こんにちはスイケレ学園
ここは魔法と科学技術の世界。
1970年に南半球で目撃されたモンスターという異形の生物はわずか10年で南半球を支配し、人類は北半球まで生存圏を狭めた。
モンスターの圧倒的な物量と個々の戦闘能力は当時の軍隊では刃が立たず、さらに10年防戦に徹することになる。
ようやく人類がモンスターに対抗するための武器を手にしたのは2000年代に入ってから。
B-SA兵器という人間が搭乗する有人兵器は当時のモンスター生態研究と科学技術の粋であり、従来の火器や、個人的特性に火力が左右される魔法とは異なり、一定の適性さえあれば訓練次第で平均的な魔道士以上の戦果を挙げることが可能になった。
B-SA兵器の登場と、数十年に渡る戦闘で高度化した魔法戦闘技術で、赤道線上まで生存圏を回復することに成功したのだった。
――2030年1月 日本国東京都。
「穂乃村 鈴音さん〜」
看護師に私の名前が呼ばれたようだ。
今は年に1回の健康診断中で、日本国民はとある事情で1月に健康診断を受けることを義務付けられている。
やっと健康診断も終わる。 あとは魔力を測定して終了だ。
魔力測定の部屋に入室する。
医療施設らしい白を基調とした小さな部屋で、ピンク色の座面の丸い、小さな椅子がぽつんと設置されており、木製の白いデスクには真っ黒な紙が一枚だけ置いてある。
この黒い紙が魔力測定用の――なんという名前だったかは忘れたが、これに手を置くことで魔力の測定ができるものだ。 改良は加えられているものの、相当昔からある方式の魔力測定方法らしく、一説によると紀元前から使われていると聞いたこともある。
「では紙面に手のひらを押し付けてください。」
看護師が指示に従って、真っ黒な紙に手のひらを押し付ける。
昔パパの見ていた映画でこんなシーンがあったような気がする。
黒くて薄い立方体に猿が恐る恐る手を伸ばして――あとは寝てしまったから覚えていない。
手のひらの輪郭に沿って、じわーっと白い染みのようなものが黒い紙に広がっていく。
魔力が弱いと灰色だったり、そもそも手のひらの輪郭から色が飛び出たりしない。
去年よりも魔力が強くなっている証左だろう。
「はい、ありがとうございます。」
看護師はそう言うと、手のひらの形に白いシミがついた用紙を取り上げ、手元の資料と照らし合わせている。
このような待ち時間は不思議と緊張する。 何か悪いところでもあったのではないかという気分にさせられるのだ。
「穂乃村さん。 魔力が一定値を超えたため、国のデータベースに魔道士候補者として登録されることになります。」
「また、スイケレ学園という特殊戦学校への入学権利も付与されますが、強制ではないのでご安心ください。」
「ただし――国が危機に陥った場合はその限りではありません。」
看護師はそう告げると、ファイリングされた資料一式を袖机から取り出し、私に差し出した。
前述した健康診断を1月に強制される理由――それが一定の魔力値を持つ魔道士候補者を見つけ出し、
特殊戦学校という対モンスター戦のプロフェッショナルを育成する学校に4月から入学させるためだ――と聞いた。
魔法は程度の差はあれど誰でも扱えるものだ。
その中でもモンスターと戦闘が行えるレベルに魔法を使いこなせる者を魔道士と呼ぶ。
法的には18歳以上かつ3年以上の魔道士教育を受けた者のみ魔道士と認められるため、私のような素養だけはある者は魔道士候補者と呼ばれる。
「それでは本日はこれで以上となります。 お疲れ様でした。」
看護師はこれで健康診断が終わりだということを告げる。
「はい、ありがとうございます。」
私は一礼すると、お手洗いに向かう。
鏡に映る、桜色の長い髪に藍色のやさしい瞳をした平均的な身長の少女――やや胸が小ぶりなことがコンプレックスだが、これが私だ。
