1 白木院桔梗
この世界の住人は皆、何かしら獣の要素を持っている。
獣の耳と尻尾だけ生えているだけの人もいたら、顔の骨格から獣で、全身毛に覆われているような人もいて、獣要素の比率は人それぞれだ。
種族でポピュラーなのはネズミ、イヌ、ネコ、ウサギといった日本でも飼育でお馴染みの動物。動物園でしか会えないようなオオカミ、ライオン、トラ、クマといった動物はちょっとレア。爬虫類や魚、鳥の要素を持つ人もいる。
種族の中でも、激レアと呼ばれる種類がある。それは幻想種の要素を持つ人だ。幻想種は龍などのように、ほとんど伝説上にしか登場しない生き物のことをいう。幻想種を持つ者は特別な力を持っていることが多く、また希少なため国でも重宝される。
種族は遺伝ではく、ネズミの両親からペンギンが産まれて来るなど、その人の魂の属性に由来する。
だが、稀に種族の要素を持たない人間が生まれる。幻想種以上に伝説のような存在とされており、曰くその者は結ばれた相手の種族の子を産むことができるのだという。
……はい、ここまで乙女ゲー「ト色に希う」の世界観の説明でした。
日本の明治〜大正時代あたりをベースにしており、ロマンス有り、戦有り、魑魅魍魎あり、さらにケモナー要素有りと各方面の性癖をぶち抜いた乙女ゲーとして一世を風靡した作品だ。
私はそのゲームをプレイしたことのあるごく普通の一般人だったのだが、何故かゲームの登場人物に転生していた。
部屋に設えられている鏡に映る自分の姿を見つめる。そこには齢7歳の美少女が立っていた。
白銀に輝く髪は柔らかくウェーブして腰まで伸び、髪と同じ白銀の睫毛に縁取られた目は切れ長で、幼いのに知的でミステリアスな雰囲気がある。瞳はまるでレインボーアメジストのように薄紫色の瞳の中に虹色が輝き、不思議な吸引力がある。まるでお人形のような美貌だ。
私もこの世界の住人らしく、獣の要素を持っていた。
獣の要素は耳と尻尾のみなので、割合は10パーセントといったところ。
種族は狐。しかしただの狐ではない。幻想種・九尾を持って生まれた。
「ト色に希う」の九尾ってラスボスじゃん、と記憶を手繰っているうちに気づく。
ラスボスの名は白木院桔梗。
ゲーム序盤では主人公を優しく導くガイド的な立ち位置だったが、ストーリーが進むにつれその邪悪さが露見し、最後には主人公と攻略対象が力を合わせ打ち破る強敵となる。
白木院家は皇室とゆかりある神社の神主を代々務めており、桔梗も立派な巫女になるべく修行をしている。
自分の背後を見ると、白銀の毛に覆われた一本の尻尾が揺れた。
桔梗はまだ幼いので、力を十分に発揮できず、今は尻尾は一本しか現れていない。
家族などの周囲には、幸福を呼ぶとされる珍しい白狐と思われているが、成長し、妖力を集めて九尾の狐へと変貌するのだ。
私は世界の敵となる存在で、いずれ処刑が待っている──。
ゲームの桔梗のように悪事を働かなくても、九尾というだけで討伐の対象になるだろう。
この世界で生きてきた数年の知識がそうなることを示している。この世界における九尾の狐とは現れるだけで人々を惑わし、世を乱す悪の象徴とされ、見つかればすぐ陰陽師が大勢やってきて手も足も出せず殺されるだろう。
窓の方へ行き、空を見上げる。満月が雲間から顔を出し、月光が降り注ぐ。
妖力が微かに高まるのを感じて、自然と口角が上がる。白木院桔梗のポテンシャルの高さを実感する。
真面目に生きたところで死ぬし、だったら、全力で悪役ムーブしたい。そして度デカく散りたい。
え〜〜だってさぁ、九尾って何それぇ……。
厨二病はとっくに卒業したはずなのに、くすぐられるに決まってるでしょ……!
それに私はゲームプレイ時から白木院桔梗が憎めず、むしろ大好きな悪役だった。だったらやるのは九尾バレを恐れてビクビク生きるのではなく、堂々と!美しく!派手に!悪役やりたい!
