11 朧月夜の再会
「九尾の君とは思えないほど、力が削がれていますね。ただの狐と変わりない」
水干の男は感情の読み取れない声でそう言った。
男は見た目にも特徴がなかった。何の種族であるとか、服で隠れているだけじゃなく、人間としての個性が何一つ認識できないような感じがあった。
「ど、して……」
喉が震えて、まともに声が出ない。
どうして私を九尾の狐と知っているのか。そもそもあなたは何者なのか。
訊きたいことは山程あるのに、喉が張り付いたみたいに、言葉が出てこない。
「うわあああ!!何だよこれぇ!」
「お、お助け……」
背後で叫び声が上がり、私の術が解けて盗賊の男2人が正気に戻ったのだと気づく。
彼らのボスらしき男の惨状を見て、尻餅をついて後ずさっていくが、水干の男は彼らを一瞥たりともしない。
「何もしないのですか?」
「え?」
布に隠れて表情の見えない男は、私を見下ろしたまま何でもないように言った。
「彼らはここで貴女に殺されるのが定めのはずですが?」
何を、言ってるの。
男は顎に手を当てて少し考え込む素振りを見せる。
「まぁ、その様子では、術の使役もままならないでしょうね」
いや、考え込んでいるのではなくて、私を値踏みしているのだと気付く。
「では僭越ながら、この場は私が」
男が命乞いをする盗賊たちの方を見た瞬間、2人の肩から上が暗闇に消えた。
残された身体から血が吹き出し、辺り一面を血の海にする。
それを見ていた子供達は恐怖のあまり気を失う者もいた。
見られただけで次の瞬間には事切れてしまうなんて、そんなの逃げようがない。
何より恐ろしいのは、この男には殺すことに対する躊躇や、悦びといった機微が全く見えないことだ。
いらなくなったものを廃棄するように、ただ仕事だからと淡々とこなしているようだった。
男は目を見開いたまま固まっている子供の方を見た。
咄嗟に、伸し掛かっていた大男の身体を押しのけて、子供の前に立ち塞がる。
「らしくない行動をなさる」
「やめて」
「そちらの子も今日が定めでして」
「やめて!」
私の制止なんて何の意味もなさずに、身動きが取れずにいた子供が闇に呑まれた。
足元の土が赤黒く染まっていく。
この場で立っているのは、私と目の前の男だけになった。
怖い。
怖い。
次は、私かもしれない。
むせ返るような血の匂いと夜桜の香りが混ざって、目の前は酩酊したようにぐらぐら揺れる。
さっきから起きることは現実味がなくて、九尾の狐だラスボスだと言いながら、自分がいかに無力かを突きつけられる。
でも。しっかり気を保て。無力なりに、今できる精一杯で対抗しろ。
布に隠れた男の顔を睨みつけ、ハリボテの虚勢を張る。
「あなた、は、一体なに?なにが目的?」
「……今宵起きたことは全て貴女の成したこと。そして、貴女は今日の出来事を忘れ、その力も再び眠りに落ちる」
男は私に手を伸ばす。
その手が額に触れるまで、全てがスローモーションのように見えた。
目の前を銀色の閃光が走った。
そして、軽い足音がもの凄い速度で草地を掻き分け、こちらへ走ってくるのが聞こえる。
瞬きの後に、桜が水干の男に斬りかかっていた。
寸でのところで回避した男は、しかし焦ってはおらず、むしろ想定内といった様子だ。
「あの囲いを破るなんてさすが」
「何故あなたがここにいる?」
桜は聞いたことのない冷たい声をしていた。脇差の切先を男に向けたまま、私の前に立ち塞がる。
足元は泥まみれだけど、どこにも怪我はないようだった。ひとまず無事な姿を見れてほっとする。
ちらりと傍にあった木を見ると、幹には短刀が刺さっていて、さっきの閃光はこれが飛んできたのだと悟る。
「君こそ何故ここにいる?君は、私のよく知る桜のようだけど?」
「……その悪趣味な術は何?その力をどうやって手に入れたの?」
「姿と中身がちぐはぐなようだけど、それ大丈夫?」
「桔梗様に何をしようとしていたの?この状況も正気とは思えない」
「桔梗様?ハッ、君、彼女を憎んでいたと思ってたけど」
「……あなたには恩がある。できれば手荒なことはしたくない。だけど、以後私が問うた事と無関係の発言は許さない」
会話の内容から、2人は面識があるらしい。
話はテンポ良く回り、言葉の意味を理解する前に次の話題へ飛んでいくようだった。
「はあ、探り合いは終わりにしよう。彼女は九尾の力どころか、妖力すらほとんどない。君が何かしたのかい?」
「発言は許さないと言った」
桜は感情を置いてきたような口振りで、予備動作なしで刀を振り抜いた。
水干の男は腰のあたりで切れ込みが入る。
「……そうか。どうやら私たちは志を違えたらしい」
男はまた、悲嘆も驚きもない、感情の読み取れない声でそう言った。
男の姿は朧のように消え、その場には二つに切り裂かれた紙人形が落ちているだけだった。
それを見て、ここに来るまで誘導してきたのは、この男の仕業だったのかと頭の端で思う。
何だかとてつもない情報が頭に傾れ込んできたようで、緊張の糸が切れたように膝から崩れ落ちる。
「桔梗様!」
倒れ込む前に桜に抱き止められる。
「申し訳ございません。守ると言ったのに、大事な時に」
「……桜は私がにくいの?」
先ほどの会話で、「憎んでいた」という言葉だけが、小骨が刺さったみたいにやけに耳に残った。
桜は言葉を飲み込むように口を噤んで、そして小さく首を振った。
今にも泣き出しそうな表情で、私の顔についた血を拭うように指で擦る。
その優しい手つきや温度に勝手に涙が溢れてくる。
今さら体の震えが止まらなくなって、嗚咽が漏れる。
そんな私を桜が強く抱きしめた。
私を抱きしめるこの人が、また分からなくなってしまった。
桜の言動は打算ありきの嘘だって思うようにしていたのに、心のどこかで気を許してしまっていた。
それなのに、あの水干の男と知り合いだったこととか、憎んでいたとか。
勝手に裏切られたように感じて、やっぱり彼女は私の敵だと思うのに、ひどく突き放されたような気持ちになる。
でも、今は抱きしめられた温もりに安心感を覚えてしまって、この地獄みたいな景色全てに目を瞑って、耳を塞いで、縋りついて泣くことしかできなかった。




