9. 皿洗いをするアーシャ
(アーシャ視点)
役人の駐在所から二葉亭に戻ると皿洗いの開始となる。一緒に作業するのはサマンサさんの娘のスミカちゃん10歳と、祖母のスーランさん(年齢不詳)。目の前には水の張られた3つの大きな樽がある。作業前にスーランさんが皿洗いの方法を教えてくれた。
まずお客さんが食べ終わった皿が食堂との間にあるカウンターに運ばれてくる。最初の作業は皿に残った残飯をゴミ箱に捨て、その皿を最初の樽に漬けること。しばらく樽の水につけてから、ぼろ布で皿の表面の汚れを取り、次の樽に漬ける。次の樽でも同様に汚れを落とす。ほぼこれで汚れは取れるのだが、念のために次の樽の水に潜らせてから、乾いた布で水気を拭きとって完了となる。これを3人で分担して作業するわけだ。服が濡れない様に胸まで覆うゴム製のエプロンを付けて作業開始だ。
私が最初の樽、スミカちゃんが2番目の樽、スーランさんが最後の樽を担当する。担当場所は途中で何度か交代するらしい。カウンターに置かれる皿は陶器製のものと木製の物が混在している。洗い方は同じだが、陶器製の物は割れない様に気を遣う。
今の季節は初夏でそれほど寒くないから水仕事も苦痛ではない。私を雇うと決めてくれたサマンサさんに迷惑をかけてはいけないと真面目に仕事した。陶器製の皿の中にはヒビが入ったり、縁が欠けているものが混じっていたので、せめてもの恩返しに神力で修復しておいた。染みついていた汚れも綺麗に落としておく。
「中々手際が良いじゃない。汚れも綺麗に落ちているし言うこと無いわ。」
とスーランさんが褒めてくれる。
「アーシャさんが来てくれて助かったわ、去年まではスミカの兄のシロムが手伝ってくれていたんだけどね。神官候補生になったから忙しくなってね。人手が欲しいと思っていたところだったの。」
「お兄ちゃんは神官様に成るのよ、すごいでしょう。」
神官って....確かこの国の代表として父さまや私とやり取りをしている人達だ。もっとも、中々思い通りにこちらの意図が伝わらないので苦労しているのだが....。
「神官様は神様とお話されるのですよね。」
「そうよ、神官様は聖なる山の神様の神意を受けてこの国を導びかれているの。とっても大切なお仕事なのよ。」
とスミカちゃんが嬉しそうに言う。きっとその神官になるお兄さんが自慢なのだろうな。
皿洗いの作業は思ったほど大変ではなく、3人で話をしながら進めているといつの間にか終わっていた。その後、私は夕食だと言われて店のテーブルに座った。
「この子は掘り出し物だよ。皿洗いの初日に1枚も皿を割らなかったのはこの子が初めてだね。」
とスーランさんが褒めてくれる。本当は落としそうになった皿を落ちる前に神力で受け止めていたからだけど。
「アーシャさん、ご苦労様。疲れたでしょう。部屋は掃除しておいたから食事が終わったらゆっくり休んでね。身体を拭くお湯も後で用意するわね。」
「ありがとうございます。」
とサマンサさんに礼を言う。どうやら風呂の文化はなさそうだ........残念。
そしてまだ食卓に付いていないシロムさんをスミカちゃんが呼びに行ったのだが、2階から降りて来たシロムさんは、私の顔を見るなり固まった。
「アーシャさん、これが先ほど話をした息子のシロムよ。シロム、こちらはアーシャさん、今日から家で働いてもらうことになったの。」
とサマンサさんがシロムさんを紹介してくれる。だけどシロムさんは動かない。その時頭の中で声が聞こえた。念話?
<< どうしよう、どうしよう、どうしよう....。どうやって謝ったら良い? ここではダメだ、アーシャ様の正体が家族にバレてしまう。>>
これってシロムさんの念話? 独り言の様な内容だから本人は念話と認識していないのかもしれない。だけど私の正体って? もしかしてバレてる!? これは不味いぞ!
