待ち時間
「失礼します」
ノックをし、礼儀正しく声をあげながらソフィーは扉を開く、部屋の中は幾つかの本棚と机、椅子が並べられており、職員用のデザインが施されたローブ纏う人達がせわしなく動いている。
「ああソフィーさん、いらっしゃいー」
そんなせわしなく動く人の中で三つ編みをした茶色い髪の女性がソフィーの声に反応して声を掛けてくる。
彼女は白と黒の教師服の上に短い紺色のローブを羽織っており、小さな魔女帽を被っている。
「ドロテア先生、お時間よろしいですか?」
「ええ、勿論」
ドロテアは手に持っていた資料を机の上に置いて、歩いてきたソフィーに体を向ける。
少々間の抜けた声に似合わず、机の上はきっちり整理されており、その隅っこでは黒い体を持つ鳥が紙を見ている。
「ありがとうございます、さっそくなのですが、ダンジョンの件で来ました」
ソフィーは軽く頭を下げた後、カバンから紙を取り出し、ドロテアへ渡す。
「うんうん、やっぱりダンジョンの許可書だね、ちょっと待ってて」
ソフィーが渡した紙はダンジョン探索の許可書である、少々書くことが多く面倒だが、これがあるからこそ生徒達への最低限の安全が保障される上、そもそもこれを受理して貰わないと探索を完了しても成績として含まれない為書かない者は居ない。
ドロテアは慣れた様子でソフィーから紙を受け取り、目を通していたが暫くして、眉をひそめる。
「何か不備がありましたか?」
「ええっと…不備はないんだけどね?いきなりで、しかも緑青罠の遺跡は危ないと思うかな、ここは危険度が高いダンジョンだから、もう少し低い所から…」
ダンジョンは危険度がD~Sの五段階に分類されており、ソフィーの行く予定である緑青罠の遺跡は上から二番目に危険なAランクである。
危険度の高い所へは条件を満たしている生徒だけが許可されており、ソフィーは召喚以外は高成績者である為、幅広くダンジョンへ向かえる、とは言え使い魔と二人だけでの探索は推奨されていない。
「大丈夫です先生、遺跡の情報は既に調べていますし魔法の腕ならば十分に自信があります」
「確かにソフィーさんの成績は十分だけど授業と実戦では全然話は違うよ?」
(ドロテア先生もあいつと同じ用な事言って…)
ソフィーの脳裏にヘラヘラとした死神が浮かんでくる、と言っても顔は仮面で見えないのだが…それでもソフィーは軽い苛立ちを覚える。
「大丈夫です、許可書に問題が無いのであればそのまま通してください」
「うーん…でも…」
短くキッパリと言い放ち、ソフィーは引くつもりが無い事を伝えるが、ドロテアは目を瞑って考え込むように首をかしげ、もう一度口を開こうとしたその時。
「やっ…」
「ハヤクシロ!ハヤクシロ!」
「ひゃ!」
「わわっ!」
突然聞こえてきた甲高い声にソフィーとドロテアは驚き、声の方を向く、するとドロテアの机の上に居た黒い鳥がそのまま鳴き声をあげながらドロテアの肩に飛び乗る。
「テウゴカセ!テウゴカセ!」
「ちょっとクラサン!生徒の命が掛かってるかもしれな痛い痛い!」
クラサンと呼ばれた黒い鳥は翼をバサバサと広げながら口答えするなとばかりにドロテアの耳をつつき始める。
「タクサン!タクサン!」
バサバサとクラサンは机の上に戻って、今度は重なった紙をつつき始める、どうやら仕事が積まれていて急かしているようだ。
「もー!わかったからもう少し待ってて!」
「ッチッチ!ハヤクシロヨ!ハヤクシロヨ!」
舌打ちのような音を出したあとクラサンは再び紙を見始める、その様子にドロテアは軽くため息をついた後、ソフィーに向き直る。
「ふぅ…ひとまずソフィーさん、これで受け取っておくけど、本当に気を付けてね?」
ドロテアはそういいながら机引き出しから小さい紙を取り出し、ソフィーに渡す。
その紙には番号が書かれている。
「はい、それでは失礼します」
ソフィーはそっけない返事をしながら番号の書かれた紙を受け取り、用は終わったとばかりに部屋を出て行く、そんな彼女にドロテアの心配そうなため息は聞こえていない。
「ほら、さっさと次いくわよ」
「ハイハイ、次はどちらへ?」
部屋を出てドアを閉めると、壁に背を預けていた死神に声を掛けてソフィーは歩き出す。
