4.
本日2回目の投稿です。
北の国の王様が竜のお姫様を流したのは、とても大きくて流れの激しい川でした。だから、お姫様を閉じ込めた水晶玉を収めた宝箱は、波に揉まれてぐるぐると回って流れていきます。時には川底に叩きつけられたり流木にぶつかったりして、やがて箱も壊れてしまいました。北の国のお城で振り回されたり投げ合いっこされたりしたのよりもずっと激しく回って揺れて、お姫様は悲鳴を上げ続けながらぐるぐる回る水晶玉の中で縮こまっていました。
そうして何日の間流されていたのでしょうか。それでも川の流れはだんだん緩やかになって、お姫様を閉じ込めた水晶玉はやっととある岸辺に流れ着きました。お姫様のふるさとの砂漠の国からはまだまだずっと遠く、これも寒い国のどこかです。それもお城のあるようなにぎやかな場所ではなくて、近くの村人が魚を釣ったり水を汲みにきたりするほかは、鳥や動物や虫たちしかいないような静かなところでした。
でも、お姫様はそれほど怖いとも寂しいとも思いませんでした。あれだけあちこちにぶつかっても壊れなかった水晶玉ですからクマなんかに襲われても大丈夫だろうと思いましたし、何より誰にも嫌なことをされたり言われたりしないですから、砂漠の国から連れ去られて何年かぶりに、やっと安心して過ごすことができるようになったのです。お姫様が流れ着いたところからは人の家も見えなくて、夜になると真っ暗になってしまいましたが、空を見上げると月や星も見えました。フクロウやオオカミなんかの夜に生きる動物たちの目が、青や金色に光るのも綺麗です。本当の真っ暗闇だった箱の中に比べれば、ずっと素敵なところなのでした。
水晶玉の中にちょこんと座った――というかとぐろを巻いた下半身の上に人間の上半身が落ち着いた――お姫様を、動物たちが珍しそうにのぞいていきます。
「まあ、きらきらしてとても綺麗」
「こんな色の花は見たことないわ」
「甘いのかしら」
お姫様が身に着けた宝石や、炎の色のお髪や目を見てさえずり合うのは、小さな鳥や蝶たちです。深い森の中では、激しく燃える炎や磨き上げた宝石を目にすることはないから、とても変わった花のように見えたのでしょう。
お姫様は久しぶりに褒められて、くすぐったくなりながら答えます。
「ごめんなさい、食べられないのよ。でも、あなたたちの羽根もとても綺麗ね」
お姫様の方も、色々な色の鳥や蝶を見るのは初めてでした。砂漠の国にもきっと綺麗な鳥や蝶はいたのでしょうが、お姫様の炎で羽根が焼けてしまうので、近寄ってきたりはしなかったのです。お姫様だって、あの頃だったらひらひら飛ぶのがうるさいと思って燃やしてしまっていたかもしれません。
「あら、ありがとう。変わった姿のお嬢さん」
「もしかしてお花も見たことないのかしら。お礼に持ってきてあげるわね」
「ご親切にありがとう。とても嬉しいわ」
そんなお姫様だから、お花を捧げられてもすぐに枯らしてしまっていました。だから鳥たちがくわえてきてくれる小さなお花をとても可愛くて素敵に思ったし、どの色が良いとか誰にどれが似合うかなんておしゃべりをするのも、今までにないことで楽しいものでした。
よちよち歩きの狐の赤ちゃんが、お姫様の水晶玉に尖った鼻先を押し付けてくることもありました。
「どうしてこんなところに入ってるの?」
「どうやって入ったの?」
「出られないの?」
「きゃあ、やめてよ!」
狐の兄弟たちが何匹も集まって水晶玉をふんふんと突きまわすので、お姫様は転がってしまいます。でも、北の国のお城でされたのとは違って、狐たちはお姫様と遊びたくてやっているのです。つぶらな真っ黒の瞳がいくつも間近に輝いているのが可愛らしくて、お姫様もお母さん狐と一緒にくすくす笑ってしまうのでした。
「何て綺麗なお嬢さんなんだろう! これでお顔が人間じゃなかったならなあ」
長い舌をちろちろと出し入れしながら残念そうにつぶやいたのは、緑の鱗が素敵なヘビでした。お姫様のお顔もお髪も、身に着けている宝石も全然見ないで、小さな黒い目はまっすぐお姫様の朱金の鱗だけを見つめています。
