現代版 小倉百人一首 NO.12
私は古典が大の苦手教科だったのですが、和歌を知って少しは楽しくなりました。
古典嫌いな人も、古典好きな人も、両方楽しんでいただけたら光栄です
*史実2割、個人的解釈8割の2:8なのでそこはご理解のほどよろしくお願いします
天の原 ふりさけみれば 春日なる
三笠の山に 出でし月かも
阿倍仲麻呂
電車は上下左右に小刻みに揺れ、車窓から見える都会の明かりを流星に変えながら走っている
車内は忙しくキーボードを叩く音や、子供の甲高い話し声、女子高生の集団が携帯を片手に笑い合う不協和音が反響し合う
俺はポケットからイヤホンを取り出すと、スマートフォンと接続してJ-popのプレイリストをシャッフルで流す
左手でスマホを持ち、親指で少しずつ音量を上げて自分だけの世界に入る
なんやねん……
心の中で呟いた言葉はこれまで溜め込んだ悩みを溢れ出させた
「 高校生はまだ子供だ」と親は言い、都合のいい時だけ、「大人になれ」と親は言う
そんな理不尽な屁理屈のせいで俺はこうして都会に無理やり連れてこられた。親の転勤はどこにでもありふれた話だが、自分の身に降りかかることがこれほど面倒で厄介なこととは思わなかった
父親が東京への転勤が決まり、母親は単身赴任させるのは不安だといい、なし崩し的に俺の関西の田舎から都会への引越しが決定した
一人暮らしをしたいという主張は“まだ子供だから”という親のエゴで消され、それでも怒鳴るように抗議を続けた結果、“もっと大人になりなさい”と荒唐無稽なことを口走られた
ドラマであるような関西からの転校生が東京でいじめられるような展開は現実世界ではまったくないが、やはりアウェーであることには変わりがない
全員が標準語を使ってまるでドラマの世界のようで俺にとってはまさに作り物の世界でしかない
クラスの端っこの席でつつがなく授業が進む様子を傍観し、悲観し、達観し、俯瞰する。最初から出来上がったクラスは俺が付け入る隙などまったくなかった。クラスの盛り上げ役も、アイドルも、取り巻きも、地味な奴らも、全員が統制されたカースト制度の中で生きている
それを見て、ピラミッド型の身分制度の底辺にすら入れてもらえないことに疎外感を感じてしまい、無理をする必要はない、俺の居場所は元々こんな場所じゃないと自らを詭弁で説得し、東京の都会と関西の田舎という境界線(フォッサマグナ?)を引くしかなくなってしまう
たまに、クラスの中心的人物が気を遣って関西弁を使って喋りかけてくれるが、「なんでやねん」のイントネーションが全然違ってそれがより一層クラスとの壁を厚くさせる
ヴヴッとスマホが震えると同時に画面の上に母親からのメッセージが表示される
『早く帰ってこないと夕飯なくなるわよ』
その羅列された文字に思わずスマホを強く握りしめ、親指でスマホの音量ボタンを押してしまい耳に入るJ- popが轟音となる
「ッ!」
イヤホンを慌てて耳から外し、舌打ちをしてスマホごとカバンの中にかなぐり捨てた
全てに腹がたつ
転校を渋々受け入れたお礼だといって両親が買ってくれた最新機種のスマートフォンも
東京に来てから仕事で深夜に帰ってくる父親も
社交性がやたら高く、近所のママ友とお洒落なカフェで毎日のように入り浸っている母親も
そしてそんな母親をわずか数ヶ月で標準語を日常に組み込ませる東京も
都会・東京は魅力的だが、俺には合わない気がしてならない
「おかーさん、今日お星さまみれる?」
イヤホンを取ったことで嫌でも車内の音が聞こえる
「どうやろな?東京じゃ見れんかもな」
「じゃあお月さまは?」
「ん〜曇ってるし無理かなぁ?」
話している内容とイントネーションから西日本側の発音だと気づく
恐らく今から新幹線に乗って帰るのだろう
国内の交通便ならすぐにでも俺の故郷に帰ることができるのだろうが、線路を辿れば着けるのだろうが、どうしようもない
通路を挟んで隣の社会人らしき男性はラップトップを使ってタイピングをしていたが、しばらくしてback spaceボタンを長押しして、深いため息をついた
女子高生の集団はいつのまにか集団ではなく、髪の毛を染めた女子高生がひとりで携帯をいじりながら手すりを持って立っていた。きっとほかの女子高生は俺が気づかないうちに降りたのだろう
不意に昔を思い出した
いや、昔とは言っても数ヶ月前の話だが、何故だか思い出すのもやっとな遠い昔の記憶のように感じる
部活帰り、友達と話をしながら電車に揺られて帰った
俺の家は一番学校から遠く、友達と別れた後は駅をあと二つ通り過ぎなくてはいけなかった
そんなとき俺はいつも友達を入り口で別れを告げたあと、手すりを掴みながらいつも外を眺めていた
光のない暗闇を見ながら、ときおりガラスに映る自分を見ながら無心を徹底した
彼女も同じなんじゃないだろうか。スマホを無心になるために使っているんじゃないのか
車内で駅名を告げるアナウンスが響くと俺はカバンを背負い、降りる準備をする
車内にいる親子と社会人と女子高生を一瞥して、ドアが開くと同時にホームに降りる
ふと、目線を感じ振り返ると手すりを掴んでいた女子高生と目があう、
美しく、儚げで孤独な彼女は俺の目の奥に映る、自分自身の姿を見ている
『ドアが閉まります』
起伏のないアナウンスとともに重なった視線は遮られた
線路を走り去る電車の光は次第に小さくなり、見えなくなった
見上げると暗雲が夜空を覆っていた
深くため息をつき、階段を上がろうとしたとき、人工の光とは違う薄白い光が空を照らした
ああ、俺はこれを知っている
田舎の電車からたまに見た光だ。真っ暗な帰り道を照らしてくれた光だ
道はつながっていると言えどもゴールを見ることはできず、同じ空の下と言っても曇っていては意味がない。
というか、多くの人が不安になる夜になってしまえば道は足元しか見えないし、空なんて真っ暗でより不安を煽る
よくJ- popで聴く歌詞では俺の心を完全には理解してくれない。でも、別にいい。俺はそこに慰めは求めていない
東京でも、関西でも、きっとどこにいても月の光は変わらず俺を、照らしてくれる
NO.12ですが現代風に解釈するのをNO.1から順にしてるわけではありません。
書きやすいと思ったものから順に書いてあります