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怖い短編

いもうと

作者:井川林檎
横溝正史が大好きで、思春期はそればかり読んでいました。
 確かにわたしには、妹がいた。

 紅い帯を締めた、紺の着物の幼い妹。
 おかっぱに切りそろえた髪の毛は、さらさらと光を受けて輝いた。
 漆黒の瞳は黒砂糖の飴のようで、つやつやと潤んで愛らしく。
 真っ白で傷つきやすい肌をしていて、頬は柔らかに色んでいた。

 妹とわたしはいつも一緒だった。
 片田舎の貧しい村の中で、うちは三本の指に入る屋敷だった。
 昔は殿様に仕えた家柄だったらしい。冷え冷えと広い廊下と、いくつも連なる古びた襖。
 立派なおうちだと、言われていた。


 どういうわけか、ある時期から病弱な家系となり、いつの代からか人目に触れてはならない病が血脈に混じり込んだ。
 幼いころからわたしは、がんがんごんごんと、鉄の格子を掴んでゆすぶる音を聞きつけていた。それは屋敷の地下から響いてきて、ひっそりと静かな北の離れなら、特によく聞こえた。

 がんがん、ごんごん。
 ああー、あー、ああー。

 夜になると、鉄格子の音に混じり、嘆くような声も響いてくる。
 うちには地下牢があった。
 わたしが子供の頃、そこに入れられていたのは、お嫁さんをもらって間もなく発症した、大叔父様だった――と、聞かされている。

 毎日三回、大叔父様にごはんや薬を届けるのは、お母さまの役目だった。
 北の離れの廊下の角に、ひっそり作られた隠し階段が、地下に繋がっている。
 お母さまは、襷をかけた姿でかいがいしく、お盆を持って地下に行く。湯気の立つお椀を、零さないようしっかり持って、とんとん降りて、またとんとん上がってくる。

 お母さまが地下に行く時だけ、がんがんごんごんという陰気な音は、静かになるのだった。



 お母さまが亡くなったのは、五歳の時だった。
 痩せて色白で、いつもかいがいしく体を動かす母だったけれど、胸を病んでいたらしい。
 病んだ胸を抱えながら、それでも地下に食事を運び、世話をしていた。それが母の、この家での役目だった。

 わたしはほとんど、母の温もりを知らない。
 覚えているのは、抜けるように白いうなじと、襷掛けをした絣の着物の後姿。
 姉さんかぶりをした母が、お盆を持ってとんとんと、狭い階段を降りてゆく場面が、強烈に焼き付いた。

 病んでいるから近寄ってはならないと言われ続け、母もわたしを抱くことが許されなかった。
 おばあさまたちは、わたしに絵本やおもちゃをたくさんくれたけれど、やっぱりわたしは母が恋しかった。
 北の離れに隠れて、地下に届け物をする母を垣間見ては、お母さまお母さまと涙にくれた。

 西日の差し込む北の離れは特に寒くて。
 体に障る、風邪をひくと厳しく言われ続けたが、それでもわたしの遊び場は北の離れだった。
 夕暮れ時の紅い日差しが縁から差し込み、柱や障子が長い影を引く。
 陰に隠れて、わたしは母を見る。
 とんとんと、白い足袋が板張りを歩く。ぜいぜいごろごろと、苦し気な呼吸の音が微かに聞こえる。

 最後に母の横顔を見たのは、亡くなるほんの数日前だ。
 おぞましいほど赤い夕陽が逆光になり、母の肌が浮き上がる。
 きいと扉を開き、地下に続く階段を、とんとんと降りてゆく母の姿。



 「お母さまだね」
 「そうねお母さまね」

 わたしは母が行き過ぎてから、そっと入り口に立って、あの、急で陰気な階段を見下ろしたのだった。
 わたしの側には、確かに妹がいた。
 紺の着物に赤の帯、飴玉のような瞳の妹が。




 母を亡くしたお屋敷の娘は、箱入りで真綿にくるまれ、蝶よ花よと育てられてはいたが、いつも孤独で。
 立派なお屋敷、由緒ある家柄だけど、あそこは病んだおうち、狂ったおうち。
 村人たちは遠巻きにしていた。
 子供たちは、あの家には近寄るなと言い含められた。

 わたしは孤独な子供時代を過ごし、娘となっても未だ一人だった。
 俯きながら窓際で読書をし、外から聞こえる子供らのはしゃぎ声に溜息を落とすだけ。
 母さん母さん、今日のごはんはなーに。
 夕焼け小焼けを歌いながら、赤ん坊をおぶった母親の手にぶら下がる男の子。
 あっ、あそこに人がいるよお嬢さんがいる、綺麗だなあと、わたしを見つけて笑顔になった。だけど母親は、怯えた様に早足になり、見てはいけません、と子供を叱りつけるのだ。

