3.地図を手に入れましょう。
◆ステージ1「牧場」◆
あらあらあら、今回孵ったヒヨコちゃんの一人ね。
お母さんの傍をあまり離れると、オバさんちの子供たちや子猫たちにいたずらされちゃうわよ。
ミミズをいっぱい食べて、体を成長させて、少しずつ大きくおなりなさいね。
どうしても牧場を散歩したいのなら、オバさんがいいものあげるわ。
→はい
いいえ
そう。元気があっていいわね。
でもあまり危ないことをしちゃだめよ。
《ハヤロクは牧場のマップを手に入れた。》
※
やったぞ。ついに手に入れたぞ。
右往左往しながらも辿り着いたは元の場所。たしかにそこにはボーダーコリーがいた。どうやらメスで子持ちのお母さんらしい。いたのは知っていたのだが、どうせ基本アクションを喋るだけのモブキャラだろうとばかり思い込んでいたのだ。
まさかこのオバさん犬の存在がこの先の冒険の明暗を分けていたなんて。
しかし、貰ってしまえばこちらのものだ。
「やったね。これで進めるんじゃないかな?」
少女が嬉々として私を見つめる。
「そうだね。さっさと新しいアクションとやらを教えてもらいましょうか」
マップは左端にあるLボタンで表示されるとのこと。
さあ、ピンクの羊よ。今こそ見つけ出してやるでのう。
まるで獲物を捕らえる前の飢えた狼のように、私はLボタンを押したのだった。
――ポチっとな。
ああ、押す瞬間まで私は信じていたとも。
どんなにフィールドの構造が複雑であったとしても、マップさえ手に入れてしまえばすぐに分かるのだろうということを。
だって、マップさえあればどんなに慣れていない都会でも案外迷わずに目的地にいけるじゃないか。不慣れな人でも困らないようにと配慮された素晴らしい文明の利器がマップというものなのでしょう。マップが見つかるまで私はいっそのこと伊能忠敬になるべきなのだろうか、さっきのモブキャラのセリフはそういう意味なのだろうか等とさえ思うほど追い込まれていたのだ。
そこに舞い込んだ牧場のマップ。
期待しないわけがない。くれたのだって優しい犬のオバさんだ。孵ったばかりのヒヨコを気遣い、ハヤロクの生意気そうな表情に一つの説教も垂れない大人の女性なのだ。そんな人のくれたマップが信用できないわけがないじゃないか。
だからこそ、私の期待は膨らみ、見事にひっくり返された。
「わぁぁ……ナニコレェー……」
囁くように絶望した私の横で、少女が首をかしげている。
「実はわたし、あんまり地図とか得意じゃなくってね。この地図ももらったんだけどよく分かんなかったんだよね」
この場合、少女を馬鹿に出来るものなんて何処にもいないだろう。
私はそう確信した。
ピカソといえば『ゲルニカ』という有名絵画を思い浮かべる人も多いかもしれないが、同じく『泣く女』という絵も有名だろうと思う。同じように泣く女をモチーフにした絵は多数あるようだが、私が思い浮かべたのは1937年に発表されたもの。
たぶん、多くの人が一度は見たことがある絵だと思う。
その絵についての詳しい話は私は美術の専門家でもなんでもないので控えておくが、それはともかく何故、いまこのタイミングでそういう話をしたかを説明しよう。
似ている。似ているのだ。
たった今、テレビ画面に表示されている、ボーダーコリーのおばさんに貰った牧場の地図らしき絵が、非常にピカソの『泣く女』によく似ているのだ。
一体どういうわけだろう。地図と言われてもらったはずのものが、どうしてこのような奇抜な絵画のような形をしているのだろう。
敢えて言わせてもらおう。こんなの地図じゃない。こんなの……こんなの――。
「こんなの、役立た図だよっ!」
「こんな芸術的なマップって珍しいよね」
「地図に芸術性とか求めてないから!」
「しかもこれね、よく見ると北が上っていうわけじゃないんだよ……」
「ほ、本当だ! 道が違う! あれ、じゃあ、これどっちが北だ?」
「私もよく分かんなくて。もう諦めて野生の勘で進みました」
なんてこった。
それにしても、どっちが北なのか本当に分からない。上じゃないとしたら、下だろうか。一度マップを閉じて周りを見てみたが、どうも違うような気がする。っていうか、どれが道であって、どれが現在地点で、どれが目的地なのか一切わからない。なんなんだこれ。なんでこんな地図でオッケー出しちゃったんだ。
ふむ、どうやらこの地図を解読するには私のレベルがまだまだ足りないようだ。ここはこの少女を見習って、私もその野生の勘とやらを開花させる時が来たらしい。
「よし、見えた! たぶん、こっちだ!」
「ええっ? そっちは違うよー!」
いきなりの否定に面食らった。違うのか。違うのか。何しろ道に関して進むべき方向を野生の勘などで占ったことはあまりない。野生の勘レベルとやらが存在するとしたら、きっと私のレベルなどこの少女の足元にも及ばないことだろう。
「そっか、違うのか! じゃあ、どれだ?」
今気付いたのだけれど、このボーダーコリーおばさんのいるマップだけでも行く手が八方向くらいに別れている。何も考えずに進めば迷うに決まっているじゃないか。なんてゲームだ。
「うーん、わかんない!」
分かんないか、なら仕方ないね。
