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12 血溜まりの約束

 上空や庭園の方が俄かに騒がしくなっていた。

 盗賊たちによる窃盗や、桜や私がいないことに気づいて、燕昂司家始めとした警備が動き出したのかもしれない。


 早く起き上がって、両親や兄様を安心させないと。

 ああ、でもこの格好だと、余計に騒ぎになりそうだ。

 体を洗って、服を着替えて、何もなかったと振る舞った方がいい。


 頭ではそう思うのに、ひどい倦怠感から、桜の肩にもたれ掛かったまま身動きが取れずにいた。

 指一本すら動かすのが億劫だ。

 瞼も落ちてきて、今すぐにでも眠ってしまいそうだった。


「……桔梗様、起きていますか?」

「……ん」

「そのままでいいので、聞いていただけますか」


 虫の音にも掻き消されそうな声だった。

 桜は言葉を選ぶように、遠慮がちに話し始めた。


「鳥の種族が空を飛べるように、サイの種族が力持ちのように、桔梗様にも特別な力があります。ただ、それは、桔梗様自身が思うよりずっと慎重に使わないといけないものなんです」


 桜の声は子守唄のようで、さらに眠気を誘う。

 本当に聞かせる気があるのかと言いたいけど、口を開くのも億劫で、静かに耳をすます。


「体を動かせばお腹が減りますよね。だから力を使えば当然お腹が減ります。でも体を動かすのは茶碗飯一杯で済んでも、力を使うのは茶碗飯一杯と、魚も必要になります。大きな力を使えば、さらに食べたい量は多く、種類も必要になります。……それが、足りなくなったら?空腹は耐え切れるものではないでしょう」


 以前見た不気味な夢を思い出した。

 食べても食べても空腹感が治らなくて、彷徨って食べ物を探し歩いた。

 兄様の助言で「食べるのは人前だけ」と心がけてからは夢を思い出すことも無くなった。


「桔梗様、今お腹空いていませんか?」


 ピクリと耳が動く。

 言われてみると、確かにお腹が空いている。

 子供の体だから体力がないのだと思っていたけど、空腹も相まってこんなに眠いのかもしれない。


「何が、食べたいですか?」


 視線が動いて、頭がなくなった骸の方に吸い付けられる。


「……チーズケーキ」

「チーズ?」

「甘いものが、食べたい」


 恐ろしい考えが一瞬脳裏を掠めて、塗り潰すように必死に好きなものを思い浮かべる。

 捕食欲。九尾の狐と自覚した時からあった他者を食らいたいという欲求。

 最近は治まっていたものが、こんな状況でまざまざと自覚させられる。


 ファッション感覚でしか考えていなかった自分の浅ましさ、愚かさ、無知を心底恨む。

 九尾の本能の恐ろしさを全く理解していなかった。


「……食べたい気持ちが止まらなくなる。それが桔梗様が力を使うことで起きることです」


 桜の言葉は、私の頭に過った考えを裏付けるものだった。

 止まらなくなるなんて可愛いものじゃない、あの夢の通りなら制御不能の暴食に至る呪いだ。


 今日、九尾の力を使ったから、この悍ましい欲求が浮かんだのだろうか。

 そんなことゲームでは説明がなかった。なのに何故桜は知っているんだろう。

 気力だけで頭を起こして、桜と目線を合わせる。


「どうして、そんなこと分かるの?」

「……知っているからです」

「どこで知ったの?」

「……いずれお話します。私の話を信じきれないのは当然ですが、証明できるようなものはなくて」

「信じる、けど……桜は私をどうしたいの?」


 ずっと訊きたかったことを、ついに口に出してしまった。

 上空は一層騒がしくなっていた。

 鳥の種族が起こす風によって木々は揺れ、花びらが散って、血溜まりの上に、私たちの上に、ひらひらと降ってくる。

 桜は静かな水面のように、澄んだ瞳で私を見据える。

 

「守りたいんです。どんな悪意や攻撃からも。桔梗様の持つその呪縛からも」

「……私のため?」

 

 ずっと世のため、人のため、私を監視しているのだと思っていたけど。……私の思い込みだったのかもしれないと、石のように固かった心に、雫が一滴落ちたような心地がした。


「本当に?」

「信じてもらうに足るものは何もないので、行動で証明していくしかありません」


 桜はそう言って苦笑いする。容姿に似つかわしくない随分と大人びた表情だった。

 先の水干の男のやり取りもあって、信じ切るのは難しかった。

 また裏切られたと思いたくなくて予防線を張りたくなる。

 私の心情を察したのか、桜は私の両手を手に取って、額と額を合わせた。


「……ただ一つ、約束して欲しいことがあります」


 両手に指が絡まり手の平同士が重なって、間近に睫毛の伏せられた目、息も触れ合う距離に桜の顔があった。


「日溜まりに居続ける努力を辞めないでください」

 

 まるでこいねがうような仕草だった。

 

