10 夜桜に攫われる
花篝で照らされた庭園には、本日の主役である桜の木が、夜空を覆い尽くすほど咲き誇っていた。
来賓者は誰もがその光景に心奪われ、口々に褒めそやす。
「……言葉を失う光景ってこういうことを言うのね」
どんな褒め言葉も通用しないような景色に息をつく。
人を惑わせそうなほど、美しく、妖艶な光景だった。
桜がショールを私の頭を覆い隠すようにかけて、なぜか手を握ってきた。
「これは何?」
「桔梗様が、攫われてしまいそうだったので」
心配そうな顔で言う桜に、ぷっと笑う。
桜の木に攫われるという有名な表現のことだと思うけど、それを桜が言うとは。
「まさか桜に?」
「攫ってもいいんですか?」
「冗談に聞こえないのだけど」
「……先ほどから変な気配があるのです。会場では気のせいと思っていましたが、やはり付けて来ています」
桜が小声で耳打ちする。
その表情は真剣で嘘をついているようには見えない。
「どうして?私を狙ってるの?」
「……わかりません。でも桔梗様を見ているような感じがします」
心当たりがないし、私にはその気配が全くわからない。
この場所にはもっと有名貴族がいる。私を狙ったところで、うまみはないと思うけど。
それにここは屋外で、上空には燕昂司家の監視もあるのにそんな大胆なこと──と思っただけど、桜の木々に覆われて、おそらく上空から地上の様子は見えないだろう。警備方法を考え直した方がいいんじゃないかしら。
まだ明るくて人目が多い場所に移動した方が安全だろう。
館内に戻ろうと桜に声をかけようとして、闇が押し寄せてくるような強い突風が吹いた。
目を開けると、さっきまで確かに手を繋いでいたのに、桜の姿が気配ごと消えていた。
「桜……?」
周囲を見回して、耳をすましても、返答はない。
庭園にいた来賓者たちは何事もなかったかのように「すごい風だったね」などと会話していて、私だけが取り残されたようだった。
これは、つまり……桜の方が攫われたってこと……!?
お父様に話す?燕昂司家に通報する?
そもそも桜が狙われたのはなぜ?黒ヤギの耳は偽物で、種族を持たない人間だとバレたから?
様々な考えが浮かぶけど、なぜ私は攫われなかったのかが気になった。
攫う価値がないって言えばそうだけど、直前まで一緒にいた子がいなくなれば、誰だってすぐ大人に言うはずだ。
少しでも逃走時間を稼ぎたい犯人にとっては不都合だから、たとえ不要でも、小さな子供一人、大した抵抗もされないのなら、一緒に連れ去って後でポイすればいい。
だからこれは強襲、目的の人物だけ攫ってすぐ撤退、あるいは状況が撹乱しているうちに逃げるつもりかもしれない。……ならば大人を巻き込むような大事にせず、犯人に気取られないうちに見つけた方がいい。
自分に蓄積されている妖力を確認して、不意打ちくらいなら出来るだろうと頷く。
何より、私はラスボスなのだから、人攫い如きに負けるのは癪だった。
ふいに足元を白いものが横切った。
高さ10 cmほどの紙人形のようなものが、てくてくと茂みの方へ向かって歩いていた。
じっと見つめていたら、その紙人形はまるでついて来いと言うように立ち止まった。近づいてみると、またてくてくと歩き始める。
「そっちに何かあるの?」
話しかけるけど、当然ながら紙人形は何も言わない。
他に手掛かりはないし、それに何となく見覚えのある紙人形だったので、警戒しながらも着いて行くことにする。
しばらく進んでいると、茂みの奥の方からボソボソと男性らしき話し声が聞こえた。
「次狙うのは……」
「ああ、……を盗んで」
会話の内容は盗みを企んでいるようなものだった。
まさか、この人たちが犯人?紙人形のいた方を見ると、いつの間にか消えていた。
誰が手助けしてくれたのか気になるけど、今はこの犯人たちに、どうやって桜のもとまで連れて行ってもらえるか考えなきゃ。
やっぱりここはあの手段を取るのが一番手っ取り早い気がする。
今まで試したことはないけど、やり方は本能でわかっている。
「貴族の子女も狙った方がいいんじゃねぇか?」
「さすがにそれは大事になるだろ」
「何のお話をしているの?」
「!!」
「誰だ!」
私は盗賊たちの前に姿を現す。
男2人が驚いたように振り返って、私の姿を捉えた途端、固まった。
微笑を湛え、2人に近づく。
目を合わせ、相手が少しでも私に対して好印象を持ったら、もう術中だ。
彼らの目はとろんとして、心が私の手中に入ったことがわかって、口角を上げる。これで彼らは私の言うことを聞いてくれるようになったはずだ。