Lボタンを何回も押しながらどうにか見比べてどこが北なのかを探るしかないだろう。それにしても、この少女。この状況でボスまでたどり着くとは何たる手練れ。どうやら、にわかゲーマーなのは私の方であったらしい。
図に乗っていたかもしれない自分を顧み、心の中で下に見ていた少女にそっと詫びながら、私はハヤロクを操作した。
それにしても、広大なマップだ。
もしかして体験版だからだろうか。開発中という言い訳を盾にして私たちにこのような苦行を強いているのだろうか。ゲームバランスを調整するのって難しいんだよねとかそういうことなのだろうか。
いや、そうだとしても、これは酷い。
しかし、隣では猫耳タオルの少女がわくわくしながら画面を見ているのだ。ゲーム歴のやや長い私がきっと自分の無念を晴らしてくれるだろうと期待してのことかもしれない。……そうだとしたら、投げ出すわけにはいかなかった。
――よし、気合い入れてやるぞ。
さっそくハヤロクを走らせる。ついでにあふれ出てくるミミズを食い続け、地道に経験値を稼いでいく。なるほど。こうやって道に迷っていれば、おピンク色のヒツジに出会える頃には少女が言っていたくらいのレベルにはなりそうだ。
地図は役に立たない。フィールドは無駄に広大。それでも闇雲に進んでいればいつかは新しいマップにたどり着けるはず。それにしても、無駄の多いゲームだ。グラフィックは非常に素晴らしい。ぼんやり眺めているだけでも飽きない美しさ。まるで絵画のようだ。正直、こうやって眺めているだけで満足してしまっても――。
「ねー。どうしたの? 早く進もうよー」
背中にもたれかかる少女のぬくもりにはっとした。
急かされてしまった。
そうだった。一人でやっているのならクリアなんて考えなくてもいいのだけれど、状況を思い返せば私は少女の代わりにコントローラーを握っているわけで、もっと言えばこのよく分からない空間から現実世界へと戻るためには絶対にクリアしなければならないのだった。
「ごめんごめん、進めるから……」
そう言って、ハヤロクを走らせる。
それにしても、ピンクの羊は何処にいるのだろう。さっきから常に新しいフィールドが繰り返されているような気がしてならない。こっちは行っていないだろうと思っても、いつの間にか見覚えのある地点に戻ってきてしまう。
というか、この少女、どうやってボスまでたどり着いたんだろう。
もしかしたらこの子、私よりもずっとレベルが高いかもしれない。
「ねえねえ、羊がいるところの目印みたいなのってなんかあった?」
試しに訊ねてみても、少女は首を傾げるばかり。
そのしぐさは結構可愛い。
「うーん、気付いたら辿り着いてたんだよねえ。マップを見てみたら?」
あまり気が乗らないが、私たちの守護女神は「泣く女」だけだ。私は思い切ってLボタンを押して、今しがた役立た図とのレッテルを貼ってしまったボーダーコリーおばさんの地図を開いてみた。
せめて現在地点を「▼」とかで示してほしい。ついでに目的地も「▽」あたりで示してほしい。テスターからの要望です。
しかし、開発者不在かつ不明のこの状況、そんな甘えたことも言っていられない。どうにかこの地図を読み解いておピンクな羊を炙り出さねば。
「分かるー?」
心配そうに少女が覗きこんでくる。こんなこと年下の子にされたら頑張らずにはいられない。すまぬな、名前もしらぬ少女よ。お姉ちゃん頑張るからもうちょっと待っていてくれ。
呻きつつ巨匠の描いたっぽい地図を睨み付けてしばらく。何度もLボタンを押して実際のフィールドと地図とを見比べ続ける。普段使われていないためにひょっとしたら腐りかけているかもしれない私の脳細胞が活性化され、段々と頭が痒くなってくる。某昔の名探偵よろしく頭を掻きながら悩むことしばらく。
ようやく、視界が広がった。
「見えた!」
鍵となるのは地図の上部に存在する少々開けた三か所の地点。ほかの部分が比較的狭いことを考えれば、この三か所がそれぞれ、ボーダーコリーおばさんのいた場所、おピンクの羊のいる場所、そしてボスが潜んでいる場所だと考えるのが自然だろう。
ならば、何処がどの地点なのか。くるりと見渡して、私は想像する。一か所は一番下の離れた場所にあるが、残り二つは左下にそこそこ近くに存在している。ということはこの二つこそが目的地であることは容易に考えられるだろう。
よっしゃ、後はどうやって行くかだ。
次に鍵となるのは道の造形。先ほど行き止まりだった場所が地図のどこになるのかを必死に考え、おそらく此処だろうという場所を見つけた。この地図、まずは何処が道で何処が道じゃないのかを判断するのが難しいのだが、何度も眺めているうちにだんだんとわかってきた。試しに一地点を仮定してからフィールドを切り替えて確かめてみる。切り替わった先のフィールドと、地図上の予想地点とを見比べてみるのだ。
そうした検証の結果、私はようやく地図とフィールドの実際を見事重ねることに成功した。
「やった……読める……読めるぞ!」
「本当!? お姉ちゃんすごい!」
素直に賞賛してくれる少女の言葉に気持ち良くなりながら、私は一つの達成感に打ちひしがれていた。あとは読み解いたこの地図をもとにピンクの羊の元へと向かうだけ。
そう、向かうだけ。
「……」
果てしないこのゲームはいつ終わるのだろう。