 流行の手提げを見せ合いながら歩く女子たち。
 豆腐を売るおじさん。

 夕日が作る影はどこまでも伸びるけれど、わたしはその影にすら、触れることができない。
 どこまでも孤独で。
 (寂しい)
 部屋を顧みても、一人。

 一人。



 あなたに妹様はいません。
 本当に、どうしてそんなことを思うのでしょう。

 亡くなった母さんの妹、かのえ叔母様は、時々屋敷に来てくれて、わたしの無聊を慰めた。
 かのえ叔母様は気さくでおおらかで、屋敷のひとにはない温もりがあった。
 叔母さんになら話せると思って、わたしは聞いてみたのだ。

 妹がいたはずだが、いつのまにかいなくなった。
 どこにいるのだろうか、と。

 わたしは北の離れに行った。
 広い屋敷の中で、そこに行く人はほとんどいない。
 屋敷の中でも、なんとなく避けられている場所だった。

 叔母さんは、わたしに付き合ってついてきてくれた。
 そうよ、ここでいつも妹と遊んでいたのとわたしは言った。
 叔母さんは静かに目を伏せ、かぶりを振った。あなたに妹はいませんよ。

 そんなはずはないと言い返しそうになった時、とんとんと近づく足音がした。

 わたしと叔母さんは障子に隠れた。
 お盆を持って姉さんかぶりをして、足早に通り過ぎてゆくのは義理の母様。
 お母さまが亡くなってしばらくしてから、うちにやってきた新しいお嫁さんだった。
 綺麗な人だけど、口数が少なくて俯いていて、やっぱりこの人も、地下に食事を運ぶ役割を引き継いだ。
 わたしとは、ほとんど喋ったことがない。

 同じうちに棲んでいるのに、切り離されて扱われる。
 「この家の人ではないのだから」
 いつだったか、おばあさまたちがそう言っていた。

 お母さまも、そう言われてきたのだろう。
 華奢で、物静かなその人は、とんとん歩いて扉を開き、地下への階段を下っていった。
 けほんけほん。
 咳が響いてくる。
 あの人、胸を病んでいるわねと叔母さんが気がかりそうに言った。

 「お医者にはかかっているのかしら。あなた、義母様には近づいちゃだめよ」
 叔母さんは淡々と言い、それから気がかりそうにわたしを振り向いて、もう一度言った。

 「あなたに妹はいませんよ。いないのです」





 いいえ妹はいる。
 夜の闇の中、目を覚ました時に、小さな掌がわたしに触れる。
 孤独に体を震わせた幼い頃、一人で寝るとなりには、必ず妹がやってきた。
 一緒に寝ましょう。
 二人なら寂しくはない。大丈夫だね。
 微笑み合って、ひとつの布団を分け合って、そうして目を閉じた。

 妹がいたから、わたしは毎晩眠ることができた。
 長く冷たい夜を、乗り越えることができた。



 義理母が亡くなった。
 お母さまと同じように胸の病だった。
 葬儀の後で、わたしはおばあさまに呼ばれた。

 地下へのおつかい役は、どうしても、いる。
 もう、地下のアレは荒い音をたてたり、声を立てることができるほどの元気はない。
 だが、生きている以上、世話はしてやらねばならぬ。

 嫁の役目を、わたしが引き継ぐことになった。
 「なに、ただ食事の盆を届けるだけのこと」
 そのほか、なんの世話をすることもない。アレはもう、あとは死を待つのみ。

 「この世の地獄を見るだろうけれど、格子を越えて、アレが出てくることは決してない。危険は絶対にない」
 アレが命あるのは、あと僅かだろう。その僅かな間、おまえに頼みたい。
 ……。



 悪臭こもる地下牢の前まで。
 足音がこもる、陰気な階段を。

 唇を噛んで俯いて、わたしはその仕事を引き受けた。
 怖い。怖い。
 もう人の姿とも言えないほど、荒れ果てたソレ。
 音を立てることもなく、ただ横たわり、汚物の中でひゅうひゅうと息を吐くだけのソレの近くに、食事の乗った盆を寄せる。
 どうやって食べるのだろうと思うけれど、次の食事の時に行けば、暗い裸電球の下で、置かれた膳は空になっていた。

 ごろごろ、ぜろぜろと病んだ肺の音が聞こえる。
 もうじき死ぬだろうと、おばあさまはそう言った。 
 きっと、そうに違いない。

 盆を持ってそのひとのところに食事を届けるわたしの側には、やっぱり妹がついていた。
 格子の中に腕をつっこんで、寝ているソレの側まで盆を押しやるわたしの手に、妹の白い手がそっと添えられた。

