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紺碧の覇者 戦艦武蔵   作者: 賀来麻奥
新たなる戦史
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5/63

四国軍事同盟成立

 四国軍事同盟までのものを書いたものです。よって武蔵は出来てません。希望の大学への入学が決定したのであまり長くは続けません。

 第一話( つまり今回)は話の中で二〇年時間が進んでますので詳しく書いていると何話も何話も続きそうなのでできるだけ内容を絞って一話で書いてますので所々分からない箇所があるかもしれません。

 疑問等は物語中で解決して行こうと思いますのでよろしくお願いします。

『日ソ独伊四国同盟』が締結されたのは一九四〇年の一二月のことだった。この年の九月に日本はドイツ・イタリアとの三国軍事同盟を締結していた。

 世界恐慌がすべての発端だった。一九二〇年にピークに達したこの世界恐慌は政府の介入によりなんとか乗り越えることができた。

 だがそこで一九二三年関東大震災という再び日本を混乱に追いやる災厄が起きたのであった。

 そこで日本が目をつけたのが満州である。広大な領土。豊富な資源。失業者を開墾を目的に移住させることができる。陸軍はそう考えると関東軍にそれを任せた。

 

 関東軍とは日露戦争終結後の講和(ポーツマス)条約によって受け取った関東州や遼東半島南部・南満州鉄道の経営権を守るための関東督府陸軍部という機関が関係している。関東督府陸軍部は一九一九年に廃止され関東丁が設置されたため独立した部隊が関東軍である。


 その頃の中国は辛亥革命により清国が滅亡し各地に軍閥と呼ばれる地方勢力がいた。日本は北東にできた軍閥うまく利用し満州を制圧しようとしたが、最終的に失敗してしまう。

 後に新たにできた勢力の国民党軍と日本が利用しようとした北東軍閥は戦闘状態になったがしばらくした後講和する。

 やがて中国国内では抗日運動が激化し満州に対して日本の影響力が低下した。

 

 日本は満州国を制圧するのはもう無理だろうと諦めかけていた。だが一九二八年に関東軍の作戦主任参謀として石原莞爾という男が大陸の地を踏んだ。彼はその後関東軍高級参謀板垣征四郎と出会い満州制圧作戦のことについて意見が合致した。

 

 そして一九三一年九月一八日世に言う満州事変が起きた。満州鉄道が何者かにより爆破されたのだ。中には承知している方も多いと思う。これは石原・板垣の自作自演である。

 翌日中に約一万の兵を動員し一九三二年二月までには満州全土を制圧した。

 


 一九三二年三月に清国の最後の皇帝であった溥儀を皇帝にのし上げ制圧した満州を満州国と名づけ国を設立した。これは海外から直接統治すると批判がひどいとされたため満州国を独立国として設立することとなったためである。


 その後リットン調査団が調査に来る。満州国は国際連盟加入国で投票が行われ不参加の国を除いて日本以外の国は全て反対するという結果となった。これは国際連盟の意思をみせたもので命令でなかったが日本は国際連盟を脱退する。


 一九三〇年四月ロンドン海軍軍縮条約が締結された。


 数年がたち五,一五事件と二,一二事件が起きると日本政府の威信は地に落ち軍部がやや暴走状態に入ってしまうという窮地に陥ってしまった。


 中国大陸ではこの頃新たな勢力中国共産党が国民党と対立するようになって来ていた。これを尻目に日本軍は中国の北京を含む北部の華北地方に傀儡政権を築き上げた。中国両党はこれを見て両者はとりあえず講和し日本に立ち向かおうという動きが出来たため、日本は一つにまとまった中国を相手にすることとなった。


 一九三七年七月七日 日本軍はある一つの事件に巻き込まれた。盧溝橋事件である。演習中に銃弾が日本軍陣地に飛んできた。このため日本は中国軍と交渉を行うが途中であろうことか中国軍が攻撃。日本軍もこれに応じて本格的に戦闘状態に入った。

 これが日中戦争の始まりだった。


 軍は在留日本人保護を名目に六個師団を派兵。その後日中戦争を避けるべく交渉が行われたが日中両軍は度々衝突し戦火の火は消し様がなかった。一二月ついに日本軍は南京を制圧した。徐々に泥沼の戦闘へとなっていくのを感じた政府は国家総動員法を成立。内容は国民や物的資源は全て国が運用できるというものだった。つまり兵役につかせたり工場勤務をさせたりするのを国が全て決めれるという訳だ。



 日本は世界恐慌でそのような足取りとなったのだがドイツはどうだったのか。一九二九年アドルフ・ヒトラーは国家社会主義労働者党を率いて再軍備や経済の回復を行うという独自のスピーチを行い国民から大いなる信頼を集め総統に就任。

 ヒトラーは周辺国を次々合併していき国力の回復を狙った。

 一九三九年九月一日ポーランドがドイツからの領土の一部割譲の要求を断ったため、ドイツから侵攻される。ソ連も密約に従い西部側から侵攻。

 ドイツはその後ノルウェー・ベルギー・オランダを占領した。米英はこれを止めようとドイツとこれ以上侵攻しないという約束の協約を結ぶがドイツは翌年フランスに侵攻した。

 同時に英国が宣戦布告したのは言うまでもない。


 ドイツは連盟を脱退していることに加え日本はドイツの強さを認めイタリアを加えた三国軍事同盟を締結した。さらに日本政府は日ソ不可侵条約を締結した。

 

 そしてこの二つを合わせたのが冒頭で出てきた『日ソ独伊四国軍事同盟』というものである。


 フランスはドイツに制圧された後傀儡国家としそのまま残る。日本はドイツの傀儡政権のフランスから許可を貰い日中戦争に必要である資源のためインドシナに進駐した。


 四国軍事同盟で怒っていたアメリカは日本へ石油やゴム・鉄くずなどの物資の輸出を止めた。各国もアメリカに続いて輸出を止めた。

 さらにはアメリカ・イギリス・中国・オランダの頭文字をとりABCD包囲網という貿易制限政策を採った。


 日本はこれに強いショックを受けた。なぜならアメリカの石油などの輸出無しでは日中戦争を遂行するのが難しくなってしまうからである。というより軍が動かせなくなる可能性もある。


 かくして日本はアメリカとの関係を安定化させるための外交を始めた。

 次回の投稿は二月中には必ず。

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