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紺碧の覇者 戦艦武蔵   作者: 賀来麻奥
白波の澪標
59/59

一四八名の残照

タイトル変更となっております。

 「レンドバ島の敵輸送船四隻撃沈、残る二隻も炎上中です。他に魚雷艇と駆逐艦各二隻を撃破。上陸した敵沿岸物資も破損・炎上」瑞鶴に帰還した偵察機の彗星から降りた搭乗員は声高らかに報告した。


 米輸送船団にとって最も不運だったのは、積載物資の中に大量の発破が含まれていたことだった。上陸後、速やかに砲台を築く計画を持つ米軍は、発破――ダイナマイト――を輸送船に満載していた。これに引火し、消火する間も与えられなかった。脱出した船員は魚雷艇や駆逐艦に救出されるか、浜辺に自力でたどり着いたが、助かったのは半数のみだった。


 一方、ターナー少将率いる上陸部隊――第九防衛大隊と第二四海軍建設大隊――は、沿岸部への爆撃で散開し、一部が森林地帯へ入り込んだ。意図せず南東支隊と交戦状態に突入している。防衛大隊はともかく、建設大隊の兵士たちが持つのは工具である。戦闘力はなきに等しかった。対して、島を熟知する陸戦隊に誘導された南東支隊は有利な地形から迎撃を展開し、上陸部隊を追い詰めていた。

 レンドバ島上空を覆っていた黒煙は、ラバウルから飛ばされた偵察機のカメラにも鮮明に捉えられていた。

― ラバウル基地 草鹿中将執務室 ―

 一連の波状攻撃を終え、報告を受けた草鹿任一中将は、手元の集計表に目を落とした。そこに記された数字は、勝利の報告というにはあまりに重いものだった。

 

ニューブリテン島のブイン・バラレ・ショートランド基地海軍航空部隊 

現時点の損害

零戦:一八機喪失

艦爆・艦攻・陸攻:計三九機喪失

(なお破損が多いため使用不可機も含める)

未帰還搭乗員:一四八名


「戦果は大きい。だが、これでは『ろ号作戦』の継続は数日ももたんぞ」

 草鹿の独り言に答える者はいなかった。米輸送船団を叩き潰した代償は、トラック島から引き抜いてきた「虎の子」の搭乗員たちの命であった。この消耗は出血多量による死を招くものだ。


― トラック島泊地 連合艦隊主力部隊 ―

 同時刻、旗艦「大和」の背後に控える戦艦「武蔵」の艦橋では、松田千秋少将が黙って水平線を見ていた。

 米軍の電波妨害が解除されたことで、レンドバ島からトラック島への通信が回復していた。通信長が差し出した電文には、南東支隊がジャングル内で敵大隊を圧迫している状況が記されていた。しかし松田の目は、その文面にはなかった。

 海図台の上で、彼の指はレンドバ島の南東、約一五〇キロの海域をそっとなぞった。米機動部隊の残余が、まだそこにいるはずだった。

 松田は何も言わなかった。言うべき時ではないと、彼にはわかっていた。


― レンドバ島 森林地帯 ―

 ターナー少将にとって、ジャングルは巨大な緑の監獄だった。

「少将、第二四建設大隊のウォーカー大尉から連絡が入りました。C中隊は丘の向こうに散らばってしまい、合流には夜明けまでかかると」

 ターナーは舌打ちをした。声には出さなかったが、胸中では輸送船の火柱が繰り返し燃え上がっていた。発破の誘爆があれほど派手だとは思っていなかった。いや、想定はしていた。ただ、これほどの速度で、これほどの精度で攻撃が来るとは。

 遠くで銃声がした。九九式の独特の音だと、ターナーにはわかった。ガダルカナルで散々聞かされた音だ。

 海岸側は炎上する輸送船の残骸が漂流し、魚雷艇も駆逐艦も煙幕の向こうにいた。

「今夜の収容は……無理だな」

 ターナーは目を閉じた。上陸した時点で四百名はいた。今、自分の周囲にいるのは三十名足らずだ。他の部隊が生きているのかどうかも、わからない。

「夜が明けたら、制空権は誰の手にある」

 参謀のドリスコル少佐は答えなかった。それが答えだった。


― 大和 長官室 ―

 山本五十六は報告書を三度読み返した。

 草鹿からの電文。レンドバ島の戦果。そして損害の数字。

 一四八名。

 山本は舷窓の外を見た。夕方の南太平洋は穏やかだった。波も風もなく、沈む日が海面に映って揺れている。そしてどこかの海底に一四八人分の時間が沈んでいる。

「長官、草鹿中将より追電です」

 通信参謀の小野寛治中佐が差し出した紙には、短く記されていた。


 搭乗員の消耗、多大なり。波状攻撃継続は困難と判断す。一時収縮も止むなし。


 すると山本は机上の(さい)の目を確認して言った。「草鹿に返電せよ。――『搭乗員を惜しめ。今日の戦果は充分だ。次回の攻撃は搭乗員の錬度と機数を精査した上で規模を縮小してよい』」

