その1
「ごめんよ。でも……母上が大事だから。…………すまないね」
言いたいことを言って、背を向ける王子セハル。
今日は婚約者同士のお茶会だが、本当にお茶を飲んで数分で席を立ってしまうことが多かった。
あの人は、いつも優しい。
「ああナルカ、君は綺麗だ」
「努力する君を尊敬するよ」
「大好きだよ」
それ以上に、母親である王妃を褒める彼。
いつも台詞の後には、この一言が付くように聞こえた。
「ああ、君は綺麗だ、母上の次に」
「努力する君を尊敬するよ、母上の次に」
「大好きだよ、母上の次に」
子供が母親を敬愛するのは、ある程度は仕方がないことだと思う。
でも……… 彼の言う母は義理の母だ。
彼が10歳の年に、国王が後妻に娶った16歳の伯爵令嬢だった。
美しく聡明な彼女を、国王が望んだらしい。
彼からすれば、姉のような年齢だ。
恐らく初恋も、その義母ショニュリなのだろう。
当時、彼女には好き合った婚約者がいたらしい。
双方の両親も認めた仲であったが、国王に望まれては話が変わってくる。
王に望まれては、断る訳にはいかない。
それ以上に、両家には好条件が提示された。
ショニュリの父親には、役職の昇進を。
婚約者のトミー・ヘリマン侯爵令息には、新たなる婚約者を紹介した。ショニュリの友人で、両親は資産家のルミー・ピミット伯爵令嬢。
美しさはショニュリには及ばないも、可愛らしい顔立ちで人気があった。たおやかな蜂蜜色の髪と瞳、女性らしい体つき。
国王の不興を買うより、従う道を選んだ両家。
ルミーの母は王妹である。
ルミーは、自分より男性に人気のあるショニュリが嫌いだった。
だから国王に、こう囁いた。
「ねえ、伯父様。悔しいけれど、ショニュリは美しくて賢い女性よ。王妃に相応しい人材だわ。………それに、伯父様のこと、尊敬しているって。理想の男性だと仰ってたわよ」
最初は戯言で聞いていた国王も、何度も囁かれるとその気になってきた。
「それ程までに、好いてくれているのならば」
そう、この結婚には陰謀があったのだ。
トミー・ヘリマン侯爵令息は、ずっとルミーが目を付けていた令息の1人だ。銀糸の艶やかな髪と琥珀色の瞳は、憧れている令嬢も多かった。筋力はそこそこだが知性高く、高官の約束される有望株。
だがどうしても、彼を望むと言うことでもない。
王妹が母の彼女なら選び放題だから。
只只ショニュリに嫉妬していただけ。
彼女を貶めたいのだ。
結局ショニュリの意向を聞かぬまま、彼女は国王の後妻になった。
周囲から見れば、伯爵令嬢が王妃になったのだから名誉なことと思われた。
後妻を狙っていた女性達からは、勿論嫉妬された。
「綺麗なだけの小娘が!」
「社交経験も乏しい子供に、王妃が務まるか」等と、影で散々言われた。時には正面からも。
聡明な彼女は、ただ微笑んで悪意をかわしていく。
優秀な彼女は公務もすんなり熟すが、それもまた面白くないと揶揄される。
国王との間に子は出来なかったが、前王妃の忘れ形見であるセハル王子を慈しみ穏やかに日々は流れていった。
そして彼セハルが15歳の時に、私ナルカ・マーロウ侯爵令嬢との婚約が結ばれた。
セハルは、幼い時から数度婚約が解消されていたようで、私は13歳の時から留学に行き、卒業後に一度戻って来た時の、婚約者がいないタイミングを狙われたようだ。既に王命とされた婚約は断れない。
金髪碧眼の美しい王子だ。
本来なら既に婚約者がいて当然だった。
でも皆が、不敬を承知で断っていった。
「申し訳ありません。でも、娘があまりにも不憫で…… どんなお叱りも受けますので、どうか」
愛しい娘を守る為に頭を下げる家臣に、国王は何も言えなかった。
原因は息子の行き過ぎた母への愛だから。
「自分の伴侶になる者を大切にしなさい」
それでも国王は何度か嗜めたが、改善はされなかった。
何もなくとも、言葉の端々から滲み出る王妃への思い。
もし結婚してもこの状態ならば、きっと婚約者は嫉妬に苛まれる。
だから婚約が決まらなかったのだろう。
そんな感じで、ナルカとの婚約状態が3年続いたある日、王妃が亡くなった。
病による急死と言うが、そんな予兆は見えなかった。
ただ透き通るようなやけに白い肌と、不健康そうな痩せぎすな状態は続いていたようだが。
そして3日後、セハル王子も急死したと報告を受けた。
私は何となく、そんな予感がしていた。
彼と最後にしたお茶会で、彼は今までのことを謝ってくれた。
わざと王妃のことを引き合いに出して、嫌われようとしていたと。
彼女は何年も拒食症で、定期的に医師から栄養剤の点滴を受けていたそうだ。
それ以前に、彼女は嫁いですぐに、自殺未遂を起こしたらしい。
理由は、信じていた友人に裏切られたからと言っていたそう。
国王は彼女が望んで嫁いだと思っていたが、初夜を終えて話してみると食い違っていた。友人だと思っていたルミーに、彼女と伯父である国王は嘘をつかれたのだ。
彼女は、人知れず泣いていたようだった。
泣き痕は化粧では隠しきれない。
それほど愕然としても、もう後には戻れない。
蟠りは残るも、国王と王妃の多忙な日々は続いていく。
重鎮の家臣からは、スペアの世継ぎを催促される。
ぎこちないままに閨事は続けられるが、ある日衝動的に手首を切り自殺未遂をしたショニュリ。