来年から女学校小学科へ入学することが決まっている。
この世界での小学科は6歳以上で入学でき、11歳まで学ぶ。そして12歳で中学科に進み、18歳で卒業する。女学校なので、結婚などの理由で18歳を待たず中退する者も多い。
主人公は編入生として14歳の時にやって来る。
それまでに策を巡らし、下僕を多くつけ、主人公の前に立ちはだかる大きな壁となって現れてやろうじゃないか。
心は決まった。これでぐっすり眠れるわ。
ここ一週間ほど具合の悪い日が続いて、まともに睡眠がとれていなかったのだ。
おそらく私が記憶を覚ます予兆だったのだと思う。
私は満足に頷いて、布団の中に入りさっさと眠りについた。
翌朝。私の様子を見にきた女中の小町が、元気になった私を見てホッとしたように笑顔になった。
「桔梗様、元気になられたのですね」
「心配をかけてしまったわね。もうすっかり大丈夫よ」
小町の種族はカヤネズミで、獣要素は耳と手足と尻尾。顔つきもハムスターのように愛らしく、三角形の目に大きな黒い瞳でうるうると見つめられると、すごく庇護欲がそそられる。
ああ。どちらかというと食べてしまいたいくらい可愛い。
いけない。九尾と自覚したからか、捕食欲が鋭敏になっている。
今までの桔梗は自分が九尾という自覚はなかった。普通の狐として生きていたから、捕食欲にも鈍感だったが、九尾の狐は他者を食い妖力を貯める性質を持つ。実際に食べることもあるが、品を大事にするのも九尾の性質なので、心を奪ったり、生命を吸い取ることを捕食としている。
これは……なかなか我慢が難しい。
前世(といっていいか不明だけど)で忍耐だけが取り柄だった私でも、食欲という人間の三大欲求の一つには抗いがたい。九尾の狐の本質とも言える欲求だ。もしかしたら、ゲームの桔梗はこの欲求に負けてしまったのかもしれない。
「桔梗様、本日から新たに桔梗様の身の回りのお世話を致します女中を、紹介させていただいて良いでしょうか?」
「新しい女中さん?」
「はい。桜、こちらへ」
え?と思う。
桜って……ゲームの主人公の初期名だったはず。
小町の隣に正座した少女を見て、ざわりと全身が粟立つ。
まっすぐで光沢のある黒い髪は肩あたりで切り揃えられ、アーモンド型の大きな目にブラックダイヤモンドのように何色にも染まらない、己だけの輝きを放つ漆黒の瞳。顔立ちは幼いけれど、ゲーム主人公の面影がある。
何よりも、獣の要素がどこにもない。
「桜と申します。桔梗様、よろしくお願いいたします」
年相応の舌足らずな声で挨拶し、頭を下げる。
なぜここに?そんな設定だっけ?いやいや、桜は幼少期は武士の子として貧しい暮らしをしていて、14歳になったときに、桜の将来を憂いた父親が貴族のもとに養子に出したのだ。この時期に、こんなところにいるわけがない。
桜は緊張した面持ちで私を見つめているが、瞳には見た目の年齢以上の知性を感じる。
もしかして、私と同じようにゲームの記憶がある?そんな簡単にゲーム知識を持つキャラクターが何人もいるとは考えにくいけど、その前提で考えたとすると、将来やらかす悪女を今のうちから潰したいとか?
ゲームのバッドエンドでは国土のほとんどを桔梗が掌握し、数十万人の犠牲者が出ることになる。国を滅ぼすほどの力を持つ悪女だ。そりゃ確かに芽は早いうちに潰したほうがいいけど……ストーリーガン無視やないかい。
せめてもう少しストーリーに沿おうよ。開発陣が泣くわよ。
気持ちを落ち着けるために小さく咳払いをする。
「桜ね。私と同い年くらいに見えるけど、今はいくつなの?」
「今年で7歳になります」
やっぱりゲームと同じく私と同い年か。
「あら、私と同い年だわ。ぜひ仲良くしましょう」
にこりと笑うと桜は頬をピンクに染める。桜餅みたいで随分と可愛らしい。
たとえ主人公でゲーム知識があっても、この桔梗の見た目には見惚れるわよね。
「よろしく、桜」
たった一人の犠牲者も出したくないとでも考えているのだろうか。随分と正義感溢れること。
いいでしょう。あなたに立ちはだかる敵として、その挑戦受けて立とうじゃない。