1.
「雪が見たいわ」
お姫様がそんなことを言いだしたので、大臣たちは慌てて、とても困ってしまいました。
だってここは砂漠の国です。もう何百年も前から雪が降ったことなんて一度もありません。とても物知りの歳よりだってそんなことは聞いたことがありませんし、とても偉い学者だって、砂漠に雪が降るなんて書いてある本を見たことはありません。この国では雪を見ることはできないのです。でも、お姫様に正直に言う訳にもいかないのです。
「早くしてね。ぐずぐずしてるとお前たちもこのお城も燃やしちゃうから」
だってお姫様は人間のお姫様ではないのですから。
きらきらと輝く瞳はルビーのよう。艶やかなお髪は炎のようにふわふわと躍り、金色の火の粉を纏わせています。真っ白なお顔に、唇もやっぱり燃えるような紅。しなやかな腕も、細い腰も、金の鎖や宝石で飾り立てて。剥き出しのお腹におへそはなくて――その下には、真っ赤に溶けた金を連ねたような朱金の鱗が並んでいます。人間の脚よりずっと長く、素晴らしい宝石の山のようにとぐろを巻いて。
お姫様は、炎を操る強い強い竜のお姫様なのでした。
お姫様は、魔物や盗賊を焼き尽くして国を守ってくれる頼もしい方。でも、少しでもご機嫌が悪くなると目に留まるものを何でも灰にしてしまう怖い方でもあるのでした。砂漠の真ん中で雪なんて言葉を知ったのも、お姫様の強すぎる炎が生んだ真っ白な灰が雪のようだと、遠くから来た旅人が呟いたのを耳に留められたからでした。
「私は強くて綺麗で偉いのでしょう? 望めば何でも手に入るのでしょう? なのに知らないものがあるなんてイヤ。さあ、早く雪とやらを持って来なさい!」
そう仰るお姫様の目は炎のように揺らめいて、雪をとても楽しみにしていらっしゃるのが分かります。そしてそれが叶わないと知らされた時にはどれほどお怒りになるかもはっきりしていたので、大臣たちは心の底から震えあがって、どうかお待ちください、すぐに何とかしますから、とお姫様をなだめるのでした。
砂漠に雪は降りませんから、大臣たちは雪のようなものを差し出してお姫様に我慢していただこうと考えました。でも、お姫様の操る炎があまりにも強く激しくて、どれも上手くいきません。
大臣たちは、まず遠い北の国から大事に大事に取り寄せた氷を削って、雪がどんなものか見ていただこうとしてみました。でも、お姫様の周りはいつも肌がちりちりとするような熱気が渦巻いていて、きんと冷やした器に盛った氷もすぐに溶けて、お姫様が目にする頃には生ぬるい水に変わってしまうのでした。
腕の良い画家が描いた渾身の一枚、見るだけでぶるりと身体の芯が震えてしまうような雪景色の絵も効果はありませんでした。だって、どんなに見事な絵も紙に描くものですから、お姫様のお傍に持って行くと端の方からちりちりと燃え上がってしまうのです。
それならば溶けたり燃えたりしないもので雪を作ろう、と考えた者もいました。小さな小さな雪の結晶をたくさんたくさんガラスで作って、銀の器に削った氷のように盛り上げるのです。光を浴びると朝日に輝く雪と同じ、いいえ、それ以上にまばゆく煌いて、これならお姫様も喜んでくださると思われました。
でも、家来たちがなかなか雪を持ってこないので、お姫様はすっかりご機嫌斜めになってしまっていたのです。その日の朝も、侍女がお髪を梳く時に少し引っかかってしまったとかで、可哀想な侍女は影も残さず燃やし尽くされてしまったのでした。
お姫様のご機嫌が悪いと、周りの空気はどんどん熱くなってしまいます。まるでお部屋がパンやクッキーを焼くオーブンになってしまったように。あまりにも熱いから、ガラスの氷の結晶も、それを持った器の銀も、真っ赤になって溶け初めてしまったのでした。お姫様が見たいのは冷たい白い雪なのに、真っ赤な熱いものはお姫様がこの世で一番見飽きたものです。
ガラスの雪をお見せしようとした者は、やっぱり燃やされてしまって、砂漠の白い灰がまた少しだけ増えたのでした。
「どうして私の言うことを聞かないの? 本当に燃やしてしまうわよ!」
お姫様のお怒りで、もう火にあぶられたように顔を真っ赤にしながら、でも冷汗で全身びっしょりとして、大臣たちはひそひそと相談を交わしています。
「これ以上お姫様のわがままを叶えて差し上げることはできない」
