではぐらかそうと思うのに、声は震え上がり、勝手に涙も出てくる。こんな情けない姿晒したくないのに、桜の感情を取り除いたように真っ黒な瞳を前にして、完全に戦意は失われた。待って待ってなんでこんな状況になったの。
桜が一歩一歩近づいてくる。目の端に刀がちらつく。
もう後ろに逃げ場なんてないのに、少しでも距離を稼ぎたくて、壁に身体をピッタリくっつけるしかなくて。
「やだ、やめて」
ただただ状況に理解が追いつかない。わかるのは絶体絶命ということだけ。
嫌だ、やめて、死にたくない。
刀の切先がまっすぐ私の喉目掛けて飛んできて、避けられないことを悟る。あ、死ぬ。
──しかし、やってきたのは私の顔の真横からジュウウと何かが焼けるような音だけだった。
恐る恐るそちらに目をやると、青白く光る骸骨が壁から顔を出しており、その脳天に刀が突き刺さっていた。
骸骨は刀が刺さった部分から溶けるように消えていく。
「失礼しました。ここに悪霊が棲みついていたようで退治していたのです」
桜はそう言って刀を引き抜き、左手にランプを持ったまま、こともなげに片手で刀を納刀した。ずいぶん手慣れた動作だった。
確かに桜は武家の出身で剣術の修行をしているという設定だけど、素人目でもわかるほど熟練した流れるような納刀だった。それこそ7歳の少女の動きではない。
「今ので最後だと思います。すみません、怖がらせてしまったみたいで」
桜は私の前に跪き、顔を覗き込んでくる。
きっと情けない顔をしている。見られたくないのに、先ほどの死の恐怖が脳裏にこびりついて、桜から視線を外せない。まだ全身が震えて金縛りに遭ったみたいに身動きできない。
これはきっと警告だ。
自分はお前以上の力を持っていて、いつでも狩れるぞ、と。
今回は見逃すが、今度悪さしたら容赦しないとか、そういうやつだ。
ゲームでも主人公は浄化の力を持っていて、刀アクションで悪霊退治や敵を倒す。
だけどそれは攻略対象と絆を深めて、浄化の力を手に入れ、レベルアップで手に入れたスキルポイントを振って剣技を磨いていくという流れがある。
ストーリーも始まってない幼少期ではできない芸当のはずだ。
ということは、この主人公はストーリー無視して剣技鍛えてきたってこと?
ガチすぎない?
この主人公、ガチで私を討伐しに来てない?
桜は私の顔に手を伸ばしてきたが、ショックを引き摺ったままの私は、その手にすらビビって肩が震えてしまう。
将来のラスボスが見る影もない。自分の小心さにだんだん怒りが湧いてくる。
こんなことではどデカく散る悪役になれるわけがない。どうやら私には覚悟が足りていなかった。
「……とりあえずここを出ましょう。立てますか?」
桜は手を引っ込めて立ち上がる。その表情はランプの灯りが届かず見えない。
私はなけなしのプライドをフル動員して気持ちを奮い立たせる。
「平気よ。先行ってて」
今度は声は震えなかった。
でも足は生まれたばかりの子鹿のままなので、立ちあがろうとしても力が入らない。
これが腰が抜けたってやつか。前世ですら未経験だったのに。
壁に手をついて、1、2、3で立ち上がろうとするけどうまくいかない。
桜は目の前からなかなか動こうとしない。これ以上無様な姿を見られたくないから早くどこかに行ってほしい。
何よ。無様なラスボス(将来)の私を見て笑ってるのかしら。さすがに意地悪すぎない?
「……桔梗様、これを持っていただけますか?」
ランプを手渡されて思わず受け取る。
「失礼します」
ふわりと重力が軽くなる。抵抗する間もなく、桜にいわゆるお姫様抱っこをされる。
朝ぶりに間近に迫った桜の顔を見て、疑問符ばかりが頭に浮かぶ。
ランプの灯りに照らし出された桜の表情は先ほどまでの恐ろしさはなく、困ったような、申し訳ないというような憂いがある表情だった。
まただ。この子、一体何を考えているのかわからない。
警告をしてきたと思ったら、親切なフリをしたり。
ちょっと脅かすつもりが、想像以上に私がビビったから申し訳ないとでも思っているのかしら。だとしたら業腹だ。
「お、降ろして!平気と言ったでしょう」
「足元が滑りやすくなっていますので」
「……」
頑なに降ろしてくれる気配がないので観念する。
ああ。黒歴史が毎秒更新されていくようだわ。
抱っこは安定感があり、無理しているようでもない。やっぱり相当鍛えてそうだ。同い年なのに。私だったらきっと桜を持ち上げることすらできないだろう。
「……どうして洞窟の中にいたの?」
「あそこを私の部屋にしようと思いまして、下見を兼ねて掃除をしていました」
「ふぅん…………部屋?!」
「はい。水場もありますし、整えれば住み良い場所なるかと」
あそこに住むの?衛生的じゃないし、結局悪霊だっていたし、どう考えても乙女ゲーのヒロインが住むような場所じゃない。
それに九尾の力の修行のために使いたかったのに、住まれたらできないじゃない!