 小野は復唱しながら、山本の顔色を盗み見た。疲れているように見えた。いや、疲れではない。もっと重いものを背負っているような顔だった。

 宇垣纏参謀長が入ってきたのはその時だった。

「長官、松田少将から進言が届いています。基地航空隊支援のもと艦隊を南下させ、レンドバ島沖の米艦隊残余を捕捉するべきと」

「松田の言いたいことはわかる。だが今は動かん」

 山本は立ち上がり、海図台へ歩いた。宇垣が眉をひそめた。

「理由を」

「米軍が混乱しているのは今夜だけだ。明日の朝には立て直してくる。今動けば、増援の航空支援を受けた敵の土俵で戦うことになる」

 山本は海図のレンドバ島東方を指でなぞった。

「動くなら、相手が動いてからだ。相手が動けば必ず隙ができる。今夜は待つ」

 宇垣は無言で一礼した。納得しているのか、していないのか、その顔からは読めなかった。


― ラバウル基地 草鹿中将執務室 ―

 城英一郎大佐が地図を広げ、明日以降の作戦案を述べる声は、次第に低く、遅くなっていった。

「……以上の理由から、明日の攻撃に投入できる陸攻は三〇余り、艦攻と艦爆は共に一五機程度と見積もられます」

「ほぼ半減と見積もるべきか」


 重苦しい沈黙が執務室を覆った。


― ヌメア 南太平洋方面軍司令部 ―

 一時的にガダルカナル島の南方一三五〇キロほど離れたヌメアに戻っていたウィリアム・F・ハルゼイ中将の執務室に、電文が叩きつけられた。

――レンドバ島上空にて敵航空隊の猛攻を受く。輸送船四隻撃沈、二隻炎上航行不能。駆逐艦二隻損傷。上陸部隊は交戦中。二割が安否不明――

 ハルゼイは電文を二度読んだ。それから机の上に置き、窓の外の夜を見た。

「ターナーは」

「生死不明です」参謀のカーペンター大佐が答えた。「島内で散開した模様ですが、通信機が失われているようで……」

「輸送船の積荷は何だった」

「砲台建設用の発破です。それが誘爆して――」

ハルゼイは手を挙げてカーペンターを制した。

 しばらくの沈黙の後、ハルゼイは海図台へ歩いた。指がゆっくりと北西へ動き、トラック環礁の位置で止まった。

「ところで……例の戦艦はトラックにいるか」

「おそらく、は」

「おそらく、では困る」ハルゼイは振り返った。「ニュージョージア島の航空隊の警備を強化すると共に確認しろ。あの二隻がそこにいる限り、この海域に安全は存在しない。」

 カーペンターは一礼して退室した。

 ハルゼイは再び海図に向き直り、トラック環礁を見つめた。怒りは既に冷えていた。冷えた怒りは、やがて計画になる。彼はそれをよく知っていた。


― ラバウル航空基地 ―

 空はオレンジ色に染まり、兵士たちの影を長く引き延ばしていた。

 格納庫の前に整列した搭乗員たちの顔を、草鹿は一人一人見た。昨日と同じ顔だった。疲れていた。しかし折れていなかった。若い顔があった。年かさの顔があった。昨日、隣を飛んでいた仲間が帰ってこなかった顔があった。

「明日の出撃は、志願者のみとする」

 静寂。

 それから、全員が手を挙げた。

 草鹿は目を細めた。誇らしいと思った。そして深く、深く、悔しいと思った。


 同じ時、ヌメアの執務室で、ハルゼイはまだ海図を見ていた。

 草鹿は搭乗員の消耗という現実と向き合い、山本五十六は「待つ」という選択の重さを噛みしめた。そしてヌメアの灯りの下で、ハルゼイの冷えた怒りは静かに形を変えつつあった。

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