「みんなしてお姫様を残して国を出てしまおうか」
お姫様のお陰で、この国は誰に襲われることもなく平和に過ごすことができています。お姫様のご機嫌を損ねては何があるか分からないので、綺麗な宝石や珍しい食べ物もあちこちから贈られてきて、とても豊かな国でもあります。でも、このままでは国に住む者みんながお姫様に燃やし尽くされてしまうかもしれません。
どんなに苦労しても良い、お姫様に燃やされてしまうよりは、この国を離れた方が良いのではないだろうか。大臣たちや召使いたちがこっそりと旅支度を始めた頃、お城の門を叩く者がありました。
「このお城にはとても恐ろしい力を持った炎の竜のお姫様がいらっしゃるとか。そのお方が雪を見たがっていらっしゃるというのは本当ですか?」
「ええ、そうですよ」
そのお客は黒いフードを頭からすっぽりと被っていて、声からも男か女か、若者か歳を取っているのかも分かりません。とても不思議で妖しい者だったのですが、お城の門番はそれほど気にせず答えました。だってもしも悪い人だったとしても、お姫様のように癇癪を起こして辺り一面を燃やしてしまうようなことはありませんからね。
「もしかして、何か良い方法をご存知なのですか。それならば是非教えてください。お姫様もきっとご褒美をくださるでしょう」
そのお客の口元さえも、影になっていて見えなかったのですが、その人は確かに笑ったようでした。
「ええ、もちろん。ついでにお城の皆さんの願いも叶えて差し上げましょう」
大臣たちや召使たち、自分のような門番も合わせたみんなが願っていること――それがどんなことなのかさっぱり見当もつきませんでしたが、門番はとにかくよろこんでその人をお城の中へと招き入れました。その人が何を考えているのだとしても、お姫様のご機嫌を取ってくれるなら大歓迎だったのです。
門番と同じように、大臣もそのフードのお客の言うことを聞いて大喜びでお姫様のお部屋へ通しました。考えつく限りのことを試して、それでもお姫様に満足していただけていなかったので、その人が何者か、何を企んでいるかなんて考えもしなかったのです。それに、お姫様はとても強い方ですから、お客が何かおかしなことをしようとしてもきっと燃やしてくださるでしょう。
「今度は何なの? また誰か燃やされに来たの!?」
期待してはがっかりしてを何度も繰り返してきたお姫様は、見慣れない人が来たというだけでもいらいらとして、朱金の尻尾で床を叩いています。色とりどりのタイルで綺麗な模様が描かれていた床も、お姫様からあふれる熱で溶けて混ざり合って、おかしな色になってしまっています。
お傍に寄るだけでも火にあぶられる肉のような気分になるのに、フードのお客は平然と――もちろん顔は見えないのですが――お姫様の前へと進み出ました。
「私は遠い国から来た魔法使いです。お姫様が雪をご覧になりたいとうかがって、お手伝いがしたいと思ってまいりました」
「ふうん?」
魔法使い、と聞いてお姫様も少しは気になったようでした。山のように、玉座のように高く巻いたとぐろを少し崩して、魔法使いだという人の方へと身を乗り出します。果たしてお姫様は本当に気に入ってくださるのか、大臣たちも固唾を呑んで見守っています。
「どうかこれをのぞいてみてください。お望みのものが見られますよ」
そう言いながら、魔法使いは両手でにすっぽり収まるほどの大きな水晶玉を取り出しました。泉の水をその形に取り出したかのように透明で、満月の月を思わせる何ひとつ欠けたところのないまん丸な球です。お姫様が生み出す熱で、陽炎のようにゆらゆらゆれる部屋の空気をつやつやとした表面に映して、いかにも不思議な力がありそうです。
「なあに? この中に雪があるの?」
お姫様も気になって仕方ない様子で、ますます魔法使いの方へ、その両手に捧げられた水晶玉へと身体を傾けます。お姫様のルビー色の目が、水晶玉に映った瞬間でした。
「きゃあ!?」
お姫様のふわふわと揺れる炎のような真っ赤なお髪。金色の首飾りを幾重にも巻いた細い首、白い肩。熱く溶けた金が輝きながら流れているような、見事な朱金の鱗が連なった長い竜の胴と尻尾。みんなみんな、水晶玉に吸い込まれてしまったのです。周りで見守っていた大臣たちが駆け寄る間もない、一瞬の出来事でした。
