始まりー自由な街ー
のんびりと読んで下さい。
「うー。寒っ」
ある人間が纏うコートの襟首を両手で手繰り寄せ、白い息を吐く。
白い靄が空に溶ける様を見て、ふと視界に入り込んだ、登りかけの太陽に目を移す。
「あんたは何処でも綺麗だな」
人間は少し目にしみる光を浴びて、呟いた。
「うわ、独り言とかないわ」
右隣りの下の方から尖った声が耳に刺さる。
それは幼い少女の声に聞こえるが、不思議と重みのある声だった。
「その癖やめたら?変態っぽいし」
「独り言じゃないよ、お前に言ったから」
人間は何となく歩きだしながら、低い位置にある頭を右手でぐりぐりする。
「もうっ!それもやめて!」
頭に乗せられた手を払い除けて叫ぶ少女に苦笑して、ポケットに右手を突っ込む。
「さあ、今日はどんなことがあるかな?」
「取り敢えずあなたがまともになれば文句ない」
「んー。それはどうだろ?」
「呆れた……」
この長身白髪の精悍な顔つき、10代後半の人間と、白髪の幼い顔立ち、10代前半の少女の二人組は舗装されていない道を並んで歩いていた。
長身の人間は文句を言いながらも、きちんと連いてくる少女の横顔を見て笑みを溢す。
「ちょっと、何がおかしいの?」
目敏く表情の崩れを見つけ、少女がジト目で睨みつけてくる。細められた瞳は、朝日を受けて綺麗な銀色をしていた。
「いや。……ここでおまえに愛の告白をしたらどんな反応するかなって」
「ふんっ、そんなの全力で"NO"よ。」
「だよねー」
ぷいっと顔を反らされてしまって仕方なく前を見ると、道の傍らに看板が立ててあった。
『この先、街』
「お、そろそろ着きそうだって」
「そうみたいね。毎度適当な看板だこと」
「そこがいいんじゃないか。あそこに『海の街』なんて書いてあったら、着いてからの楽しみが無くなるよ?」
「そうね。一体その楽しみの所為で何回死にかけたのかしら」
肩をすくめる少女に人間は笑いながら応えた。
「でも、死ななかったでしょ?」
「はぁ……。行くわよ」
自分の顔の高さの人間の腰に肘鉄を喰らわせて、少女は歩くスピードを上げた。しかし、
「……くっ。」
圧倒的な歩幅の差で即座に追いつかれてしまった。
「むぅ……」
その後、憎々しげに見上げる少女の視線に、人間は気が付かなかった。
ー自由な街ー
「よし、これでいいなっと」
独りごちし、手に持った紙とペンを受付の男に手渡す。
「有難うございます。……失礼ですが、どちらが……」
男は微妙な表情で目の前の二人組を見た。それに長身の人間が反応して口を開く。
「ああ、自分がナル。こっちがシルね」
人間は初めに自分、次に隣の少女を指し示した。
シルは街に入ってからずっと黙っている。
「かしこまりました。ナル様に、シル様。当ホテルには2泊するご予定ですね?」
「ええ。ただ、延びるかもしれないし、短くなるかもしれません。もし外出してから夜まで帰らなかったら、キャンセルにしておいて下さい」
「かしこまりました。ご自由にどうぞ」
ナルは男に礼を言って黙ったままのシルとホテルを後にした。
外ではお昼近くになっても気温はさほど上がらず、肌を刺す風が吹きすさぶ。
道路を歩く人々は身を寄せ合い、道路に面した出店では温かい料理や飲み物を売り出していて、朝食もとっていないナル達の空腹を刺激する。
「シル、お腹空いてない?あそこのスープなんか美味しそうだけど」
「……」
「シルさん?おーい」
「……い」
「い?」
「いいわね!やっぱり街にいる人は活気があっていい!」
「……」
シルが少女らしく目を輝かせてはしゃぐが、ナルはまた始まった、と遠くを見つめる。
「外で会う人も希望を持った人が多いから好きだけど、やっぱり街の中の人の方が楽しくて好きだわ」
「そーみたいだねー」