幼いセハルは、遊んで欲しくて訪ねた王妃の部屋で、手傷を負う彼女を発見した。血を吸った布団が、真っ赤に染まっていく。
「ああ、死なないで母上。お願い、置いていかないで!」
姉のように接してくれた優しいショニュリに、セハルは気を許して依存していた。そんな彼女が死の淵に立っていたのを見て、無意識に亡き母の最期と重ねてしまう。
「母上、死なないでください。嫌だー、もう1人にしないで!!!」
それを見て微笑むショニュリ。
「ごめ、んね。死、なないわ」
傷のない右手で、彼の頭を撫でたショニュリ。
彼の泣きわめく声で人が集まり、彼女は一命を取りとめる。
それを知った国王は、誰に言われても閨事は中止し、彼女を丁重に扱うようになった。
そしてセハルは、彼女から離れなくなった。
ショニュリも弟のように大事なセハルの母が、病により亡くなったことを知っていた。おそらく自分の自殺未遂で、それを思い出したことも。
そこからショニュリとセハルは、見えない絆で繋がれたのだ。
共依存と言う形で。
(※共依存とは、自分と特定の相手が過剰に依存した関係性を持ち、その人間関係に囚われた状態)
ショニュリにはセハルに、自分が死なないことで実母の死を思い出させないようにし、セハルはショニュリが死なないように見守った。監視と言っても良いくらいに。
それが彼の成長で揺らいでいく。
婚約者が出来ることで。
ショニュリは思った。
(セハルは大きく立派になった。なら、もう自分の役目は終わったのだ)と。
再び手首を切る方法を取る彼女。
いつも手袋をしている彼女の手首には、深い傷痕が数本ある。
そしてまた、セハルが気づき命を繋ぐ彼女。
その度彼も疲弊していく。
国王は厳重に観察強化を依頼するも、側近達は従わない。
(どうせ世継ぎも産めないなら、いっそのこと…… 国王には健康な王妃が必要なのだ。そして王子の為にも)
その思考は侍女やメイド、執事や使用人にも感染していく。
そんな環境で、セハルはショニュリを見守ってきたのだ。
セハルは18歳、ショニュリは24歳。
仲の良過ぎる二人に、何かあったのではと周囲は邪推する。
………でも、そんなものはないとナルカは確信していた。
もしそんな艶かしいことがあったなら、きっと死んだりはしないだろうと思うのだ。
王族の死に、国は喪に服す。
私の婚約は白紙となり、留学先であった隣国へ再び渡り、考古学教師の職を得た。こちらに戻る前は、初めからそのつもりだったから。
隣国に行く前、彼のお墓にこう尋ねた。
「全てを手放して、貴方は楽になれたの?
ねえ、セハル?」
青空の下で流れる風が、『ああ、幸せだよ』と吹き抜けて行った気がした。
さようならをして、その場を去る私。
ここにはもう来ない。
きっと彼も、もうここには留まらないのだと思うから。
愛しい魂と一つになって、在るべき場所へ向かう気がする。
私はいつも辛そうな、でも愛おしいものを隠しているような彼を、好きになりかけていた。それが永遠に届かないものと知っていても。
国王は王弟に位を渡し、王妃とセハルの冥福を祈る為に教会に入った。
「最初からこうするべきだった。もっと早く自由にさせてやれば良かった」と後悔を滲ませて。
国王はずっと彼女を愛していた。
だから手放してやれなかった。
ショニュリの両親と弟妹も悲しみに暮れた。
「私達の為に、離縁もできなかったのだろう」と。
子宝に恵まれず辛い立場だと言う噂は聞いていたのに、結局何とかできていると思い、手を出さずじまいだった。
元婚約者のトミーも、早すぎる死を悼んだ。
元友人?のルミーは、何とも思わなかった。
「あいつ死んだんだ」程度の心境だった。元凶なのに。
今も外に出ては、内緒の浮気を繰り返している。
人の心が解らないルミーには、幸いにして子がいなかった。
彼女には未来永劫できることがないのだが、知るのはまだ後。
ただ新国王となる王弟は、一連の出来事を調査し把握した。
彼は客観的に動く男だ。今までのように甘くはない。
ショニュリが、常習的に避妊薬を内服していた情報も入手した。
「貴女にとって、子は不要だったのか?」
少なくとも子がいれば、今よりは立場は安泰になったろうに。
他に方法がなかったのか、時間があると考えてしまう。
でもきっと、彼と彼女に必要なのは、お互いの存在だけだったのだ。
歪んでいても、それだけが真実だったのだろう。
それでもこんな出会いでなければ、こうはならなかった筈なのだ。きっとここまで、引かれ合わなかっただろう。
……………全てが、憶測に過ぎないけれど。
今後王弟は、ルミーの、否親族の好き勝手を決して許さないと決意した。家臣や使用人達の振るまいにも、目を光らせていくだろう。
二度と同じ悲劇が起きぬように。
彼は気の毒な目に合わせてしまったショニュリに、王族として心から謝罪をした。
(申し訳ない。貴女の人生を壊してしまった)
そっと墓石に、白百合の花束を添えた。
それでも……………
ショニュリとセハルが共に過ごした時間だけは、少しだけでも慰めになっていたと信じたい。
7/25 9時 日間ヒューマンドラマ(完結済)14位、19時9位でした。
ありがとうございます(*^^*)♪