仲の良い両親の元に不自由なく育ち、夢見がちでやや怠け者の一般的な女子だと認識している。
「魔道士候補者かぁ……」
ずっと平均的に生きてきたと思っていたが、魔道士候補者になってしまうとは……とやや複雑な心境に陥る。
国を守ることのできる貴重な才能だとは思うが、モンスターと戦うのは正直怖いと思う。
昔、喜び勇んで特殊戦学校に入学した友人がいたが、不安はなかったのだろうかと振り返ってみる。
――まあ任意だし、ゆっくり考えればいいか。
いつものように面倒事は先送り。 荷物をまとめて帰路につく。
電車の駅は健康診断の会場の目の前で、2分とかからず到着する。
ちょうどやってきた電車に乗り込み、座席に腰を掛ける。
私の家は都心から離れている。
昔の東京にはたくさんの人が集まって、電車には人を押し込まないと乗れないほど混み合っていたらしい。
だが、モンスターが南に向かうほど数が増えて危険になると周知されてから首都機能は東北以北に分散された。
このような事情から、人々はモンスター被害の少ない北部に移住することを希望する人が増加しており、南にいくほど過疎地域になっている。
特に北海道への移住希望者の数は多く、重要人物、特殊戦学校の学生、身体的に虚弱な者など、特殊な事情を抱えていなければ移住は認められないほどだ。
現在では首都機能の分散から発展して、全都道府県が国家として機能するように整備され、合州国化している。
もしモンスターに本土が滅ぼされかけても、都道府県の中から1つでも生き残っている自治体があれば日本は滅亡したことにはならないという、最終局面を見据えた政治的判断だ。
電車の不規則なやさしい振動が眠気を誘う。 下瞼が発する重力に上瞼が負けて落ち、脳が心地の良い麻痺で満たされる。
「聖蹟桜ヶ丘〜、聖蹟桜ヶ丘〜。」
聞き慣れたアナウンスで目を覚ます。
急いで荷物を抱えて電車から飛び出す。 危ない、乗り過ごすところだった。
駅周辺は商業施設や飲食店が立ち並び、全く不便はない。
ただ、我が家は坂を登った丘陵地帯にあるため、駅に行くだけでも結構時間がかかる。
高所ゆえに景色がいいことは利点であるが、利便性を捨ててまで取ることかと言われるとやや疑問符がつく。
それでも結構な住宅が立ち並んでいることから、結構な魅力がこの土地にはあるのだろう。
実際、私も近所の公園から夕日を眺めることがある。
道なりに進む。
カーブの多い坂で、そのカーブを貫くように階段が一直線に設けられている。
東京は緑のない場所と言われることがあるが、このあたりまで都心から離れると自然に親しむことは容易いもので、深呼吸すると草木の香りが肺いっぱいに満たされる。
閑静な住宅街に悲鳴が響く。 幼い声だが、非常に近い。
「な、なに!?」
驚いて声を上げ、周囲を見渡す。
丘陵の中腹にある、低地を広く見渡せる公園だ。
幼い女の子が、黒い犬のような姿をしたものと睨み合っていた。
それは間違いなくモンスターだ。 TV等で取り上げられるようなものより遥に小さい。
私は地面を蹴って全力で駆け寄り、幼女とモンスターの間に割り込む。
モンスターと対峙したときは交戦せず逃げろと教わっているが、幼女を抱えて逃げたところで逃げ切れるはずがない。
私は――魔道士候補者だ。 もしかすると倒せるかも……!
いざというときの護身魔法は習っている。 モンスターに手のひらを突き出し、意識を研ぎ澄ます。
「”ショックα”!」
小さな衝撃の玉が出現し、モンスターに向けて射出される。
爆竹のような小さな音と共に衝撃の玉が弾け、モンスターの表皮を抉った。黒い塵のようなものが飛び散る。
しかし、撃退に至るには威力が小さすぎた。
モンスターは大きく吼え、飛びかかる姿勢に入る。 幼女を全力で抱きかかえ、盾になる。
パパ、ママ、ごめんなさい! 私はこれでおしまいみたいです!
