それでもそばに
「まったく、死にはしないけど、けっこう痛いんだからね」
不服そうな声をこぼす玉葉様の首から、黒い蛭のようなものが伸びて、紫色の水に濡れた胴体に繋がる。
「それに、まだ何の準備もできてないのに、この姿を見せることになっちゃったし」
首はぶつくさと言いながら、ズルズルと床を這い、足下にたどり着く。
「ごめんね、明。怖いものを見せちゃったけど、後でちゃんと新しい思い出を作って、今日のことも忘れさせてあげるからね」
蛭が一気に縮んで、首がいつも通りの場所で穏やかに微笑む。
「ということで、もうちょっとだけ、怖いのが続くけど」
着物を突き破り、背中から蛭が無数に飛び出す。襟や袖や裾からも同じようにのび、部屋中が黒く埋め尽くされていく。
それでも、微笑みはいつも通りだ。
ああ、良かった。
「許して……」
「玉葉様!」
「……わぁ!?」
抱きしめた身体からも、ちゃんと脈が伝わる。
本当に、良かった。
「生き、て……っ、いらっしゃ、るのです……っね……」
「えーと、この通り生きてるよ」
「よかっ……、よかったぁぁぁ」
「えーと、うん。だから、もう泣かなくて大丈夫だよ」
「はぃ……っ……」
「よしよし、いい子だね。たださ、明」
「は……、ぃ……?」
「この姿を見て、しかも抱きついたりして、何か思わないの?」
「ふぇ……?」
首をかしげる背後で、黒い蛭もくにゃりと曲がった。
えーと、抱きついたことについて思うこと……、あ。
「も、申し訳ございません! 私なんか気安く触れてしまって!」
「いやいやいや! それは、むしろ大歓迎だから! そうじゃなくて、見た目とか抱きついたときの感想っていうのかな……」
見た目とか抱きついたときの感想……?
「えーと……、つやつやです、ね?」
「そう言ってもらえるのは、嬉しいけど……、他にもっとないの?」
「他には……、あ、すごく、すべすべしてます」
「そうか、すべすべか……」
力ない呟きとともに、玉葉様が全体的にぐんにゃりとする。
なにか、まずいことを言ってしまったのかな……?
そうだ、きっとこのことかも。
「赤い眼がとても綺麗です……!」
「それは、ありがとう……」
あれ?
まだ、全体的にぐんにゃりしてる。
やっぱり、まずいことを言ってしまったのかも……。
「すみません、失礼なことを言ってしまったみたいで……」
「いや、そんなことはないよ。たださ、もうちょっと別の感想が来ると思ってたから」
「別の感想?」
「うん。ほら、怖いだとか、おぞましいだとか」
「……え? 玉葉様が、ですか?」
いつも、あんなに優しくしてもらってるのに、なんで、怖がる必要があるんだろう?
「……まさか、神すら恐れ捨てたものを前に、平然とするとはね」
「……ん」
袖から伸びた黒い蛭が、優しく頭を撫でた。
「明はこの姿を知っても、傍にいてくれるのかな?」
「はい」
「……そっか」
赤い目が嬉しそうに細められる。
「なら、家に帰ったら、今まで内緒にしてたことを教えてあげようね。ただ、その前に……」
鋭い目が、床に向けられた。視線の先では、蛭に巻きつかれて、顔を引き攣らせるあの人の姿があった。
「ひっ……、ば、化け物……」
「そうだよ、当たり前じゃないか。これでも、あやかしの長なんだから」
玉葉様はゆっくりと進み、ガタガタと震える体の前でかがみ込んだ。
「それで、君はその長はおろか、妻や側近にまで危害を加えようとしたんだ。それ相応の覚悟は、できてるんだよね?」
ミシリ
「あがっ!?」
何かが軋む音と一緒に、短い悲鳴が上がる。玉葉様に遮られて見えないけど、何か痛そうなことが起きてるのかも。
「明、コイツの処遇だけど、ボキッてするのと、グサッてするのと、グチャッてするのなら、どれがいいかな?」
なんだか、物騒な質問だなぁ……。
「ひっ……! た、たのむ! 命だけは……!」
情けない声が、辺りに響く。
さっきは、あれだけ威勢よくしてたのにな……。
「だってさ、明。どうしようか?」
「えーと、玉葉様のお好きなようにしていただければ……」
「そう? じゃあ、ちょっとだけ、目を閉じて、耳を塞いでてね」
「はい」
言われた通りにすると、甘いような生臭いような臭いが漂ってきた。
「──! ──!」
微かに聞こえる叫び声と一緒に、何かが跳ねているような衝撃が床から伝わる。
目はキツく閉じてたほうが、よさそうだなぁ……。
「……! ……」
しばらくすると、叫び声が消えて、床も静かになった。
もう、終わったのかな?
「……」
手が温かさに包まれて、耳からゆっくり離れていく。
「お待たせ、明。もう目を開けて平気だよ」
「はい……」
言われた通りにすると、目の前に金の目をした玉葉様の微笑みがあった。身体中から伸びて、部屋を埋め尽くす蛭はもうない。
そのかわり……
「ほら、見てごらん。もう何も心配いらなくなったからね」
……黒い布切れをまとった、白い骸骨があった。
これで、もう二度と、目の前には現れないんだ。
でも……。
「ふふ、こんなことをした僕が、やっぱり怖くなっちゃったかな?」
「あ、いえ、そうじゃなくて……、こうなると、その、退治人の方々と揉めごとが起きてしまうんじゃ……」
「ああ、そのことなら大丈夫だよ。さっき咬神くんが慌てて屋敷に来たんだ」
「咬神さんが?」
「うん。それで、コイツか刀を盗んで逃げ出したから、もしも危害を加えるようなら、処分は僕に任せるって話になったんだよ」
「そう、でしたか」
「そうそう。だから、もう何も心配いらないよ」
「……ん」
頬を撫でる手のひらが、温かくて心地いい。あの人には近寄られただけで、吐き気と耳鳴りが止まらなかったのに。
このまま、ずっと触れていてほしくなる。
「……そんな顔をするなら、このまま続きをしちゃおうかな?」
「え……」
近づいた顔に、イタズラっぽい笑みが浮かぶ。
「なーんて……」
「……」
「……明?」
頬に触れた手に手を重ねると、金色の目が軽く開かれた。
私の体は、無垢じゃない。
それでも……。
「……玉葉様が、望んでくださるなら」
「……本当に、あの姿を見ても、一緒にいてくれるんだね」
「はい……、んむ」
柔らかな唇が、口を塞ぐ。
吐き気も、耳鳴りも起こらない。
「……ふふ。今はここまで」
温かな感触が、ゆっくりと口から離れていく。
「続きは日が沈んだら、ゆっくりしようか。さ、うちへ帰ろう」
「……はい」
差し伸べられた手をとると、指を絡めるように強く握り返された。
どうか、この手がずっと、離れませんように。