<< シロムさん、謝る必要はありません。大丈夫ですから席についてください。私の正体を秘密にして頂いてありがとうございます。>>
<< これは念話です。シロムさんも出来ますよ。>>
<< そ、そうですか? >>
<< ほら、出来ましたよ。とにかく席についてください。これは命令です。ご家族に不審がられてしまいます。>>
シロムさんは念話が出来る! これは嬉しい驚きだ。実は神官という職業の人間は神の気を感じることが出来て、ある程度のコミュニケーションも取ることが出来るのだが、伝えることが出来るのはイメージのみだ。私と父さまの様に念話で話が出来るほど便利ではない。
昔は念話が出来る人間がいたと父さまから聞いたことがある。そうそう、確かその人がカルロさんだった。でもカルロさんが亡くなってからは念話が出来る人は現れてないらしい。だから、かわいらしい服が欲しいと思ったら "かわいらしい" という概念をイメージで伝えなければならない。何度か神官にイメージを送ろうとしたことがあるのだが、私自身がかわいらしい服のイメージをもっていないから伝えようがないことに気付いた。イメージがダメなら書面でと考えたが、これは父さまに却下された。神官の様に特別な才能がなくても書面で神と意思の疎通ができるとなれば、一気に神と人との垣根が下がってしまう。神と人間とは適度な距離を取らなければならないらしい。さもないと人間が神に依存し過ぎることになるそうだ。
これが私の食事や衣服が遊牧民の物だけであり、部屋が殺風景な理由だ。ちなみに私の人間の社会に関する知識はほとんど料理と一緒に供えられた本から得たものだ。本は母さまが1冊持っていたのでイメージを伝えるのは簡単だった。だけど私は恋愛小説が読みたかったのだけど、その希望をうまく伝えることが出来ず、結果として辞書から学校の教科書まであらゆる種類の本が送られて来る様になった。お陰で私の家の書斎には巨大な本棚にありとあらゆる分野の本が並んでいる。町で新しい本が出版されるたびに送られてくる。
そんなことを考えている内にシロムさんがテーブルまでたどり着いた。
「初めましてシロムさん、私はアーシャと言います。今日からここでお世話になることになりました。よろしくお願いします。」
と挨拶をすると、シロムさんが勢いよく立ち上がって椅子がひっくり返った。どうやら私を父さまの御使いだと思って相当混乱している様だ。そのためか心の中の声がほとんどそのまま流れ込んでくる。何と私がこの町を滅ぼしに来たとまで疑っている。
<< シロムさん、どうか落ち着いてください。大丈夫です。私は何もしません。えっ? 神気が原因? 私が神気を発していると? まあ! 私はそんな風に見えているのですね。>>
シロムさんの心に浮かんだ私の姿を見て唖然とする。全身が金色に光っている! 嘘! 神気は神力を使う時しか発しないと思って安心していたのだけど、普段でもこんなに漏れ出ていたのか!? 何だか自分の体臭を指摘されたみたいで恥ずかしい。
とにかく身体の周りにある神気を逆に吸い込んでみる。シロムさんの心に浮かんだ私の姿を見ると、とりあえずこれで成功した様だ。だけどこれは息を吸い続けている様なもので長くは続けられない。身体の中に神気が満ちたらそれ以上は吸い込めないからだ。
その時思いついた。私の遊牧民の服はかなりの高級品らしくボタンに水晶が使われている。水晶は神気を貯めて置くのに最適な物質だ。神気を貯めこんだ水晶は魔晶石と呼ばれ、魔道具を動かす動力源となる。
私は身体に溜まった神気を一番上のボタンに流し込んだ。途端に身体が軽くなる。これなら水晶のボタンがある限り神気を発しなくて済みそうだ。
シロムさんが席に座り直すと会話が再開するが、しばらくして御使いの話になった。
「神官様と言えば、御使い様がこの町に来られているかもしれないんですって? 神殿から発表があったと聞きましたよ。」
「俺も聞いた。御使い様が町の上を門の方向に飛んで行かれたらしいじゃないか。町の外で降りられて門から町にお入りになったのじゃないかって話だよな。もっとも町の上を飛ばれていたのは事実だが、門から町に入られたっていうのは可能性のひとつらしい。だが本当だったらすごいよな、御使い様が近くに居られるかもしれないんだ。しかも人の姿をしておられるって話しだ。」
私は見られていたのか!? 結構上空を飛んだつもりだったんだけれどな....。いや、違う。さっきシロムさんが私の神気を感じていたように、飛行中の神気を神官達に感知されたのだ。神力を使っている時に放出される神気は強力だからな。でも町に居ることまで見透かされているとは.......降りる時は身体を透明化して注意したつもりだったんだけど........神官達侮れないぞ.........。
<< シロムさん、ふたりだけで話があります。後で時間を取ってくださいね。>>
<< ひ、ひゃい、畏まりました。>>