「わ、わざわざあんな暗いところじゃなくても、下宿できる離れがあるでしょう?お父様だって、あなたを洞窟に住ませるなんて反対するわ」
「旦那様からは許可をいただいております」
は?お父様OK出しちゃったの?
それ普通に大人としてどうなの?
「私は穴蔵の方が落ち着くと言うと納得していただけました」
どんな言い訳よ。
でもお父様のことだ。きっと彼女のこれまでの暮らしを誤解したのかもしれない。
親がいなくて種族を持たない人間で、誰にも頼れず穴蔵で暮らすしかなかった……とかそんな感じで。
手近な秘密基地が使えないとなると、修行に適した場所を探すのはなかなか難しくなる。
私の年齢で頻繁に遠くに出かけたら不審がられるから、女学校に通うまではあまり勝手なことはできないだろう。
先手を打たれてしまった、と気づく。
やっぱりこの主人公、私の悪巧みに気づいている。先回りして、私が何かする前に潰しにかかる気だ。
「桔梗様こそ、なぜ洞窟に?」
「……散歩していたらたまたま見つけて、気になって覗いただけよ」
「桔梗様も今まで知らなかったのですか?」
「ええ、ほんと偶然」
私があの場所を狙っていたことわかっているくせに、わざわざ訊かないでほしい。
なんて白々しい会話だろう。
「そうでしたか、今日の折で良かったです。とても危険な状態だったので、もし早めに洞窟を見つけてしまわれていたらと思うと……」
若干煽られているように感じるけど、桜の言葉に違和感が残る。
確かに悪霊はいたけど、そんなに危険な空気は感じなかった。
もう確認する術がないけど、私が洞窟に辿り着く前、本当に何か一悶着あったのだろうか。
ようやく洞窟の外に出る。太陽の眩しさに目を細める。少ししか中にいなかったのに、数日ぶりに脱出できたような心地だ。
桜は私を降ろすと、ついでに巫女服についた汚れを払ってくれる。
「そこまでしなくて結構よ。自分でできる」
もうお互いの魂胆はバレバレなのだから、今さら女中のフリしなくていいのに。変なところで律儀というか。
桜は顔を上げるとじっと私の目を見つめてくる。
「な、なに?」
桜は少し言いづらそうに視線を逸らす。
「……私はそんなに恐ろしかったですか?」
「……?」
問われる意味がわからない。どうしてそんなことを訊くのかしら。
怖かったといえばその通りだけど、プライド的に肯定したくない。
「言い訳でしかないですが……ただ、桔梗様を危険から守りたかったのです」
まさか、まだ猫をかぶるの?
私の監視を続けるために女中という立場を失いたくないから取り繕っているのだろうか。
それとも、私がまだ桜の思惑に気づいてないと思われている?
「誓って私は、桔梗様に刃を向けることはありません。何があろうと決して」
桜の表情は嘘をついているように見えない。
瞳も、言葉も、痛切に感じるほど、まるで本当に私のことを想っているように見える。
……さすが乙女ゲーのヒロイン。人をその気にさせるのが上手い。
そんなこと言ったって、あなたは将来必ず私に刃を向ける。
「……そういえば、その刀はどうしたの?」
どう返せばいいかわからなくて、話題を変える。
なんだか見覚えがある刀だから気になっていたのだ。
「これは……父の形見と言いますか」
「……」
ゲームではお父上はご健在のはずだけど?
娘に亡き者扱いされて少し可哀想だと思ってしまったので、今日のところはその拙い主張を聞くことにしましょう。
ゲームだと確か桜の家の家宝だったはずだ。それを持ち出しているとは……一体どういうふうに説得して家を出てきたのだろう。