「桔梗様は、血ではなく花が、月ではなく太陽が、死を纏うのではなく、生き生きと笑っていらっしゃるほうが似合います」


 私の両手は血で染まっていて、繋いだ桜の手にも土や乾いた血がついていた。

 この状況とはあまりに真反対の幻想で、可笑しく思うのに、桜の真剣な声や表情に何も言えなくなる。


 白木院桔梗の最期は主人公の手によって命を落とす。

 別にそれでいいと思っていたし、足掻こうとも思っていなかった。不思議なほど生存に対する執着がなくて、破滅願望だけがうっすら自分を覆っていたから。


 ──どうして彼女は、そこまでして私に手を伸ばそうとするのだろう。



 温かいもので包まれていた。不安も恐ろしいものもない、光と幸福だけに包まれた空間のようだった。

 ふかふかで柔らかくて、愛おしさで満たされる。どうやらここは布団の中らしい。

 布団の中には湯たんぽがあって、それにくっ付いているのが幸せすぎて、ぐりぐりと頭を擦り付ける。

 起きる前に脳内整理をするのが癖の私は、今日やることを並べて、それから寝る前のことを思い起こした。

 

 はっと目を開くと、黒金剛石のような瞳と目が合った。


「わ、わ、うわっあ!」


 布団から飛び抜けるように出て尻餅をつきながら後ずさって、ひっくり返りそうになる。


「ここ、私の部屋?何で桜が」

「……昨夜、桔梗様が手を離されなかったので、不肖ながら添い寝を」

「は!?」


 昨日の夜のことは覚えている。……桜と約束したところまでは。

 その後のことは多分眠ってしまって、何も覚えていない。

 家にいて、体も綺麗になって服も着替えているから、母や小町が駆け回ってくれたのだということは分かる。


「桔梗様、裾が捲れて」


 裾は直すけども。

 寝間着の裾を直して姿勢も正す。


「……あの後、どうなったの?」

「警備の方が見つけてくださって、すぐに小町さんや奥様の手を借りて、会場の屋敷のお風呂で綺麗にしていただきました」

「お母様も?」

「はい、先頭に立って動かれていましたよ」


 母は穢れを苦手とする人だから、血を見るのも恐ろしかったはずなのに。

 楽しかった宴が一転して、娘が血塗れの姿で見つかるのだから、その時の衝撃は推し量ることの出来ないものだっただろう。


「その後、新しい服をご用意いただいて、着替えてから帰宅となりました」


 それで今に至ると。


「その間、私はずっと寝てたの?」

「いいえ。時折目を覚まされて、そばにいられなかったことを謝る奥様や小町さんに、心配させないよう振る舞っていらっしゃいましたよ」

「……そうなの」

「布団に入ってからはぐっすり眠られていました」


 こういう時、漫画とかだと寝付けなかったり、数日寝込んだりしそうなのに、翌朝普通に起きれているあたり、私は案外タフなのかもしれない。

 日差しの明るさは昼前のもので、日当たりの良い私の部屋は、光が充満しているようだった。昨日の出来事がまるで嘘のように感じられるほど、ここは呆気らかんといつも通りだ。

 でも周りにとても心配をかけたことは間違いないし、何より目の前の少女にはとても迷惑をかけた。


「桜、ありがとう。それからごめんなさい」


 助けられたこと、話してくれたこと。

 信じ切ることはやっぱりまだできないけど、昨日の夜のことは素直に受け止めようと思った。


「やっぱり、桔梗様は日溜まりの中にいるのが一番お似合いです。それを守れただけで私は十分です」


 桜は眩しそうに目を細めて笑った。

 


「桔梗様、桜。お目覚めですか?」


 襖越しに小町の声が聞こえて返事をすると、食事をお盆に載せた小町が入ってくる。

 起き上がっている私を見て、ホッとしたように笑顔になった。


「桔梗様、具合の悪いところなどはありませんか?ご飯は食べられそうですか?」

「心配をかけてしまったわね。怪我もないし大丈夫よ。ご飯もいただくわ」


 小町は大きな黒い瞳をうるうるさせるので、相変わらず庇護欲をそそる可愛らしさがある。

 ……食べたいなどとは思わない。思ってはいけないと、昨夜の出来事が釘のように私の心臓に刺さっている。


「お母様は、どうしてる?」

「奥様は少し伏せていますが、ご飯も食べていらっしゃるので大丈夫ですよ」


 小町は私の心配を察してか、安心させるようにそう言った。

 か弱い兎で巫女の母にとって、血に触れるというのはやっぱり良くないことだったらしい。

 後で必ずお見舞いに行って、大丈夫な顔を見せないとと思う。


「奥様の言伝で、しばらくは稽古も手習も休みにしたので、ゆっくり休養をとってほしいとのことです」

「……全然、元気なのよ?」

「それでも、心配なのです。桜も、ゆっくり休んで」

「すみません私まで。ありがとうございます」


 小町は桜の分の食事も置いて、部屋を出ていった。

 向かい合って「いただきます」と手を合わせてからご飯を食べ始める。


「桜は眠れた?」

「眠るのが勿体無くて、あまり。でも活動に支障はありません」

「勿体無い?」


 桜はにっこりと笑ってそれ以上は何も言わない。

 だんだん桜のことがわかってきた。都合の悪いことは笑顔ではぐらかすらしい。


「私、寝相悪かったでしょ?」

「そんなことないですよ。頭をすりすりして可愛らしかったくらいです」

「忘れて……」

「また添い寝が必要になったらいつでも仰ってください」

 

 忘れてって言った鼻から。

 胡乱げに見つめると、桜は悪戯っ子のように笑ってご飯を食べる。

 私も焼き魚の身をほぐして口に運ぶ。

 小町が私の回復を祈って作ってくれた料理だから、空腹を満たして体力が戻っていくのを感じる。

 

 自分のこれからについて、九尾の力について、仕切り直して真面目に考える必要がある。

 まずは目の前の秘密の多い彼女を知ることから始めようと思った。

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