33-1 塞がれた道
白い花の箱に緊急連絡先と優先順位表を添える作業は、思っていたよりも細かかった。
どの施設がどの薬師に近いのか。乾いた薪を扱う商人はどこにいるのか。夜に走れる伝令は誰か。馬車を使うべき距離と、徒歩の方が早い路地。セシリアは本邸の地図を広げ、施設ごとに細い糸を置いて道を結んでいった。
『道は一本にしないでください。手紙が遅れたときのために、同じ知らせを別の人にも持たせること。馬車が止まったときのために、近くで買えるものを決めておくこと。助けを呼ぶ道にも、予備が必要です』
リディアの返書には、いつものように余白いっぱいの指示が並んでいた。けれど、今回は赤字よりも線が多い。地図に書き込めるよう、施設名、連絡先、代替手段を表にしてほしいという指示まで添えられている。
「奥様は、道にも門番を置くおつもりなのですね」
セシリアが呟くと、エリアスは地図の端を押さえながら頷いた。
「相手が道を塞ごうとしているなら、当然だ。問題は、どの道が最初に塞がれるかだな」
その答えは、翌朝には分かった。
港近くの施療院からの伝令が、本邸へ着いたのは正午を過ぎてからだった。
本来なら、朝の鐘が三つ鳴る頃には届くはずの距離である。港から本邸までは馬車で半刻、足の速い伝令なら人混みを避けて裏通りを抜ければ、それより早い。だが、差し出された封筒の端は湿り、蝋は一部が擦れていた。
「遅れた理由は?」
エリアスが問うと、伝令の少年は息を切らしたまま頭を下げた。
「東橋が通れないと聞かされまして、西回りに。けれど、西の荷馬車通りも詰まっていて……」
「東橋が?」
セシリアは地図へ視線を落とした。東橋は、港から本邸へ向かう最短経路にある。だが、今朝の市場報告では東橋の通行止めなど記されていない。荷馬車通りが詰まる時間も、いつもなら昼過ぎからだ。
「誰に、東橋が通れないと聞かされましたか」
「伝令詰所の前にいた男です。役人の使いだと言っていました。橋の欄干が壊れ、通行を止めているから西へ回れと」
セシリアは胸元の白い花の刺繍布に触れそうになり、すぐに手を止めた。慌てるより先に、確認する。リディアならそうする。
「港の施療院から、本邸へ直接走った伝令はこの一人だけですか」
「はい。急ぎの札は一枚でしたので」
その答えに、セシリアは地図の上へ置いていた赤糸を一本外した。一本の道に頼った時点で、もう危うかったのだ。しかも、その一本は誰かの偽の案内で簡単に曲げられている。
届いた報告そのものも、すでに古くなりかけていた。封の中には、産後の女性が微熱を出し、布と湯を追加で求めるとある。だが、それは朝の時点の話だ。正午を過ぎた今、熱が上がっていない保証はない。
「これは偶然の遅れではありません」
セシリアの声は静かだったが、部屋の空気が変わった。エリアスはすぐに家令へ視線を向ける。
「東橋へ確認を。実際に通行止めがあったかどうか、今すぐ。別の者は港の施療院へ直行してください。馬車ではなく、馬で」
「それから、同じ内容の確認文を二通。ひとつは薬師へ、もうひとつは港の薪商人へ届けてください。施療院からの次の知らせを待たず、周囲から状況を集めます」
東橋へ向かった侯爵家の使いが戻ったのは、それから半刻ほど後だった。
「東橋は、通れました。欄干の破損も、通行止めの札もございません」
報告を受けた瞬間、セシリアは地図の上に置いていた指を止めた。予想していたとはいえ、実際に偽情報だったと分かると、背筋に冷たいものが走る。
「橋守は何と言っていましたか」
「今朝、役所から通行止めの指示は来ていないとのことです。ただ、橋のたもとで役人の使いを名乗る男が、伝令や荷運びに西回りを勧めていたという証言がありました」
「男の特徴は?」
「灰色の外套、役所職員風の帽子、顔は深く隠していたそうです。声は落ち着いていて、急かすというより、親切に迂回を勧めるような言い方だったと」
親切。セシリアはその言葉に眉を寄せた。悪意は、いつも怒鳴り声で近づくわけではない。時には、迷っている者に一番もっともらしい道を示す。
「西の荷馬車通りは、本当に詰まっていたのですね」
「はい。車輪が外れた荷馬車が道を塞いでおりました。ただ、積み荷は軽く、車軸の破損も不自然に浅い。周囲の者によれば、馬車はしばらく前から同じ場所に止まっており、動かそうとする気配がなかったそうです」
エリアスの表情が険しくなった。
「東橋を塞いだのではなく、東橋を避けさせた。避けた先で、荷馬車通りを詰まらせたわけか」
「はい。道そのものを閉じれば、すぐに調べられます。でも、通れる道を通れないと思わせれば、遅れた理由は伝令の判断になります」
セシリアは地図の上で、赤糸を東橋から西回りへ動かした。糸はまっすぐな道から外れ、荷馬車通りの混雑する場所で止まる。誰かが塞いだのは橋ではない。伝令の判断だった。
「道を塞がれたのではありません。道を選ばされたのです」
その違いは大きかった。通行止めなら別の道を探せばいい。だが、偽の案内を信じてしまうなら、どれほど道を増やしても、選ぶ目を曇らせられる。
「今後、通行止めや迂回の知らせは、必ず二か所で確認します。橋守、役所、近くの商人。少なくとも二つが同じことを言うまでは、伝令を一本に絞らないようにしましょう」
エリアスは頷き、家令へ命じた。
「伝令詰所にも通達を出す。役所の使いを名乗る者の言葉だけで経路を変えないこと。通行止めは、橋守か正式な札で確認すること」
「港の施療院へ向かった者からの返事が戻り次第、今回の遅延も記録に入れます。遅れた伝令を責めるのではなく、偽の案内にどう備えるかを残します」




