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電車

作者: 三崎清光

大学二年の夏休み。私は暇を持て余し、都内へ出ることにした。

在来線の時刻表を調べ、最寄りの駅から電車に乗り込むと心地よい冷気が身体を包む。

郊外からの上りであるためか、乗客はさほど多くない。ドアそばの席に腰かけ、カバンを膝の上に置いた。

スマートフォンを手に持つ人が多い中、私は小説を開いた。電車の中での読書が好きなのだ。

車両の走行音、乗客の咳払い、車掌のアナウンス、乗降時の駅の喧騒、それらは煩わしいものではなく、本への没入における触媒のようなものとなる。多少、音のあるほうが集中できるのだ。

目的の駅まで一時間以上ある。しおりは要らなかったかもしれない。


三十分は経っただろうか。乗客が増え、空席はまばらになっていた。途中、停車した大きな駅で乗り込んできたのだろう。私の隣は空いている。

はぁ、とため息をついた。私は普段、座席が多数空いているときにしか座らない。他人と肩をあわせて過ごす時間が苦でしかないのだ。高齢者や妊婦が乗車してきた際に席を譲らなければならない、しかし断られたら気まずいな、いらん気を遣うなと怒られるかもしれない、そんなことで悩むのもばかばかしい。


途中、駅で子連れの夫婦が乗車してきた。幼稚園児くらいだろうか、父親が手を引き、母親は赤ちゃんを抱いている。上の子が背伸びをして外の景色を眺めている。おとなしい子だ。あれくらいの年だと騒いでもおかしくないと思うのだが。そんなことを考えながら小説に目を落とした。

ふと、気づく。誰も席を譲らない。誰かが譲るだろうとか、高齢者や妊婦、障害者ではないからとか、単に譲る気すらないとか。その中に私も含まれている。私が譲れば隣の空席と合わせて、少なくとも上の子と赤子を抱いている母親は座れる。この車両の中で誰が譲るべきかと聞かれれば私だと誰もが思うだろう。しかし、小心者の私は、断られるかもしれない、次の駅で降りてしまうかもしれない、なんてグチグチ考えてしまう。そもそも他人に気軽に声を掛けられる度胸もないのだ。だから空席が少ないときは座らないと決めていたのに。周りを見ると、寝ている人、スマホに夢中な人、譲ろうとする気配はない。私が譲らなければ・・・、しかしどう声を掛ければよいかわからない。変な人だと思われないだろうか、もう小説を読んでやり過ごそうか。どくどくと鼓動の音が激しく主張してくる。譲った方がいいのは明白だ、いやしかし・・・。この繰り返しだ。あと一歩が踏み出せない。そんな、小さなことを気にしすぎる小心者な自分が嫌いだ。

五分くらい経っただろうか。疲れたとしかめっ面を向ける上の子に、我慢しなさいとなだめる母親を見た私は、バッと立ち上がり無言で向かいのドアへ歩き、そばの手すりに寄りかかった。少ししてから、父親が上のこと母親が座るように促していた。譲ることができたという安堵感にまた新たな不安が追い打ちをかけてきた。無言で席を立ってしまった。不愛想に見えただろうか。子供が嫌で席を立ったと誤解させてしまったかもしれない。なんとなくこの場に居づらい。こんな落ち着かない状態で小説など読めるはずもなく、私は景色を眺めてごまかしていた。


目的地の一つ前の駅だ。ドアが開くと夫婦が子供の手を引きこちらのドアへ向かってくる。私の目の前を通り過ぎ、ドアから降りる際に母親が、無言で微かに微笑んで会釈をした。その一瞬にすべてが救われ、ごく小さな一歩が踏み出せたように感じた。

私の実体験をもとに書きました。

共感していただける人も多いのではないでしょうか。

よろしければ感想等いただければ幸いです。

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― 新着の感想 ―
[一言] すごくわかります……電車で座席譲るのって何だか勇気いりますよね。逆に断られるんじゃないかとか。お子さんって座らせるより立たせておきたいみたいな親御さんもいたりして。 色々気を揉むのも疲れるの…
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