カルテットシンドローム②
「はぁ〜……毎日かったりぃよなぁ」
「ですね〜……ふわぁぁ」
今日も今日とて、しみったれた雲海の外れで部下達と無駄な時間を過ごす。来るはずも無い敵襲やモンスターの増殖からの雲海付近の警備、を名目にこんな辺鄙な場所で日がな一日待機させられている。
訓練兵だった頃は過酷な訓練と、規律戒律罪と罰しか頭に無いようなイカれた天使長共の扱きに嫌気がさしていたが、ストレスが溜まりすぎてちょっと反抗したり、サボってみたらこれだ。晴れて自由の身になってみれば、これはこれで嫌なもんだな。
ずーーーっと、果てしない時間の中、緩やかに流れる雲海を見つめて時折迷い込む雑魚モンスターの相手をするだけの毎日。更に見習いとは言え俺達天使にとって、睡眠や食事というのは娯楽であって必須では無い。ので、そこに割く時間が要らないとくれば、人間やモンスター共よりは更に退屈は堪える。
いつしか、人間共が神殿に上納した酒をくすね、無理矢理浴びるように飲み続けて、酔い潰れて意識を手放し、時間を潰すのが日課になった。
「……っああ〜、アルコンさぁん。今ので酒最後っすねぇ」
「だぁったら適当に神殿からくすねてくるか、人間共からかっぱらってきやがれ!」
今日も今日とて視界が霞む。いい感じに頭も呆けてきて、もう後3.4杯もカッ喰らえば意識を手放せそうだ。とは言え酒が無いようなので部下の一人の背中を蹴り付け、なんとか酒を工面するよう出向かせる。
最初の頃こそ部下に警備を任して自分だけ飲んだくれていたのだが、いつしかこの警備隊全員で机を囲うようになっていた。
大分と部下も自分も堕落したなーとは薄々思っているが、ギリギリ上下関係は保っていた。本来なら同席すら許されていないんだろうけどな。そう言う所が天使とは頭が硬いと言うか、正真正銘のお花畑なんだろうなぁ。
ふと、おかしな事に気づく。部下を蹴り出しては見たが、どこにも居ない。比喩や冗談等ではなく、見えない。ここは果てしなく同じ色した雲海が広がる中の真っ只中。どの方向に行ったとしてもそんな直ぐに見失うだろうか……まぁ、別にいいか?どうでも?
「おぉい、ユーストリのやつはぁ!……どこいったぁ……あ?」
一応、まだ意識のあった部下達が寝ぼけ眼でキョロキョロと、いや。ぐらん、ぐらんと頭をほぼ振り回す様にして周囲を確認する。俺も面倒極まりないが、同じようにする。
が、やはりおかしい。急速に酔いが覚める、頭から背中に流れるように酔いと冷たさが落ち、代わりに冷静さを取り戻して来た頭が異物を感知する。今いる雲の溜まり場からほんの2.3手前。走れば一瞬で届く距離に、見えた黒い影。
不味い。頭の中では我らが父がおわす際に何処からともなく鳴る聖鐘とは程遠い、ガンガンと乱雑に警鐘が鳴り響いている。不味い不味い、部下は全く気づいていない。
「デェ!」
「は?アルコンさぁん?なんすか?ついにイカレましたか?」
「敵襲だ!馬鹿野郎共‼︎」
まだしっかり呂律が回らない。一瞬部下の方にやった視線を黒い影に向けるが影は消えている。代わりに背後から風切り音がし、左の翼が焼ける様な痛みに襲われる。
耐えきれず、前によろけながら背後に向き直せば黒い影の主である人間。それも俺の背丈より頭3.4つ分も小さな人間の女が、嘲るような表情で此方を睨みつけていた。
「ぐっそ!てめぇら!ユーストリがやられた‼︎集中しろ‼︎」
部下に指示を出し、所持していた尖槍を構える刹那も、影の少女は待ってはくれない。好機と見たのか、真っ直ぐ恐ろしいスピードで突っ込んで来る。尖槍を取り出した頃には懐に潜られ、陰湿な笑みと共に片手剣の鍔で右の頬をぶん殴られる。
「ぐぁっ‼︎」
「アルコンさん‼︎」
「馬鹿野郎‼︎ぐずるな‼︎」
少し吹き飛ばされたが受け身を取る。漸く状況が飲み込めてきたのか、あの馬鹿野郎共め……しかし少女はまたも正面から切り掛かってくる。流石の馬鹿部下も魔法の用意が間に合ったのか、此方に光の矢が何本も撃ち込まれて来る。少女は背後からの攻撃に気づいていない、この唐竹割りを受け止めて直撃させる!
槍自体の耐久性は高くないどころか、武器の中で見れば最弱と言っても過言は無いだろう。だが、人間の武器、それもあの管理されたミューゼスくんだりの人間共の武器など高が知れている。だかこちらは場末の警備地とは言え、装備は天使製、受け止めてなんなら反撃だ。
インパクト、金属音、どちらが先か分からない。膝をつく、俺が?重い、いくら少女が多少助走を挟み、飛びかかったとは言え、重すぎるだろ……だが、この鍔迫り合いは好機だ!ほら、もう背中に光が見えるぜ!