 二人だから大丈夫。怖くないよ。
 漆黒の飴玉のような、妹の目。
 小さな白い手と、綺麗にそろえた、おかっぱの髪の毛。



 ソレが死んだのは、まもなくのこと。
 胸の病で弱ったのだろうとみんなは信じた。
 だから、警察が来た時は、屋敷じゅうが一気にしいんと鎮まりかえった。

 「毒殺の疑いがある」

 屋敷のひとびとは顔を見合わせて押し黙る。
 大叔父様は、喀血して死んでいた。
 警察がひとまず帰ってから、みんなひそひそと、誰が密告したのだろうかと言い合い、意味深な視線を、じっとわたしに向けた。
 「行きましょう、お部屋に入っていて」
 かけつけていた叔母様が、わたしの背中を押した。



 毒を入れたのは妹。
 わたしの持つ盆にそっと添えられた、白い小さな手。
 台所の洗剤を小皿にとりわけて、そっと料理に回しかけた。


 「こうすれば良くってよ。もうこんなことをしなくても済むわ」

 飴玉のような愛らしい目で。
 微笑みを絶やさない桜色の唇で。

 妹は首をかしげてそう言って、姉さんさあ行きましょう、一緒ですと囁いた。



 いつも一緒だった妹。
 大事な妹。
 すべて、姉であるわたしを思って、してくれたこと。
 だけど妹は、洗剤を器にうつしたところを、誰かに見られたのかもしれない。その誰かが――屋敷の住人の誰かが――警察に密告したのに違いなかった。

 (逃げて)
 わたしは心で妹に呼びかける。
 屋敷のどこかにいるのに違いない、わたしの妹。
 警察はきっと大掛かりな捜査に乗り出すだろう。明日にでも家に乗り込むのに違いない。

 亡くなった大叔父様は、座敷で横たわり、ひとびとは今夜はみんな、そこに集って話し合っているはずだ。
 ひそひそぼそぼそと陰気な話し声が廊下に漏れ伝わるが、誰一人として座敷から出てこない。
 時折、おさんどんがお酒と料理を運んで行く位だ。

 わたしは寝間着のまま部屋を出て、そっと廊下を歩いた。
 ひとびとの集まる座敷や台所の付近を通り過ぎ、真っ暗な中を歩いて北の離れへ向かった。

 妹はそこにいる。
 きっと、そこにいる。



 怖い時、悲しい時、寂しい時、妹はいつも側にいてくれた。
 「あなたに妹はいません」
 何度も繰り返し言い聞かされて来たけれど、そんなことはない、妹はいる。

 わたしの孤独をやわらげ、妹だけはわたしの味方で。
 存在しないわけがない。
 もし妹がいないならば、それでは、あの寂しい幼い頃の夜、一緒に寝たのはだれだった。
 地下牢へ食べ物を運ぶ、お母さまの後姿を一緒に見送ったのは。

 大叔父様を殺したのは。



 北の離れは雨戸を閉められ暗黒の中。
 ぱちんと手探りで紐をひくと、裸電球が陰気に照った。
 埃臭い北の間は、蜘蛛の巣がかかった五月人形や古い着物、黴の生えた几帳などでごった返している。

 この混沌の中で、幼いわたしは孤独を癒してきた。
 忘れられた古い道具たちの中で遊べば、自分の寂しさが紛れる気がした。


 「そこにいるんでしょう」
 ごたごたと古いものが積み上げられた闇の中に、わたしは話しかけた。
 しいんと夜の寒さが足元を伝う。
 北の離れは冷たかった。

 (こんな冷たいところで、あなたは)



 「そこにいるんでしょう」
 逃げましょう。今夜のうちに逃げましょう。明日になればきっと、警察があなたを捕まえにくるから。

 ことんと音がした。
 返事の様な音だった。

 妹。
 そこにいるのね。


 わたしはガラクタの山に近づき、音のした部分に手を差し入れた。

 ごとんと音がして、落ちかかってきたものがある。
 小さな白い手。
 冷たい首と、飴玉の様な目。

 さらさらとしたおかっぱの髪が掌に零れ、それは赤い帯がほどけかかっていた。

 闇の中に、真紅の帯が、だらりと。





 お姉ちゃん、一緒よ。大丈夫。

 あどけない声は、頭の中だけで聞こえている。
 唐突に夢は終わりを迎え、わたしは現実のどんづまりに立つ。
 そうだこの手。小さな白い、冷たい手。


 この手が、いつも、わたしの手に添えられていた。
 確かにこの手だった。
 ふいに力が抜け、埃の浮いた畳に膝をつきながら、わたしは人形を抱きしめた。

 夜烏が屋根の上で鳴いている。 
角川ホラーを意識しつつ、いろいろと書いてみようと思っています。

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