「一階の学園受付よ、場所的にはここから一回降りて職員室の裏に当たる位置ね。そこでさっきの許可書が受理されるまで待つの」
「それは時間が掛かりそうですね…」
「まぁね…それはしかたないわ、とはいえ待っても20分ちょっと位じゃない?比較的早く出した方だし」
ソフィーは事前準備をしていた上にソロでの出発、動き出しは早く行える、既に少し忙しそうにしていたのを見るに既に提出している者は何人かいそうではあるが…
「なるほど、それじゃあ待ってる間行くというダンジョンの詳細でも教えてもらえます?」
「ん、ああそうね…とはいえ大したダンジョンでは無いわ、まず名前の由来から話しましょう」
一呼吸置いて、ソフィーは調べたダンジョンの内容を思い浮かべながら喋り出す。
「名前はダンジョンの特色を表す大事な情報、緑青罠の遺跡はその名の通りゴブリンやオーク、青いスライムが出現するダンジョンね」
「聞く限り楽勝そうなダンジョンですね、Aランクですよね?」
「まぁ結局は学園が学生には危険だろうと判断したランクだから、とはいえこの遺跡の厄介な所は罠の方よ」
「なるほど、それはどんな罠が?」
「一般的な物よ、毒矢に落とし穴、吊るし罠とか、ただ小さい部屋は閉じ込められた上で凶悪な罠が発動したりするから特に注意しなきゃいけないわね」
「はぁー…それは気を付けないと一発アウトな遺跡ですねぇ」
「ええ、それとそんな罠の多いダンジョンを我が物顔で歩けるモンスター達はある程度の知恵や洞察力があるという事ね」
「…なんか一気に難しそうなイメージが付きました」
「Aランクに分類されてるんだからある程度はね」
そういいながらも淡々と説明するその様子は自信の表れであり、失敗をするとは微塵も思っていない事が死神にも伝わる。
「さて、ちょうどついたしこの位でいいでしょ」
二人が話している間に目的地である学園の受付に到着する。受付は壁にガラス窓が付いており、その先は中くらいの部屋が見え、
その受付の前にはいくつかのロングチェアが並べられている、そして特に目を引くのが受付の上部分に付けられた大きなモニターだ。
ソフィーは空いているロングチェアに座ると先ほど渡された紙とモニターを見比べる、その紙には1223と書かれており、モニターには区分けされた幾つかの数字の内、7番目に紙と同じ番号が映っている。
「やはり時間掛かりそうですね」
「まぁ許容範囲でしょ、少し待ってましょ」
「そうですねー…」
そういってソフィーは脚を組んでカバンから取り出した本を読み始め、死神は座ったままローブを閉じて眠り始める。
本来なら時間までそれで静かに時を過ごせるだろう、しかしここにはソフィー達の他にも暇な時間を過ごしている者達が複数おり、話題の種であるソフィー達が無視されるわけがない。
「あ、見てみろソフィーだ」
「こんな早くダンジョン申請して待ってるなんて頑張って評価取り戻そうと必死だな」
「どうせ行っても無駄なんだから混まない時間にすればいいのに、迷惑だよね」
「…ふぅ」
本を読みながらソフィーは小さな溜息を付く、表には自身の感情を出していないが唯一出たその溜息には深い疲労感を感じられる。
「…ここでも有名ですねお嬢様」
そんな感情を少しでも紛らわす心はあるのか死神は目を瞑ったまま小さく声を掛ける。
「ええ…とはいえただの妬みみたいな物よ、昔からそんな連中沢山いたから」
「へぇ…こんな奴召喚しても強気ですね」
「当り前よ、あなたがどんなでも私の実力は変わらないわ。今は私の強がりだとしても直ぐに彼らの妬みだと証明するから」
「はぁ…それは、頑張ってくださいね」
「あなたも頑張るのよ!」
ソフィーは少し抑えめの声を出しながら隣で眠る体制のままの死神を睨む、そんなソフィーに対して彼は小さく肩を竦めるだけだった。
「はぁ…あなたはほんと痛っ…」
「おお、すまないすまない、足が滑ってしまった」
また文句を一つ言おうとしたところでソフィーの座っていたロングソファの後ろから強い衝撃が来る、後ろを振り返るとヘラヘラとした少しふくよかな体をした男子生徒が平謝りをしてくる、身なりからして貴族だろう。
「…気を付けてください」