直撃。白煙が上るが少女はのけぞらない。それもその筈、ニタニタ笑うその背後では少女の背中を守る青い熊のような何か。無機物の様にも見えるが、荒々しい呼吸や吠え声の様なものも漏れている。なんだ?あれは!
光の矢は2人の部下から放たれた全て、青い熊が仁王立ちして受け止めている。不味い不味い不味い。ふ、と腕が軽くなる。視線を瞬時に戻して、今度は見失わなかったが、少女は一瞬で上空に舞い上がった。
「第二射ぁぁ‼︎」
「*◁ん◆◎、▱♪」
突然直ぐ側で高音が響き鳥肌が立つ。奴らの話す言葉は判らないが。また別の少女がいつの間にか肉薄していた……いやこの小さな出来損ないの翼はネフィリムだな。黒い少女は囮か。本命はこのネフィリムか⁉︎
反応した際に部下達の方が見える。何やら緑の鳥とそこでも誰か人間が、妙なリズムと人間にしては可笑しいくらいの精霊を従えて部下達を圧倒していた。あれでは、援護など……ましてや無事ですら……。
何にせよ不味い、思考は先程まで酔っていたとは思えない程冴えているが、これは不味い類の冴えだ。
わかる。上空には先の黒い少女。ネフィリムの攻撃を見定めるため、あまり直視は出来ないが、何やら嫌な力を溜める気配がしている。そして直ぐ前方には突進して来る巨大な青い熊と、それを盾にして詰めてきているネフィリム。よく見ると久しく見ていなかった人間界に唯一卸している天使製の武器、楽武が見える。使いこなしていると言うのなら……こちらからも重い一撃が来る。
兎に角躱せ!前と上からなら取り敢えず後ろだ‼︎
翼が片方ないので目一杯動けるわけでは無いが、何とかまだ回避可能な距離ではある。脚と片翼に力を込めて、蹴りつける。が足が全く上がらない。知らぬ間に足元に氷の塊が出来上がって、くっついて離れない‼︎ちくしょう、時間がねぇ。
「フレイムエレメント‼︎」
渾身最短の魔法、威力はまぁまぁだが敵に向けては射たねぇ。自分の腹に力を込め、短く呼吸を吐く。掌から魔力を解き放つ。瞬間焦げた肉の匂いと、鉄球でも食らったのかという衝撃。
足は氷から離れたが、おかげで右足はダメそうだ。千切れはしなかったが、肉は裂け、幾つか神経もやられたのか反応しない。痛みは無いが、代わりに力も入らない。
だが、だが敵の渾身の一撃は避けた。同じ地点に黒い少女とネフィリム、ついでに青い熊がそこにあった分厚い雲海を吹っ飛ばして立っていた。
「クソッタレが……あれは⁉︎」
漸く、漸く奴等をゆっくり直視した。双方共に体格は小柄……だった筈、なんだが今は2.3割ほど筋肉量が増した様に見える。いや、この際そんな事は些事だ些事。あいつらから出る嫌な気配の正体、黒い少女の左目の奥、眼帯をして見えないが判る。
五使ニッグの気配……あの忌々しい龍の気配が。更にしっかり見ればネフィリムからはカクゥノス様の気配も漏れ出ている。奴等何かしらカクゥノス様達に目をつけられるような、大罪を犯しているのか……。
「クソッタレもクソッタレだな……逃げる方法も無いってか」
足も翼も負傷している、長距離の移動が困難な以上逃亡は出来ない。一矢くらいは報いる事が出来るだろうが、五使達に目をつけられているのであれば、誰か手にかけようものなら横取りしたと思われ、俺が五使に処分されるであろう。
要するに、詰んだな。
大体、何故この人間達はここに攻めてきたのか。人間達は俺達天使の事を神聖視している筈だ。ネフィリムに至っては憧憬の対象ですらあるであろう。
ダメだ、そんな事を考えてもしょうがないな。理由など判らんし、話も言語が判らん以上通じないな。こうなってしまった以上、足掻くだけ足掻くか。
あぁ〜……クソだりぃな。なんでこんな事になったんだろうなぁ。部下のあいつらもいい奴らだったのに。
黒い少女はネフィリムに先駆けを譲るようで、ネフィリムの幼女が前に出てきた。その手にはやはり楽武である横笛が握られている。大量生産品だが、天使製ではあり性能は申し分ない筈だ。
少し観察している間に部下達は漏れなくやられたようで、緑の上裸の男とエルフの女がやや後方に待機していた。なんだこの組み合わせ、森の民であるエルフまでいるのか?
