後朝のくれ縁
森の奥にある屋敷の縁側に、午前の日差しが燦々と降り注いでいる。
「おはようございます、玉葉様」
「ああ、おはよう、文車」
「明の具合はどうですか?」
「うん、軽い打身くらいだったし、大丈夫だよ」
「よかった……」
「まったくだね。それにしても、あの田宮っていうの、逆恨みでここまでする阿呆だとは思わなかったよ」
「まあ、人間ってときおり、本当に想像もつかないような阿呆がいますからね……」
「本当にそうだね。ちなみに、明はまだ、疲れて眠ってるから、なるべく静かにね」
「かしこまりました。怒鳴るときも小声にしますね」
「できれば、怒鳴らないでほしいなぁ……、僕も年甲斐もなくはしゃいじゃったから、まだちょっと眠いし」
「……なんか酷いこと、してないでしょうね?」
「まさか。ちゃんと、悦ぶことしかしてないよ。ただ、ちょっと体力の限界だったみたいで、最後は崩れるように寝ちゃったけど」
「それを酷いことって言うんだよ、この狒々ジジイ!」
「手厳しいなぁ、文車は。でも、本当に大丈夫だよ。騙されたり、唆されたり、功を焦ったりで、僕を討ち取ろうとした子たちにするようなお仕置きは、してないから」
「まあ……、さすがに私も、あんなえげつないことまでしたとは、思ってませんよ」
「ふふ、信用してくれてありがとう。でも、明から了承がとれたら、痛くならない範囲でなら、ちょっとしてみたい気も……」
「絶対にやめろ!」
「いやだなぁ、9割がた冗談だから、大丈夫だよ」
「一割も本気なのか? このジジィ」
「もう、そんなに怒らないでってば。今はちょっと浮かれるくらい、許してよ。今まで、本当の姿で触れて、舌を噛みきろうとしたり、おかしくなったりしなかった子は、いなかったんだから。それに、明がいつか同じようになってしまうんじゃないかって不安も、まだ完全に消えたわけじゃないし……」
「まだそんなこと言って。心配しなくても、大丈夫ですよ」
「なんで、そう言い切れるのさ?」
「だって、明の恐怖の源泉は親兄弟や村の奴らからの仕打ち……、つまるところ、人間の悪意じゃないですか」
「うん、それは、まあ……、そうだね……」
「それに比べたら、玉葉様の真の御姿なんて、ただの玉葉様ですし」
「なんか、馬鹿にしたような言い方だなぁ。文車だって、はじめてこの姿見たときは、一瞬顔を引き攣らせたくせにー」
「あ……、えーと……、その節は、未熟だったとはいえ、大変なご無礼を……」
「ちょっと、可愛く拗ねただけなのに、そんなに深刻にならないでよ。あ、でも、あの頃の文車は、もっと可愛げがあったてよかったのになー、『玉葉様、玉葉様』って言いながら、カルガモの雛みたいに後ろをついてきたのに」
「誰がカルガモだ! このジジイ!」
「ふふっ、そうそう、そのくらい威勢がいいほうが、助かるよ。それで、そろそろ本題に入ろうか」
「……はい。ひとまず、朝一で咬神から、田宮の始末は烏羽玉からの依頼だ、という旨の正式な書状を取ってきました」
「ご苦労様。それにしても、随分とすんなり、アイツの処分を任せてくれたよね」
「まあ、詰所の金をちょろまかしたり、退治したあやかしの骸を横流ししたり、ろくなことしてなかったそうですし」
「それにしても、僕に処分を全任するのは、厳し過ぎると思わない? 自分で言うのも、あれだけど」
「まあ、容赦がない自覚があるなら、なによりです。で、他の理由なんですが、どうやらアイツ、明の村で起きた例の疫病騒動の発端のようなんです」
「へえ? アイツがねぇ」
「はい。姦通騒動を有耶無耶にするために、度胸試しでこの森を荒らさせるよう、若い奴らを唆して、村から逃げたみたいです」
「つまり、明が人柱にされたのも、アイツが遠因だったわけか。なら、もうちょっと時間をかけて、処分してあげるべきだったかな」
「それについては、完全に同意ですね。あと、咬神も田宮が処分されたことについて、喜んでいましたよ、あんまり顔には出ていませんでしたけれど」
「あの面倒見の良すぎる咬神君が喜ぶなんて、よっぽど足手まといだったんだね」
「そうなのかも、しれませんね。それと、明のことをどうか幸せにしてください、と深々と頭を下げてました」
「……咬神君に言われるまでもなく、幸せにするつもりだけどね」
「そんな、あからさまに拗ねた顔しないでくださいよ。少なくとも、明に恋心を抱いているかんじじゃなかったですから」
「ふぅん。まあ、文車がそう言うなら、信じるけど……、で、咬神君からは書状を受け取っただけ?」
「いえ、それが……、あと一件、厄介な報告を受けました」
「厄介な報告?」
「はい。なんでも最近、うちや金枝様のところに属していない野良のあやかしが、とくに悪さをしたわけでもないのに、何者かに退治され、骸の一部が持ち去られることが増えているそうです」
「それは、中々穏やかじゃないね。でも、あやかしどうしのイザコザの末に、どちらかが亡くなったとかじゃないの?」
「どうやら、とどめに使われたのが、対あやかし用の刃物だそうです。しかも、数年前に姿をくらました退治人が、一人いるらしく……」
「なるほど、それは厄介だね」
「ええ。まあ、うちや金枝様のところのやつなら、野良退治人程度に遅れを取らないと思いますが」
「まあ、でも念の為、怪しい奴がいたら近づかずに僕らに報告するように、ってみんなに伝えておいて」
「かしこまりました」
「あと、諸々の書状を渡すついでに、金枝にも情報を伝えておいて」
「かしこまりました」
「うん、ありがとうね。それと、化け襷と暴れ箒にも情報共有して……、あとは、明に護身術を教えておかないとかな」
「え? 明に、ですか?」
「そう」
「でも、被害に遭っているのって、あやかしですよね?」
「うん、でも、骸の一部を持ち去る、ってところが気になってね。ほら、あやかしや人間の骸を繋ぎ合わせると……、作れるものがあるだろ?」
「あ……、でも、あれは、今の人間たちの技術だと、完全なものにするのは、不可能なんじゃ……?」
「だろうね。でも、そんなことを承知の上でも、手をだす可能性があるものだからね……」
「……かしこまりました。これから、簡単な護身術の稽古は、つけるようにします」
「ありがとうね。あと、文車もちゃんと気をつけなよ? 本当にあれを作る気なら、知識豊富な君が狙われる可能性も高いんだから」
「ははっ、そこらの退治人に、私が遅れをとるわけないですよ。それじゃ、今から森の奴らに注意喚起をしにいってきますね」
「うん、いってらっしゃい。じゃあ、僕は明の様子を見てくるから」
誰もいなくなった縁側には、温かな日差しが降り注ぎ続けていた。




