軍令部総長
正直今ストーリーが一番進んでないところだと思います。ただ連日海戦をするわけではないので、出したくても出せません。完結目指して頑張りますのでどうぞよろしくお願いします。
また大雑把ですが補足として ―現在地― という風に現在の場所を表記するようにしました。
今一度領土関係を振り返ると日本の周囲は列強諸国の植民地ばかりで太平洋戦域で領土を持つ正式な同盟国はタイと満州国、そしてソ連だけだ。ドイツとイタリアは領土が遠いし、汪兆銘の中華民国は正式な国家ではない。
日本軍が開戦当初から占領した領土はほとんど敵の植民地であり、そこで対峙した部隊は一時しのぎの火力した持たない二流の軍隊だった訳である。無論水無月島の米守備隊などの例外もあるがほとんどがこれに当てはまる。今回ガ島で米軍が見せつけた圧倒的火力を持った部隊こそが戦うべくして訓練された一流の軍なのだ。そして日本軍はこれに事実上敗れた。つまり正式軍対正式軍で負けてしまったのだ。あくまでこれは陸軍の話であるが、海軍とて全く関係がない話ではない。こちらは対米英戦の準備をしてこの大戦に踏み切って互角(なのかは個人によって違う)の戦いをしているのだ。米国が全くの準備をしていなかったと言うのであれば、それは妄言だが、完全に本腰だったかと言われれば肯定はできない。
この時期の日本軍の上層クラスの人間は米軍に対し日本は優勢だと考えている者が多く、終戦も近いと思うものもいた。だが大抵はしっかりとした終戦のイメージを持っておらず客観的な視線でものを見ようとしていなかった。どうやら日本軍は七分三分の考えを忘れてしまったようだ。七分三分とはこちらが七割ほどの勝利を占めていると考えているときは実は互角の勝負をしており、こちらが互角の勝負をしていると感じているときは実は三割の勝利(つまり劣勢)しか得られていないという考えである。第一次世界大戦の時日本軍はこの考えで戦局を客観的に見る訓練をしていたのに、いざ国家の存亡をかけた戦が始まればこの有様だ。
9月12日 -軍令部総長室- 「アメリカ軍の反抗作戦は今年の11月というのかね」軍令部総長16代目の永野修身大将は次長である伊藤整一少将に聞き返した。軍令部総長の室内に冷たい空気が漂った。永野は机に手をついて身を乗り出していた。「はい、8月末にニューヨークから帰国した米国の海軍駐在武官と現在のアメリカ軍の動向を検討した結果その時期が適当かと思われます」と伊藤が答えるや否や「アメリカの駐在武官といえば、横山一郎大佐だな。無事交換船で帰ってきたようだが、敵がどこを狙っているか聞いたか」永野は伊藤に再び尋ねた。
「はい、米軍はまずサイパンを、次にフィリピンや硫黄島等を占領して島伝いに侵攻するかと思われます」「島伝いに…か」永野は椅子から腰を上げた。そして部屋の中を小さく一周歩くと今度は扉に向かって歩んだ。永野は扉を開けて、通路の左右を見て扉を閉めた。
永野も伊藤そして勿論横山も米国関係に精通している。少し間をおいて永野は重々しく口を開いた。「正直に話してほしい、この戦争はどのように終結するだろうか。」
伊藤は口を閉ざし、目をつむった。「――はい…」2秒ほどして目を開き、息を大きく吐いて答えた。「日清戦争以前の日本の状況に戻るしかないかと」その声は透き通っているがどこか震えていた。無理もない。陛下直属の機関であり大艦隊を指示する立場にある軍令部、その総長に弱気なことを言っているのだから動じるなという方が無理だろう。
これが永野でなければ顔を紅潮させ怒鳴っていた者も多いだろう。しかし永野は「そうか」とだけ答えると席に戻り椅子に座った。