「うん!あなたも段々分かってきたじゃない!」
「お陰様で。ついでにその"好きな人"に自分が含まれていないこともね」
「もっちろん。だって――」
シルはずっと道行く人々から目を離さない。
「あなた、何か違うじゃない?」
そう言って、もこもこの防寒着に身を包んだ少女の髪を掻き上げる仕草は。
少女らしくなかった。
「……ま、取り敢えず何か食べよう。お腹が空いてたら始まらないから」
「じゃああそこのお兄さんの焼き鳥。いや、隣のお姉さんのやつも捨て難いわね」
「売り子の人だけじゃなくて、値段もチェック」
「はいはい。お金ないのは分かってるわ」
結局、無難に温かい野菜入りスープを買い、街の中心に位置するらしい広場のベンチで啜った。
その間も目の前を通る通行人を、シルはお皿を両手でホールドしながら、脚をパタパタさせて観察していた。
「ねえナル、ここの人ってインパクトあるわね」
「ん?まぁ」
「服とか、髪とか。統一感がなくて各々の特徴が目立つ感じね」
「確かに。ベンチだって、この広場にあるベンチも含めて全て違うデザインでできてる」
「なんででしょうね」
「なんでだろうね」
「それはこの街が自由な街だからじゃよ」
「……」
シルが周りを観察しているのに対し、その横顔をぼーっと眺めていたナルは、唐突な会話への介入に不意を突かれて口を閉ざす。
「こんにちは、素敵な叔父様。自由、な街ですか?」
シルは完璧な返しで反応する。ついでに無邪気な笑顔も付けて可愛らしい。
「そう!この街は全て自由!服装、髪型、建物、食べ物、その他全部が個人の自由なんじゃ」
「うんうん、それで?」
シルは相変わらず街人と話すのが楽しいらしい。
「つまり、人に左右されず、自分のやりたいようにできる!これこそ人間としての幸せなのじゃ!」
「なるほど。だからその髪型と服装、か」
腰まで届きそうな緑色の髪、そしてピンク色のタンクトップ姿。二人の目の前のご老体は、そんな格好をしていた。
「そうじゃ。イカすじゃろう?これが儂じゃ!」
「自分のアイデンティティの為にピンクタンクトップか。冬なのに。……冬なのに」
「もう慣れたわい!それはそうと、旅人さん等はこれから予定はあるかの?無ければ世話話に花を咲かせたいのじゃが」
シルの目がキランと光る。
「はい、行きます行きます!……いいわね」
「ま、まあ別にいいけど」
「そりゃあいいのぉ!じゃ、儂の家に行くかの」
振り返り歩いて行くご老体の背中を見て、立ち上がりながらシルは呟く。
「本当に元気な叔父様ね」
「全くだ」
珍しく同じ意見に落ち着いた二人組は、ご老体に付いて行こうとした、が。
「ここじゃよ」
近かった。どうやら広場を出て道路を跨いだ所の家だったようで、家の中からも広場が丸見えだった。
「ところでご老体」
これまた人の家でテンションを上げて、目を輝かせて椅子に座るシルを尻目に、ナルも同じく椅子に座ってご老体に声をかける。
「自由なと言っていましたが、法律、つまりルールの様なものは存在しないのですか?」
「んにゃ。あることはあるの。じゃが、必ずしも守る必要がないのじゃ」
「守ることも自由ってことですか」
「うむ。守らないのも、守るのも自由じゃからな。儂は気に入らんやつは守らず、どうでもいいやつは守っとるの」
そこまで言うと、ご老体はお盆にお茶と茶菓子を乗せて台所から出てきて、二人の対面に座った。
「どうぞ」
「有難うございます」
ナルはご老体からカップを受け取り、中身の熱い液体を口に含む。
「叔父様、このお茶は何というお茶ですか?」
シルはカップを受け取るなりご老体に問いかける。
「さぁの、お店で買ったが名前を忘れたの。……美味しいかい?」
ご老体はナルをじっと見ている。視線に気づいたナルは、ご老体を、次にシルを見て感想を伝える。