小さな水晶玉に収まるくらい小さくなってしまったお姫様ですから、長い尻尾がヘビのように見えるのも仕方ないのかもしれません。それでも、お姫様は竜のお姫様ですから、ヘビなんかが馴れ馴れしくするのは本当は失礼なことなのです。以前のお姫様だったら、無礼者と叫んで真っ白な灰にしてしまったでしょう。でも、今のお姫様ならちょっと唇を尖らせるだけで済ませてあげます。
「ええ、私も残念よ。あなたが格好良い王子様なら良かったのに!」
「おお、失礼。世の中うまくいかないものだねえ」
お姫様が気を悪くしてしまったのに気付いたのでしょう、ヘビはお詫びをするように尻尾を振ると、するすると滑って行ってしまいました。
他にも、今までならお姫様を怖がって近づかなかった動物たち、お姫様の熱と炎で近づくことができなかった動物たちが水晶玉をのぞきこんではお姫様に話しかけていきました。川にやって来る人間に見つかるのは怖かったので動物たちに隠してもらっていましたが、子供たちの笑い声や追いかけっこをする賑やかさは聞いているだけでも微笑んでしまいます。
そうやってな動物たちとおしゃべりしたり人間の暮らしを見守ったりしながら、お姫様は今までなんてたくさんのものを燃やしてしまったのだろう、この世界の色々なことを、どうしてちゃんと見ようとしなかったのだろうと思うのでした。
「私が燃やしてしまった人やものや動物たちも、ちゃんとお話ししていれば良かったのかしら」
小さな水晶玉の中から見上げる世界には、色々な生き物がいて景色があって、季節がめぐるごとに姿を変えて色々な表情を見せるのでした。真っ白な灰しかない砂漠の国で、怒りにまかせて何もかもを燃やしてしまうことしかしてこなかったお姫様が想像もしていない世界がここにはあったのです。いいえ、多分砂漠の国にも。お姫様の炎があまりにも明るくて眩しかったから、お姫様には何も見えていなかったのでしょう。
そうしてめぐる季節を眺めるうちに、水晶玉には雨の雫が貼りついたり、埃が積もったり苔が生えたりしてだんだんお姫様が見える景色も曇っていきました。それでもお姫様はそんな少しぼんやりした景色の方が好きだわ、と思うようになりました。水晶玉が汚れてもやがては雨が洗い流してくれるでしょうし、貼りついた苔を舐めとってくれる虫とお話しするのも良いでしょう。
何より、お姫様はまた何かを、誰かを燃やしてしまうのが怖くなっていたのです。砂漠の国にいた頃は、何かに苛々したり面白くないことがあると、お姫様の見つめたものは何でも炎に包まれてしまっていました。この流れ着いた森ではそんなに怒ることもないし、魔法使いの水晶玉のおかげで誰かを傷つけてしまう力が外に出ることはないのですが。優しくしてくれる森のみんなを傷つけてしまうかもしれないと思うと、お姫様はずっとこのまま水晶玉の中で過ごすのでも良いわ、と思い始めていたのでした。
だって、お姫様は砂漠の国の人たちにずっとひどいことをしてしまったのですから。確かに水晶玉の中は窮屈ですが、それくらいは当然の罰のようにも思えるのでした。
ある冬の夜、お姫様は空から舞い降りる雪の欠片を眺めていました。そもそも水晶玉に閉じ込められてしまったのは雪が見たいなんて言い出したからですが、だからといって嫌な気持ちになったりすることはありません。この森に辿り着いてからは、毎年冬がめぐるたびに、お姫様の水晶玉は雪に埋もれてしまいますが、白くて眩しい雪の中に閉じ込められた次の日は、誰が掘り出して助けてくれるかしら、朝の挨拶をしに来てくれるかしら、なんて思うのも楽しみなのです。
「綺麗……触ったらどんな感じなのかしら」
お姫様がどんなに手を伸ばしても、触れることができるのはつるつるとした水晶玉だけ。雪なんて冷たいだけだと動物たちは言うのですが、冷たいとはどういうことなのか、軽い粉雪とべったりした雪では違う感じがするのか、口に入れてみたらどんな味がするのか、お姫様は気になって仕方がありませんでした。もちろん、外に出るのが怖いのには変わりないのですが。