緊張で心臓がばくばくしていたけど、まさかこんなにうまく行くとは思っていなかった。
「ねえ、あなた達が連れ去った女の子を探しているのだけど。どこにいるの?」
「こちらに……」
盗賊たちは立ち上がって、茂みをさらに奥の方へ進んでいく。
2人はそれぞれイタチとコウモリの種族で、見た目は小汚い浪人のようだった。
コウモリがいるならあの時の突風にも納得がいく。きっと目にも止まらぬ速さで飛んできて桜を捕まえたのだろう。
何とか無事見つけられそうでほっとする。
桜って本当に主人公なのね。まさか実際に誘拐される場面に遭遇することになるとは思わなかった。
嫌味を言ってやりたいけど、何だかんだ九尾の力を試せたし、ちょうどよかったかもしれない。
盗賊たちが少し開けた草地の前で立ち止まったので、その背中越しに覗いてみると、年端もいかない痩せた子供たちが、盗賊たちを見て怯えた目をしながら身を寄せ合っていた。
なぜか子供たちの手元や足元には、貴族が持っていそうな時計や扇子、鞄などが散らばっている。
──2、3人いる子供たちの中に桜の姿はない。
「……どう言うこと?」
「こいつが連れ去ったガキです」
イタチの盗賊が、サルの種族らしき少女を指差す。
汚れた身なりの少女はびくりと肩を震わせる。どう見ても桜ではなかった。
桜はこの盗賊たちに攫われたのではない?じゃあどこに……。
そもそもこの子供たちは一体?身なりからして貴族の子供ではない。どこから攫ってきたのか。
「おい、アニキどうしたんだよ。なんか様子おかしいぞ」
灰色のボサボサな毛を靡かせて、一人の少年が盗賊たちに近づいてくる。
身を寄せ合う子供たちとは少し離れた位置から現れたその子は、首から上は完全な狼で、着物に隠れていない部分の肌も毛に覆われ、足袋も履いていない足は狼のように大きく鋭い爪があった。
前のめりの姿勢で盗賊の男たちを見る瞳の色は左右で違っている。
狼の顔立ちの違いは正直わからないけど、彼が盗賊の一員であること、そして何より右目が金色で、左目が赤色というオッドアイであることが、とある人物だと示唆していた。
狼男の種族で、攻略対象の一人、煌夜。
「おい、あんた何やった」
煌夜はグルルと威嚇しながら私を睨む。思わずぎくりと肩を震わせる。
確か煌夜は人の美醜には一切靡かないキャラクターだったはず。
ゲームでも桔梗の術はほとんど効かなかった。
子供といえど、狼と同等の能力を持つ煌夜に目をつけられたら、逃げ切ることはできないだろう。
……だったら、違う手を使う。
「そ、そっちこそ!」
「あ?」
「あなた達こそ一体ここで何やっているの?!この子達は何!?」
勢いで捲し立てると、煌夜は見るからにたじろぐ。
「まさか、この子達を使って盗みを働いていたの?」
「うるせぇよ!それより、アニキたちに何した!今すぐ元に戻せよ!」
図星みたいね。どこから攫ってきたか分からないけど、どの子も手先が器用だったり、気配を隠すのが上手い種族ばかりだったから、脅して花の宴に集まっている貴族達の所持品を盗ませていたのだろう。
煌夜は気の強い相手には意外と弱い。ゲームでも主人公は強気ムーブをすることで煌夜の好感度を上げるから、ほとんど賭けでそれを真似てみたのだけど、よかった。うまく丸め込めそうだ。
「何を騒いでいる」
「!」
背後から音もなく現れた男は私の口を手で塞いで、さらに煌夜を容赦なく蹴飛ばした。
蹴飛ばされた煌夜は木にぶつかり、ぐったりと倒れる。
子供達は顔を青くして一層震え上がる。
「馬鹿が騒ぐんじゃねぇよ、ツバメに勘付かれたらどうすんだよ」
低い声で唸るように吐き捨てた大柄の男は、イグアナの頭をした種族で、私の顔を潰しそうなほどの強い力で地面に押し付けた。
明らかに他の小物とは違う、本物の悪党。
「お前はうちの子分に何をした?」
細められた目は無感動に私を見下ろし、
「……ああ、その目が危険だな」
男は空いている方の手で拳を握り、私に振り下ろした──拳が当たる直前に、その腕ごと、頭ごと、暗闇の中に消えた。
頭と腕を失った体は血を吹き出しながら、こちらに倒れ伏してくる。
生暖かい血が顔にかかり、服に染み込み、まるで血溜まりの中に沈んでいるようだった。
「失敬、あまりに反撃しないようだったので、手を出してしまいました」
いつの間にか、私の傍らに一人の男性が立っていた。
夜桜の隙間から、淡い月光が差し込み、その姿を照らし出す。
顔を薄く透けた布で隠し、白い水干を身につけた、浮世離れした空気を持つ人がそこにいた。