-トラック島司令官室- 六月からトラック島に駐在している連合艦隊指令長官である山本五十六は心労を抱えていた。何かの資料を見て「これでは次回攻撃をしたとしても大した戦果は望めんな」と唸るように言い、不機嫌そうにサイコロを振った。このサイコロは兵棋演習用のためにサイコロだが机の上の駒や海図はしまっている。サイコロは机を複数回叩いて"5"を出した。
連合艦隊の空母は開戦当初から比べて少ないことも山本の心中を痛めさせていたが、それ以上に搭乗用の機体の少なさが気がかりとなっていた。戦闘機はある程度用意できているが、艦上用の爆撃機や攻撃機はここのところギリギリのところで運用している状態である。「い号作戦」で一定の戦果を収めた帝国海軍だったが、今では米軍は何事もなかったかのように行動している。来年の半年になればまとまった戦力として再編できる目途がたっている。つまり今は守りの時である。「米軍が来たとき果たして耐えられるだろうか」周囲に聞こえないように小声で言った。連合艦隊指令長官である自分が弱気であることが周囲に知れたら、士気が多いに下がる。戦術で苦戦している時に士気で負けたなら勝ち目がない。
山本は開戦当初の時を思い起こした。ハワイのオハフ島を航空機で叩けないだろうかと考え、それを実現して見せた。それが結果として航空機の時代を呼び起こし、今は敵の航空兵力に押されている。唯一優っていた空母の数も今や負けている。不屈の闘志は必要だが戦は数だ。このままでは敗北だ。
その時ある考えが山本の脳裏を走った。負けなければいいわけだ、と。山本のもとに軍令部から敵の到着時期予想の連絡が入ったのは翌日であった。
なおトラック島に停泊している駆逐艦以上の戦闘艦は次のとおりである。
第一航空戦隊 航空母艦「翔鶴」「瑞鶴」
第一戦隊 戦艦「大和」
第七戦隊 巡洋艦「熊野」「鈴谷」
第八戦隊 巡洋艦「利根」「筑摩」
第一〇戦隊 巡洋艦「長良」
第一一戦隊 戦艦「金剛」「榛名」
第二水雷戦隊 軽巡「神通」
第一五駆逐隊 駆逐艦「黒潮」「親潮」「早潮」
第一八駆逐隊 駆逐艦「霞」「霰」「陽炎」「不知火」
第二四駆逐隊 駆逐艦「海風」「山風」「江風」「涼風」
第一〇駆逐隊「秋雲」「夕雲」「巻雲」「風雲」
第一七駆逐隊「谷風」「浦風」「浜風」「磯風」
付随(第四駆逐等)「文月」「白雪」「舞風」「巻波」
-ドイツ第三帝国 東部戦線南部-
九月一二日に黒海とアゾフ海を分かつ、戦略上の要衝であるソ連随一の要塞であるセヴァストポリ。加えてソ連の黒海艦隊の基地があるこの地区を占拠するためマンシュタイン率いる第一一軍が攻撃を開始した。まずマンシュタインはウクライナ本土とクリミア半島の間を結ぶ、長さ三〇キロメートルのペレコープ地峡の攻略に取り掛かった。この地峡は最大幅七キロメートルしかない細長い地峡だ。ソ連軍は奥深くまでこの地峡に防衛陣地をひいていたが、ドイツ軍は猛攻を続け五日の後にこれを攻略した。また翌日にはクリミア半島の東にあるケルチ半島と、南のヤルタを他の部隊が制圧したとの報告が入った。こうしてドイツ軍はセヴァストポリ要塞を包囲した。
これを受け黒海艦隊は海軍歩兵隊をケルチ半島に上陸させ、セヴァストポリに部隊を集結させることを目論んだが、ドイツ軍の総兵力は遥かにソ連軍の当初の予想以上の兵力であった。
マンシュタインは包囲して直ぐに攻撃をせずに、攻撃を中断した。理由はセヴァストポリ要塞を攻撃するためにあるものの到着を待っていたからである。
次回 9月中ごろ