「ええ、とても。少し熱いですが、深みのある味で」
「それはそれは。気に入って貰えたみたいでなりよりじゃ。ほれ、お嬢さんも。茶菓子もあるのでな」
「うん、戴きます」
シルはそう言い、両手でカップを持つのだが。
「ただ――」
ナルがカップごとシルの手を押えたため、机から持ち上げられなかった。
「子供には少々刺激のある味ですかね?」
ナルはご老体を見ながら語りかける。
「何かしら、ナル?」
「シル、これは悪戯じゃないからね」
「……またなの?」
「ご老体に訊いて」
「叔父様、本当かしら?」
ご老体はまだナルを見ている。口も半開きで、呆然としている。
「お前、飲んだじゃろ?」
「ええ、熱かったですが。もう少し冷やして、遅効性の毒物が入ってなかったら文句なしでした」
「何故死なんのじゃ」
ご老体が立ち上がる。
「体質なのよ。残念だったわね、素敵な犯罪者様」
シルがゆっくりと立ち上がり、ナルもそれに倣う。
「法律を守る必要が無いなら、人を殺すのも自由って訳ですか」
高身のナルからすると、ご老体を見下ろす形になり、固まった表情でご老体は後ずさる。
「まぁ、動機はどうでもいいです。好奇心から殺そうとしたのか、金品目的からなのか。その他様々な想定ができますが、自分達には関係ありません」
ナルは再びカップを口に運び、残りを飲み下す。
「やっぱり冷えたほうが美味しいですね。御馳走様でした」
笑顔を貼り付け、呆けたご老体を一瞥したナルはシルを率いて家を後にした。
広場へ歩いて行く中、シルは不満気だった。
「素敵な叔父様かと思ったのに、つまらないわね」
「これで毒殺未遂は何回目だっけ?10は数えたと思うけど」
「知らないわ。ただ、私も殺されかけたのは久しぶりね。いっつもあなただけ毒を盛られるから」
「シルはいいところのお嬢様みたいだから、売って金儲けしようとする悪い大人が多いからね」
「あら、でも私だけ殺そうとした人もいたわよね。あなたが目的って、どういうつもりだったのかしら」
「……そんなことより、そろそろ街を出ようか。ここにいたんじゃ、いつ殺されても文句が言えない」
「もう日が暮れそうなのにかしら?」
気付けば、紅い太陽がじんわりと地平線に落ちて、肌寒さが際立ってきている。
暗くなるのも時間の問題だろう。
「あのホテルの人はルールに則ってるように見えたわ。むしろ泊まったほうが安全よ?」
「そうだけど……」
ブツブツ呟くナルをほぼ無視してシルは歩く。
すれ違う街人を観察するのに夢中なだけかも知れないが。
しかし、
「ええっ!?何これ?」
ホテルの扉に貼られてあった紙を見るなり、今日一番の声を上げる。
『疲れたので休みます』
風で捲れる紙には、殴り書きでそう書かれていた。
「有り得ない……。人としての自覚あるの?」
「うーん、そりゃあ営業時間も自由だしね」
周りを見渡すと、繁盛しだす時間帯の飲食店も軒並み閉まっていた。すっかり暗くなった街中で、道の傍らの街灯だけが唯一の灯りだった。
「これだったら外に出た方が安全、かな?」
「……分かったわ。ただし私はもう歩かないわよ」
「りょーかい」
ビシッと人差し指を向けてくるシルに、ナルは背中を見せてしゃがむ。
ワンテンポ躊躇して、軽いが確かな重みと温もりが背中に被さる。
「わ、暖かい」
「んもうっ!変態っ!」
シルは両手でナルの髪を強めに引っ張る。
「いったた……。でも、人の温もり好きでしょ?」
「うっさい!どう転んでもあなたは嫌いよ!」
街から出るまで、夜道に二人の声は響き渡ったが、誰も注意する人は居なかった。
何故なら二人も"自由"なのだから。
私の目指すものはのんびりとした物語です。ついでに執筆ものんびりしてますので、のんびりと待って頂ければ幸いです。