ぐっちゃぐちゃに混乱した頭では最早答えを見つける事など到底無理で、ムシャクシャする。結局俺は敵を倒そうが倒されまいが死ぬ。最後まで遥か上の存在に縛られていたわけだ。
ピーッ!と、甲高い笛の音で意識を眼前に引っ張り戻す。どうやら自己強化の音色のようで、ほんのりネフィリムの体が発光している。そろそろ仕掛けて来るだろう、出来る事はしようじゃないか、チクショウ‼︎
大慌てで魔法を二つ展開する。展開仕切るまで時間はちょっとばかしかかるが、少し距離があるので大丈夫だろう。槍をしっかり構えて、立つ。足の痛みに、背中の痛みに体が燃えているような錯覚を覚えるが、最早燃え尽きるのみだ。
魔法の展開を見て焦ったのであろう、ネフィリムが慌てて突撃して来る。黒い少女に比べると些かスピードは劣るようだが、十分速い。部下達では反応出来ないのでは無いだろうか。
大股で駆けながら姿勢を低くし、前傾姿勢を保ち肉薄して来る。いい判断だ、それだとこちらが遠距離の攻撃魔法を使っていたとしても当たりにくいであろう。
だが、遠距離魔法なんて、そんなもので攻撃して当たらなければそこで終わりじゃねぇか。俺は鼻から遠距離魔法等諦めている。代わりに丁度一つ目が発動したな!
淡い黄色い光が身体を包み、翼や足の痛みが消える。治ったわけではなく痛覚遮断の魔法だ。これでなんとか踏ん張れるが、所詮付け焼き刃だ。だが回復の魔法は更に時間がかかる、そんな暇は頂けないだろうさ。
ネフィリムが、こちらが一つ魔法が発動したにも関わらず、遠距離攻撃が飛んでこなかったのを見て姿勢を戻し、更にスピードを増してこちらに向かって来る。もう時間の問題でぶつかるだろう。やはり楽武を使いこなしているようで、先程とは違い旋律を奏でている。
人間やネフィリム達の音楽には詳しくないが、激し目の曲調だ。そして放たれたのは衝撃波、でかいな、あのネフィリムの身の丈位はあるんじゃねぇか。
こちらも、迎え撃つ。槍術スキル【ピンポイントアタック】を発動し、構える。幸い衝撃波はネフィリムより少し早い程度、目で追える。スキルを発動すると衝撃波のど真ん中の部分が強く明滅する。相手のスキルでは無い。
その明滅を力一杯貫く。瞬間、本来なら一部分に槍先を当てようが、こちらに直撃していたであろう衝撃波は霧散する。衝撃波の後ろから驚いた表情のネフィリムが姿を現す。
貰った。完全に油断したな。さっきの衝撃波で俺が倒されるか、少し吹き飛ばされると思ったのか知らんが、攻撃を仕掛けてもいない。カウンターの心配も無さそうだ、顔面ど真ん中に当たるよう再度槍を刺突。槍は剣の類と違い、渾身の力を込めて突かなければ直ぐに引いて次の攻撃に移れる。幾ら鍛えても一撃の力が伸び悩む俺には丁度良かった。
ネフィリムの顔に俺の槍が刺さる直前。右手に痺れが走り、一瞬遅れて槍が上向きに右手ごと弾かれる。ギリギリ鼻先を掠めてネフィリムは俺の脇を通り過ぎる。
何が何やら、他の連中は手出しできるようなタイミングだったとは思えない。ネフィリムを見ると周りに赤い小さな犬が走り回っていた……こいつか。
ネフィリムのスキルなのかは知らんが、見た事のないものだ。兎に角こいつの周りには緑の鳥も含めて動物型の手下が三匹という訳か……あぁもう、神様恨むぜぇ、マジでな。
右手は大したダメージにもなっていないが、更に状況が悪くなった……1対7って、一騎当千なんて物語の中だけだっつうの。
残る手札は魔法一つ。後ろにネフィリム、前に人間共。俺にどうしろと……。だが狙いはネフィリムか、数が違いすぎる。
もう待ってる暇はない。相手が再度演奏を始める前に叩く!
残していた魔法を人間共の方に発動。光の爆竹のようなもので、ダメージは薄いが視界と聴覚を一瞬封じれば上等だ。
横槍が入る前に今度は此方から向かう。足がこんな状態で、全力のスピードなんて程遠いが、相手は実戦慣れしていないのか慌てて笛を構えている……ほぉ、演奏は諦めたか。
迫る、足は踏ん張れないのは分かっている。なので左足だけで飛び掛かった。やけっぱちのスキル【五月雨突き】を発動し、無理矢理槍を何度も何度も刺突する。スキルの効果もあり、一撃一撃が渾身の一撃だ。
「クソッタレがぁぁぁぁあ、くたばれってんだよぉぉ」
あぁ、こんな体たらく、こんな言葉遣い。先輩方に見られたら折檻行きだろうなぁ。
分かっていた。恐らく届かない事を。最初の3.4発はしっかり相手に直撃していた。だが、その後は全ての刺突を青熊が割って入り受け切りやがった。
スキルが発動し終わり、飛び掛かっていた体は無様に地に落ちる。腕が一気に重くなる。息が切れる。青い熊は多少弱った様によろめきながら後ろに下がり、代わりにネフィリムがヨタヨタと前に出てきやがる。お利口なペットだこと……。
「○◉×δ=♪」
何やら言っているが、知るもんか。
ネフィリムは最後に、楽武を高らかに振り上げ、鈍色の光を纏わせる。おぉ。神よ……なんてなぁ。
クソッタレが。