死を覚悟したそのとき、丘陵の崖面から人間が飛び出す。
それはモンスターの首筋を掴み上げ、地面に組み伏せ、左腰につけたホルスターから歪な形の拳銃を抜くと、モンスターの腹部に2発発砲する。 青いマズルフラッシュが一面を照らした。
モンスターは形を崩して黒い塵の山と化す。 吹いた風に塵は舞い、どこかへ消え去る。
「嬢ちゃんたち、怪我はないか?」
軍服の女は私達に問う。 幼女に怪我はなさそうだが、私は足が緊張でつってしまった。
「はい。怪我はありません。 あの、ありがとうございます。」
一瞬の出来事で呆気にとられていたが、私は謝辞を述べる。
「最初に魔法を行使したのは大きい方の嬢ちゃんだな? その子を守ってくれてありがとう。」
「ここは間もなく東京都防衛軍魔道士隊がモンスターの殲滅行動に入る。丘陵からは降りてくれ。」
軍服の女は手を振って立ち去った。
「これが……魔道士。」
私が手足も出なかったモンスターを流れ作業のように倒して去っていった。
効果の乏しい魔法を撃っただけで、最後には諦めてしまった。 無力感が心を支配した。
「大丈夫?」
幼女に声を掛けると、コクンと頷いた。
「じゃあ、降りよっか。」
――それから数ヶ月後。
私は中学を卒業してから特殊戦学校に入学することを決めた。
パパとママは反対したけど、なんとか説得して最後には認めてくれた。
理由はいろいろあるけど、やっぱりあの時のようにモンスターを前にして、守らないといけない人を守れなかったのが悔しかったからかな。
この国にある特殊戦学校は、北海道のスイケレ学園という変な名前の学校だ。
魔道士科と機操士科の2つあって、私は魔道士科を選んだ。 石狩郡っていう聞いたことのない場所にあるようだけど、調べてみると札幌から少し離れた場所にあることがわかった。
パパとママが羽田空港まで見送りしてくれたけど、寂しくて飛行機の中で泣いちゃった。
でも寮暮らしになるし、友達ができれば寂しくなくなるよね。 北海道に降りたときは3月なのにまだ寒くて、雪が残っていたよ。空気がカラッとしていて、湿度が少ないのかとても空気が新鮮に感じたのを覚えてる。
東京に比べて電車の運賃は高く、20〜30分に1本という間隔で私は驚いた。
でも駅の間隔もとんでもなく長い。しかも思ったよりも田舎ではない。
やはり北に人が集まっている分、それなりに発展しているようだった。
札幌も見てみたかったが、正直荷物が重くて観光する気にはならない。
札幌駅で何回も階段を上り下りして、電車を乗り換える。 寒いホームで20分も待った。
スイケレ学園のあるスイケレ駅に行くには学園都市線という路線に乗り換える必要があるらしい。
学園都市とはスイケレ学園のことかと思ったが、沿線に学校が多いからそう呼ばれているだけで、昔からの名前らしい。
電車が到着し、結構な人数が乗り込む。 冬に冷気が車内に流れ込まないようにするための工夫だろうか。 電車に入ってすぐの空間は風除室のようになっており、内部の扉を開くことで座席のある車内に入ることができるようになっている。
その風除室でキャリーバッグを座席代わりにして外を見つめる。
札幌駅から1時間ほど電車で揺られる。 新千歳空港から札幌駅だけでも結構な時間を電車で過ごしたため、若干腰が痛い。
「スイケレ駅〜スイケレ駅〜。お出口は右側です。」
アナウンスがスイケレ駅に到着したことを告げる。
結構な乗り降りがあるようで、急かされるようにホームに降り立った。
電車の中はほとんど空になっていた。 ほぼ全ての乗客がスイケレ駅で降りたことになる。
まだ雪の残る田舎というべきだろうか。 北には不自然に穿たれた山がある。 一体何が起これば山に大きな穴が開くのだろうか。
東には何もない。強いて言うならば数軒の民家があるのみ。 南には線路。 そして西には――。
何もない田舎に不釣合いなほど巨大な建物が何棟も立っている。
アウトレットパーク――いや、大規模商業施設をいくつも併設しているような土地がドドンと構えてあり、さながら小さな街のように見える。
改札を抜け、案内板に従って道を歩く、やはりあの大規模な施設群がスイケレ学園のようで、
大きな建物の影を追いかけて何もない道を延々と歩き続ける。
「なにあれ城門?」
思わず口に出してしまうような立派な門がある。 城門――もとい校門であろう。
戦車も通れそうな立派な門が待ち構えていた。
「ちょっと待ったァ!」
何かに呼び止められる――が、声の主がいない。
「下だよ!」
視線を下に移すと、燃え上がるような鮮やかな赤髪の女性がいた。
藍色を基調としたブレザーに身を包んでおり、胸には三角帽子のエンブレムがついている。
その意思の強そうなオレンジ色の瞳は、見るだけで快活な性格だと思わせてしまうほどだ。
別に彼女が小柄というわけではなく、私が上を向いて歩いていただけのようで、身長は私より高い。
「はい、私でしょうか?」
私はおずおずと答える。
「もしかして――穂乃村さんか?」
その女性は手元の紙と私の顔を見比べながら問う。
「はい、穂乃村 鈴音といいます。」
簡単に自己紹介をすると、その女性はにっこりと笑って手を差し出す。
「おー! そうかそうか! 私は北斗 聖桜という。一応生徒会長をやってる。よろしくな!」
握手をすると、ものすごい握力で握られた。 手を離すと握られた部分が白くなっていた。
北斗さんは両手を広げて叫ぶ。
「じゃあ、学園生活を始めよう!」