「ほら、ごらんなさい。これであなた方も燃やされたりはしませんよ」
魔法使いが掲げる水晶玉を、大臣たちが恐る恐る覗き込んでみると、その中ではお人形のように小さくなってしまったお姫様がしきりに玉の内側を拳で叩いていました。
「何するの! 早くここから出しなさい!」
お姫様の周りにはごうごうと真っ赤な炎が燃え盛っていて、いつものように無礼なことをした魔法使いを燃やそうとしているのだと分かります。さっきまでは透明で周りのものを映していた水晶玉が、今は中にいるお姫様と炎のせいで小さな太陽のように輝いていました。
「あの……お姫様はどうなったのですか? 何をなさったのですか?」
「この水晶玉は、どんなに力を加えても――熱い炎で燃やしたり溶かしたりしようとしても、決して壊れないのです。少なくとも、他の者を傷つけようとする力ではね」
魔法使いの顔はフードに隠れてやっぱり見えません。でも、きっととても嬉しそう顔をしているのだろうということが、弾んだ声の調子で分かります。
「お姫様には、このまま私と一緒に北の国へ行っていただきます。雪と氷に閉ざされた暗い国では、お姫様の熱と炎はとても重宝されるでしょう」
「そんな。お姫様がいなくなったら困ります!」
「困る? 本当に?」
慌てて水晶玉に手を伸ばしかけて――大臣たちははたと立ち止まってしまいました。
お姫様は、魔物や盗賊を焼き尽くして国を守ってくれる頼もしい方。でも、同時に、少しでもご機嫌が悪くなると目に留まるものを何でも灰にしてしまう怖い方。
雪をお見せすることができなかったばっかりに、大臣たちももう少しで燃やされてしまうところだったのです。お姫様がいなくなれば――魔物に襲われることは増えるのかもしれませんが、でも、それだって自分たちで剣や弓で戦えば良いのです。
「いえ……。ありがとうございます、お姫様の望みを叶えてくださって。お礼にお城の宝物をお好きなだけ差し上げましょう」
魔法使いが門番に言った、お城のみんなの願いというのももう明らかでした。大臣たちから召使いまで、本当はお姫様が怖くて仕方なかったのです。いなくなってしまえば良いと、心の片隅でずっと思っていたのでした。
「私を見捨てるというの!? 裏切者! 覚えていなさい、ここから出られたらお前たちみんな、跡形もなく燃やしてやるから!」
水晶玉の中のお姫様はルビー色の目を吊り上げて叫び続けていました。とてもお怒りというだけではなくて、ほんの少しだけ、悲鳴のような響きもあったのですが、とにかく、魔法使いが水晶玉を懐にしまうとその声も聞こえなくなってしまいました。
魔法使いは着ている服も不思議なようで、大臣たちが差し出した金貨や宝石を次々と懐に収めても、見たところはお城を最初に訪れた時と同じ、何も持っていないかのような姿でした。お姫様が閉じ込められた水晶玉も、どこにしまったのか分かりません。
「それでは、ごきげんよう」
白い砂漠に、魔法使いの黒い服がくっきりと映えたのも一瞬のこと。魔法使いが軽く地面を蹴ると、その身体は空へと舞い上がっていきました。青い空に一羽だけ、黒い鳥が飛んでいるかのよう。それもすぐに見えなくなって、こうして、砂漠の国からは竜のお姫様はいなくなってしまったのでした。
お姫様がいなくなったら、魔物や盗賊に襲われてしまうのではないだろうか。しばらくの間、砂漠の国の人たちはびくびくとして過ごしていました。そして確かに危ないこともいくつかあったのですが、それ以上に良いこともたくさんありました。
砂漠がこんなに暑くて砂ばかりなのは、お姫様がすぐに癇癪を起こすからだったのです。お姫様がいなくなってからは、白い灰もだんだん風が吹き散らして、草木が根付く豊かな土が姿を見せました。お姫様が生み出す炎や熱で姿を隠しててしまっていた泉や川も、また綺麗な水を湧き出させて人や動物に潤いを与え始めました。
いつの間にか、砂漠の国は水と緑の豊かな国になっていたのです。もちろん、守ってくれる竜のお姫様はもういませんし、お姫様に捧げられた宝物で贅沢をしていたころとは違って、みんな一生懸命働かなければいけないのですが。でも、誰もが助け合って支え合う、平和な国になったのです。
だから、しばらくすると恐ろしい竜のお姫様のことなんて、みんな忘れてしまいました。