ETAホフマン、あるいは、「悪魔の美酒」の後世への影響について。 eta hoffmann About the influence on future generations
その前に、、
ホフマンの「悪魔の美酒の成立過程について触れておこう。
ホフマンは、、深刻なアウレーリエ(ユーリア・マルク)体験を経て、
詩(藝術の世界)と俗世とのどうしようもない、乖離を痛感するしかなかったわけである。
中年男の13歳の少女への恋は、、まあ
ゲーテだって60歳の時?15歳の少女に?求婚したくらいだから、、まああ
何とも言えないが、、。
これはまあ、よく言えば、、アニマへの憧憬とでも言うしかないでしょう?
昇華した形での、、ディオティーマ、、ゾフィー、ベアトリーチェ、、アリス、
いくらでも出てきますよね?
これらの昇華されたアニマたるエターナルガール、、
は、詩人にとっての現世のミューズです。
詩人のポエムの源泉となるのです。
ただし、、、
これが現世での昇華、、結晶作用を経ないと、、
肉としての即物的な
単なるロリコン、に堕すだけですね。
「ロリータ」「ベビードール」
「プリティベビー」(ブルックシールズ主演)という
おぞましい世界へ堕落?ですね。
この辺が、、、難しいところです。
まさに、、、キケンな分水嶺ですね。
さてお話をホフマンに戻しますが、、、、アウレーリエ(昇華されたユーリアマルク)と
現世で結ばれないという挫折と絶望から、、ホフマンの永遠のテーマともいうべき
ポエムの世界と俗世とに引き裂かれて、分裂した主人公という設定が
誕生するわけである。
それはクライスレリアーナであり、アンゼルムスであり、ナターナエルである。
そしてそれらはやがて
畢生の傑作「悪魔の美酒」として結実する。
これ以前にも悪魔が出てくる小説というのはあったわけで
有名なのは
ジャックカゾットの「恋する悪魔」
そしてモンクルイスの「破壊僧」である、
当然ホフマンもこれらを知っていて
読んでもいるし参考にも、しているわけである。
現に「悪魔の美酒」の本文中に
アウレーリエが
「確か、、、「僧侶」とかいうイギリスの小説が置いてあったのを見たことがあります」と、
述べているわけである。
とはいえ
「マンク」の内容よりも「悪魔の美酒」のほうが数倍深刻で深遠である。
確かにマンクを参考にはしているが
ホフマンの作品のほうが、内容といい、構成といい、情念といい、
よっぽど上であるのは間違いないだろう。
さてこの「悪魔の美酒」はいち早く仏訳されているのだが当時は
後にオペラやバレーで有名になった、オッフェンバックの「ホフマン物語」や、「コッペリア」に見られるように
ほかの作品のほうが迎えられてしまって、
このホフマンの代表作はかえって隅に追いやら得ていたという状況だったようだ。
とはいえ、、ネルヴァルの「オーレリア」がまさにそうであるように
このフランス名「オーレリア」とはドイツ語の「アウレーリエ」に他ならないのである。
フランス人にはもともと、ドイツ的な幻想世界とかロマンの水晶宮に全身で
没我するというようなことは苦手で、
バルザックとかゾラのように現実生活のリアリティしか信じない?というラテン的な民俗性があるわけですよ。
ハイネなども「フランス人に幻想小説はムリ」とまで言ってるくらいですから。
そもそも恐怖ゴシック小説はイギリスが本場で、
夢想的な異世界ロマンなら、ドイツと相場は決まっていたわけですからね。
そうした俗世唯一主義の?フランス文学に
ホフマンはドイツの異世界幻想小説の新風を吹き込んだわけです。
その影響はネルヴァル、ゴーチエ、ボレル、等のいわゆる小ロマン派の人々に圧倒的に迎えられたわけです。
そしてさらには、
ロシアでも熱狂的に迎えられたホフマンだったが
その影響の、最たるものがゴーゴリでありプーシキンでありドストエフスキーである。
中でもゴーゴリは愛読して
彼の作品の怪奇的なものはすべてといっていいくらいがホフマンへのインスパイアー作品だといってもいいくらいでしょう。「肖像画」「ヴィイ」などなど、
プーシキンもその幻想的な作品にはホフマンの影響が見てとれますよね?「青銅の騎士「スペードの女王」まどなど、
ドストエフスキーの幻想味、、現実と悪夢の混在、、殺人者の心理描写とかは
まさにホフマンの世界そのものでしょ?
さらに言わずもがな、、
チャイコフスキーの「くるみ割り人形」ですよね。
有形無形の影響をうんぬんしたら
それははるか東方の国、日本の、
それは芥川龍之介の「妖婆」とかドッペルゲンガー物にも
色濃く見て取れるわけである。
芥川龍之介はかって、ホフマンの「悪魔の美酒」を翻訳することを
小暮亮氏に勧めたという話があるくらいで
芥川はホフマンを知っていたわけですね。
さて
ホフマンの影響ということで大きく括れば
フランスロマン派のすべての作家とか
エドガーアランポーとか
ジュールヴェルヌとか
もう数えきれないほどあげることができるだろう。
さて?
これだけフランス、ロシア、にまで圧倒的に迎えられたホフマンですが
当時のドイツでは
ただの「お化け小説」を書いている大衆流行作家ぐらいにしか見られず、
死後にはすぐ忘れさられてしまったのですね。
やはりドイツ人にとっては
ゲーテとかシラーという
古典的な作家こそドイツ人の一般的なおめがねにかなうわけですよ。
つまりホフマンみたいな、酔っ払いで?悪ふざけで?
殺人だの、姦通だの、破壊僧だの、といううさん臭い?話ばかり書いてる大衆流行作家?は
お門違いなわけですね。
まあこういう話はよくあることで、
本国では誰も知らないのに、
外国ではすごい人気って今でもありますよね?
さてそんな本国ではすっかり忘れ去られたホフマンでしたが、
1900年代に入ると故国のドイツでも、俄然見直されてきて
研究者も輩出して
今ではゲーテに次ぐくらいに
研究が進んでるそうですね。
これも現代という時代の混迷と錯綜のたまもの?でしょうかね?
まあ、、、しかし
残念ながらこういう最近の研究は私のような
ホフマンのオールドファンには
どうでもよくて?
古い戦前の古色にまみれたホフマンが好きですけどね。
古いホフマン人気の世界で十二分だからですよ。
ところで、、、
最近のヒット作ウンベルトエーコの
「薔薇の名前」など
モロ、これは「悪魔の美酒」そのものではないか?と思わせるほどの
あの回想録風の語り口といい、、、
修道院の描き方と言い、、ショーンコネリーの主役といい、
まさに悪魔の美酒の続編?と言いたいような作品ですよね?、、
私はだから、、好きですね。