明らかにワザとで無いと来ないような衝撃ではあったが、無駄な騒ぎは起こしたくないのでソフィーは一言冷たくそう言って本へと視線を戻す、しかしその男はそこで終わらせるつもりはないようで再び口を開く。
「おっとっと、君はよく見るとソフィーさんではありませんか、噂は聞いておりますよ」
「…それはどうも」
「せっかく優秀だというのに使い魔がただ亡霊だなんて可哀そうに…代われるものなら変わってあげたい物ですねぇ!」
「…どうも」
大げさな様子を出しながらペラペラと喋る男の言葉を右から左に流しながらソフィーは本を読み続ける。
明らかに興味が無いという様子を出しているのに男は知らないのかわざとなのかしつこく話続ける。
「そこでなんですが、どうでしょう、私とパーティを組みませんか?何分私少々コネがありますので、そこのゴミみたいな使い魔一人では不安でしょう」
男は嫌に派手な腕時計を一度見せた後、死神を指差しながらその表情は親切してます、と言ったような嫌な感じだ、幸いなのはソフィーが本に視線をやっていてその表情を見ていない事だろう。
(あんたと行く方が危険だわ)
(こんなクソ貴族のお手本みたいなのいるんだなぁ)
ソフィーと死神はそれぞれ本を読み続けたり、寝たふりをしながら心の中でそう思い、その男の言葉を流していく。
「…君達!さっきからなにかね!私が声を掛けてあげてると言うのにその適当な返事は!」
ついに無視されてるのに気付いたのか我慢の限界だったのか男は声を荒げ始めた、本当にテンプレートに嫌な奴だと溜息を付きながらソフィーはその男に振り返る。
「ふぅ…曖昧な返事で失礼しました、正式お断りさせていただくのでお帰りください」
「なんだと!?」
ソフィーは自身が思うる限りの丁寧な言葉使いで断るが、男は驚いたというような表情を浮かべた後、顔を歪ませる、先ほどからの話し方も相まってとても演技臭い。
「先ほどから下手に出ていれば随分な態度ではないか!」
「不快にさせたなら申し訳ありません、ですが私には私の予定があるのでお引き取り下さい」
「貴様…!うおっ!」
男が大声を出し、ソフィーに手を伸ばそうとしたその時、男は後ろへ転び尻もちを付く。
「ああ、すみませんね、影が滑ってしまって」
寝たふりを続けていた死神が顔をあげ、その直ぐ横で彼と繋がった影が手に当たる部分を軽く振っている。
「ちょっと!面倒事を避けるために穏便に言ってたんだけど!」
「いやぁ、何分尻尾みたいな物なので」
「もう許さん!只の亡霊と平民の分際で!」
ソフィーが死神にだけ聞こえる用小さな声で怒るが当の本人は悪びれる様子もなくヘラヘラとした様子で返す、それを見て貴族の男は荒々しく立ち上がると、二人に向けて指を差し大声で怒鳴る。
「このルンボス・ラーディ―に対しての数々の侮辱…!」
「そろそろお静かにしてくれません事?」
男が自信に溢れた様子で名乗りを上げ、そのまま高々と言葉をつづけようとすると、それを遮る凛とした声が響く。
その場の視線はその声を出した人物へ向く。
彼女はパーマの効いた金髪のロングヘアーにツインドリルをぶら下げており、その髪にはひときわ目立つ大きな青のリボンを付けており、瞳はワインの用に赤い。
「っう…」
そんな彼女の姿を見たルンボスは先ほどの様子とは打って変わって居心地の悪そうに眼を下へと背ける。
「ルンボスさんと、おっしゃいましたわね?個人的なお会話に口を出すつもりはありませんが、彼女がお断りになられたなら、清く身をお引くべきではありませんか?」
「し、しかしロザリーヌさん、この使い魔が影で…」
「彼はお滑りになられたとおっしゃっているではありませんか、貴方だって足をお滑りになられていましたし、言いっこお無しでしょう。それにそんな大きな声でわめいて…周りへのお迷惑をお考えになっては?」
「っぐぅ…」
迷いのない凛とした声で痛い所を突かれたルンポスは更に委縮し、口をパクパクと動かすだけで次の言葉が発せられる事は無かった。
「…もう彼女にお用が無いのなら私がお話させてもらいますがよろしいですわね?」
「は、はい…」
ルンポスはそそくさとその場から立ち去り、ロザリーヌはその背中をしばらく睨んだ後、小さくため息をついてソフィー達の方へ一歩踏み出す。
何故か気合が入っているのか彼女の履いているニーハイブーツからとても音が響いた。