「おお、寒い寒い」
と、近くで声がしたのでお姫様がそちらを振り向いてみると、ウサギがぶるぶると震えていました。白い毛皮はぐっしょりと濡れて、そこに雪が降り積もって、今にも凍ってしまいそうです。お姫様は心配してウサギに声を掛けました。
「まあ、川に落ちてしまったの?」
「ああ、雪でどこまでが岸か分からなくなってしまってね」
「どうしよう、このままじゃ死んでしまうわ」
ウサギの毛皮がぱりぱりと凍って、柔らかい毛が針のように尖っていくのを見てお姫様は水晶玉の中から精いっぱい手を伸ばして触れようとしました。炎の竜であるお姫様は寒いなんて感じたことはありませんが、普通の動物たちはあまりにも寒いと死んでしまうことを森の暮らしで学んでいたのです。
どうにかして暖めてあげたい――燃やしてしまえ、ではなくて助けるために。初めてお姫様は炎の力を使いたいと願いました。
「おや、何だか暖かい!」
するとどうでしょう、雪にまとわりつかれてほとんど氷の彫刻のようになっていたウサギの毛皮が、どんどん乾いていきました。まるでお日様を浴びてお昼寝をした後のようにふかふかとして良い匂いがしてきます。
「お姫様が助けてくれたのかい? ありがとう!」
すぐにすっかり元気になったウサギは、お姫様にお礼を言うとぴょんぴょんと雪の中を跳び去っていきました。
また水晶玉の中に残されたお姫様は、魔法使いの言葉を思い出していました。
『この水晶玉は、どんなに力を加えても――熱い炎で燃やしたり溶かしたりしようとしても、決して壊れないのです。少なくとも、他の者を傷つけようとする力ではね』
ウサギを助けようとしたお姫様は、もちろん他の者を傷つけようとなんてしていませんでした。水晶玉に閉じ込められてからだけではありません、砂漠の国で大事にされていた間にも全然気づかなかったことなのですが、炎の力は燃やしてしまうためだけのものではありませんでした。
お姫様は生まれて初めて炎は恐ろしいだけのものではないと知ったのでした。
翌朝、冬の弱々しい太陽が昇ると、お姫様の水晶玉を森の動物たちが取り囲んでいました。みんな、あのウサギから話を聞いてお姫様に助けて欲しいとお願いに来たのです。
「うちの子が凍えてしまいそうなの。暖めてやってくれませんか」
「せっかく南の国から帰ってきたのに、木に雪が積もっていて巣が作れません」
「もう食べるものがないんです。雪のせいで何も見つけられなくて」
「目が覚めたのにまだこんなに雪だらけなんて初めてだ」
身体を寄せ合って雪をかき分けてやって来たオオカミの親子。はるばる長い旅路を飛んできた渡り鳥。雪が深くてしまいこんでいたクルミなんかを掘り出すことができないのでしょう、リスの手はしもやけで真っ赤になっていました。冬眠から目覚めたばかりのクマ。それから森の奥から進み出てきたのは、立派な角の大鹿です。何年も森を見守ってきた長老でした。
「今年の冬は長すぎる。あなたが炎の力をお持ちなら、春を呼ぶことができないでしょうか」
集まって来た動物たちを見渡して、お姫様は確かにみんなやせ細っていることに気がつきました。言われてみれば、今年は春が来るのがずいぶん遅いようにも思います。最近姿を見ないと思っていた動物たちは、もしかしたら雪の中で動けなくなっているのでしょうか。まさか、死んでしまったものもいるのでしょうか。人間たちも、大分長いこと川に来ていないような気がします。
燃やしてしまうのではなくて暖めてあげることに――そんな力の使い方にを気づいたばかりのことで、すぐにできるか不安でしたが、お姫様はみんなを助けてあげたい、と心から思いました。
「分かりました。やってみます」
だから心配そうにのぞき込んでくる動物たちに、お姫様はしっかりとうなずいてみせたのでした。