床の上の微笑み
化け襷さんはまだ眠ってる。
玉葉様と文車さんは、奥の部屋でお仕事に集中してる。
いまのうちに、一人で全て終わらせよう。そうすれば、何もなかったことに、なるはずだから。
風呂敷包みと刀を持って、森の中を進む。暴れ箒さんを引きずった跡は途中で消えてしまったけれど、その先は刀が手を引くように進む先を教えてくれた。
言われたお寺は、もう目の前だ。
なんだか、手が震えてきた。でも、失敗はできない。空も曇ってきたし、早く終わらせてお屋敷に戻らないと。
建物の中に入ると、崩れかかった仏像の前に、気持ちの悪い笑顔が見えた。
「おお! 早かったな!」
そばに、暴れ箒さんの姿はない。
「その包み、首尾は上々のようだな。さあ、はやく寄越せ」
「……暴れ箒さんを返すのが先です」
「あのガラクタなら、裏の物入れだ。首を確認したら、すぐに持ってきてやる」
……なら、すぐに折られてしまうことはない、か。
「さあ、早くこちらへ」
「はい……、あ」
手から、包みが転がり落ちる。
「おい! なにをしているんだ!?」
「もうしわけ、ございません……」
「まったく、お前は相変わらず愚図だな。これ以上荒らされてはかなわん。そこで待っていろ」
ブツクサとボヤきながら、包みに手が伸ばされる。
「くっ……、こんなにキツく結んで……」
文車さんに、頑丈な結び方を教わっておいてよかった。これなら、少し時間がかかるはず。
だから、そのうちに。
「本当にお前は、見てくれだけで気が利かない……」
始末をしないと。
振り上げた刀が包みを漁る頭に、吸い込まれるように落ちていく。
これで、暴れ箒さんを助けられる。
「よし、解けて……」
ガキッ
「……うわっ!?」
「きゃっ!?」
刃が頭に触れる直前、強い力で弾き返され、尻もちをついてしまった。
今のは……?
「貴様……」
早く落とした刀を拾わないと……。
「謀ったな!?」
「っ……」
身体にのしかかられ、怒りに歪んだ顔が迫ってくる。
気持ち悪い……。
身体がうまく動いてくれない……。
でも、はやく、刀を……。
「ほう? その様子だと、私を殺めてあのガラクタを取り返すつもりだったのか?」
目の前の顔に、気色の悪い笑みが浮かんだ。
「残念だったな。それは、バケモノしか切れない刀だ」
……そんな。
「まったく、冬瓜なんぞで騙そうとするとは、馬鹿にしてくれて……」
「……」
騙されていたんだから、馬鹿にするというか、本当に馬鹿なんだと思う。
「っ! 夫に向かって、なんだその目は!?」
……夫?
「……ふざけないでください。私の夫は、玉葉様です」
「なにを言うか! あの日、散々私と肌を重ねておいて!」
「……っ」
思い出しただけで、下腹が痛み、吐き気が込み上げてくる。
「まったく、計画の練り直しだ。その前に、お前を躾け直してやらないとな」
「……っ」
生温い唇を口に押し付けられて、全身に鳥肌が立った。
吐き気と、耳鳴りも止まらない。
でも、このままされたくはない。
ブチリ
「……ぐっ!?」
唇を思い切り噛むと、気色の悪い顔が飛び退いていった。
「このアバズレ……、調子に乗って……、もう許さん!」
唇を血まみれにした顔が、怒りに震えながら懐から小さな刀を取り出す。
たしかに、殺されるほうがマシだけれど、このままだと暴れ箒さんを助けられない。
どうしよう……。
「はっはっは。私を怒らせたことを、地獄で悔いるがい……」
「明ってば、酷いじゃないか。僕ちゃんと仕事してたのに、冬瓜の甘煮を作ってくれないなんて」
「!?」
突然、場にそぐわない、拗ねた声が響いてきた。視線を動かすと、腕を組んで微笑む玉葉様の姿が見えた。
一人で片付けるはずが、結局お手を煩わせてしまったな……。
「すみません……」
「ふふっ、素直に謝ってくれたから、ゆるしてあげよう。さ、裏で昼寝してた暴れ箒は先に帰したし、僕らも帰ろうか」
金色の目が、穏やかに細められる。
よかった……、暴れ箒さんは無事だったんだ……。
「っふざけるな!」
「っ!?」
不意に抱き起こされ、小刀を首に押し当てられた。
「これの首を掻っ切られたくなければ、言うことを聞け!」
「これはまた……、随分と使い古された下衆な手を」
「黙れ!」
憐れみを含んだ声を怒鳴り声が遮った。
「玉葉様……、私のことは、いいですから……」
「うるさい!」
「っ……」
刀が、更に首に食い込んでいく。
「……で? 何をすれば、明から離れてくれるのかな?」
ため息混じりに、玉葉様が首を傾げた。
こんな人の言うことなんて、聞かなくていいのに。
「そこに落ちている刀で、自分で首を掻っ切れ!」
「……そう」
細長い指が、転がった刀を拾い上げた。
私のことなんて、放っておけばいいのに。
「まさか、こんな形になるとはね……」
鈍色の刃が、白い首筋に押し当てられる。
止めないと、いけないのに。
「ごめんね、明。ちょっと怖い思いさせちゃうかも」
「ぎょくょ……、さま……」
声が詰まって、うまく出せない。
「ダメ、です……」
「ふふ。心配しなくても、すぐに終わるからね」
整った顔が穏やかな笑みを浮かべる。
そして。
ゴトリ
紫の水を噴き出す首から、転がり落ちた。
「はっはっはっはっ! バケモノめ! 討ち取ったり!」
耳障りな喚き声とともに、首から刀が離れた。
玉葉様は相変わらず、いつものように穏やかに微笑んでる。
床の、上で。
「ぃ……ゃ……」
嘘、だ。
「いやぁぁあぁぁあ!」
嘘だ。
嘘だ。
嘘だ。
こんなこと、起きるはずない。
起きていいはず、ない。
なのに、床の上に。
いつもみたいに、笑って。
でも、床の、上で。
私の、せいで。
「ぎょくよ……っ、さま……っ」
息が苦しい。
耳鳴りが止まらない。
辺りの景色が、滲みながら歪んでいく。
「はっはっはっ! 何を泣いている!」
耳鳴と耳障りな声がうるさい。
誰か、この音を止めて……。
「夫がバケモノを討ち取ったというのに、何を泣く必要がある!」
「そうだよ、明。泣かないで」
「……は?」
騒音に混じって、穏やかな声が聞こえてきた。
今の、声は……。
「さて、明に怖い思いをさせた報い、受けてもらわないとね」
目を見開いた玉葉様が、床の上で笑う。
紅の瞳を輝かせて、首から無数の黒い蛭のようなものを伸ばしながら。