「ごきげんようソフィーさん、それとお使い魔さん」
「お使い魔さん…?」
「彼女は少し独特な話し方をするの」
「私はロザリーヌ・ラモリエール、何かと会うお機会は多くなる思いますのでよろしくお願いいたしますわ」
ロザリーヌは制服のスカートを軽く上げて頭を下げる、話し方は変だがそれでも礼儀正しい様子が見て取れる。
「よろしくお願いしますロザリーヌさん」
「はい…それでお使い魔さんのお名前は?」
「名乗るほどの死神ではありません」
ロザリーヌは思わずソフィーを見るが、彼女は顔を横に振る。
「私もこいつの名前は知らないわ名乗らないし、聞いてないし」
「お聞きになっておりませんの?」
「別に不思議な事では無いじゃない?名前がそもそも無い人だっているし、名乗りたくない人もいるでしょう」
「それはそうでしょうけど…」
「まぁまぁ、ひとまず自分の事は置いておいて、お二人はどういう関係で?」
死神は手をパンパンと叩いて自身の話から二人の話へと変える、その様子を見てロザリーヌはひとまずこの話をするのをやめ、振られた話の方へと意識を向ける。
「まぁそれもそうですわね…わたくし、彼女のおライバルをさせてもらっています」
「お嬢様ライバルなんて居たんですね」
「いや、彼女が勝手に言ってるだけだけど…」
そう言って、ソフィーはなんとも微妙そうな表情を浮かべる。
「知っているかもしれませんが彼女のお学年成績は常にお1位、そしてわたくしはその下、2位!故に、わたくしは彼女を超え、お一位に輝く事こそ目標なのですわ!」
「2位にはおを付けないんだね」
「気にしちゃ駄目よ」
ロザリーヌは高々と言葉を紡ぐ、その間にひそひそと何かを言われていても変わらぬ様子だ。
前から変なやからには付きまとわれているんだなぁと死神は少しだけ同情する。
「自分自身のお魔法では後れを取ったまま終わってしまいましたが…魔法使いとしてはここから!わたくしお二人にはお負けませんから!」
「ああ、ご丁寧にどうも」
「丁寧では無いと思うけど…」
ロザリーヌはビシッ!っとポーズを決めながら二人に向けて指を差す、それも長年練習したようなとても綺麗なポーズで、思わず死神も頭を下げる。
「お嬢様、失礼ですよ」
「あら、確かにそうでしたわね、お失礼」
受付の方から一人の女性がロザリーヌを窘めながら歩いてくる。
彼女は一枚の紙を腕に抱え、規則正しく靴の音を鳴らしながら歩いてくると、ロザリーヌの少し後ろで止まる、まず目を引くのはロザリーヌと顔から髪色、髪型まで全部同じところだ、違う点はロザリーヌが制服で彼女はメイド服という所だろう。
「あんた双子だったの?」
「お双子?いえいえ、彼女はわたくしのお使い魔ですわ」
「レギオン、と申します、お嬢様共々よろしくお願いします」
レギオンはスカートを少し上げ、頭を下げる、服装が違うだけどその動作もとてもロザリーヌにそっくりだ。
「お嬢様呼び仲間ですね、よろしくお願いします」
「あんたのお嬢様呼びとはかなりニュアンスが違うけどね、私はソフィー、よろしく」
少し余計な事を言いつつ、二人も頭を下げて挨拶を返す、それに対しレギオンはもう一度頭を下げた後、ロザリーヌの方へ視線を向ける。
「それでお嬢様、準備は完了しました」
「おご苦労様。という事なのでお二人方、短いお挨拶になりましたがわたくし達は失礼いたしますね」
「ええ、後一応礼は言っておくわ、ありがとう」
「お当然の事をしたまでですわ、それでは」
ロザリーヌはスカートを軽く上げ、一礼した後、迷いのない足取りで校舎の出口へと向かっていき、レギオンもそれに続いて一礼して去っていく。
「…ふぅ、やっと静かに待っていられるわね」
ソフィーは椅子に座りなおして一息つくと、独り言のように呟きながら本を取り出す、それに続いて小さく手を振っていた死神も座り、椅子に背を預けて体の力を抜く。
「色んなやからが来て大変ですねお嬢様」
「そのやからの内の一人にあなたも入ってるけどね」
「さて、それでは呼ばれるまで寝ているので後で起こしてください」
言われた言葉を流して死神はまた頭を下げて寝始める、その様子にソフィーはため息を付きながら本へと視線を戻したのだった