皇后ペトラの手記〜灰色の瞳の幸福 〜
リントヴルムの揺籠外伝「皇太子リヒャルトの婚姻」のエピソードを、皇太子妃ペトラ(後の皇后)の視点から書いた短編です。よろしければ本編や外伝も併せてご覧ください。
鏡に映る自分の姿を見るたび、私、ペトラは自分の地味さを再確認する。
父であるフェリックス侯爵譲りの、ありふれた鳶色の髪。女性的な魅力があるとは言い難い、痩せぎすで背の高い体躯。そして感情の起伏に乏しいと言われる、くすんだ灰色の瞳。
華やかな社交界で、私は常に「エステラの添え物」だった。
六歳下の妹エステラは、誰からも愛される、ふっくらとした薔薇色の頬をした金髪碧眼の美少女だ。両親は遅くに生まれた彼女を「フェリックスの宝」と呼び、蝶よ花よと甘やかした。花でもリボンでも宝飾品でも、美しいものは全てエステラのものとなることが決まっているようだった。母が茶会の招待に応じて連れ出すのも、私ではなく、決まって華やかなエステラだった。
一方、長女である私に与えられたのは、宝石でも流行のドレスでもなく、領地経営に関する膨大な書類と、厳格な帝王学に準ずる家庭教育だった。
「お前は愛嬌がないから、せめて実務で役に立て」 それが父の口癖だった。
私が21歳の時に唯一あった縁談の話すら、当時社交界デビューをしたばかりのエステラに奪われた。
「だって、ダニエル様がペトラお姉様よりも、私の方が好きだって仰るんですもの」と無邪気に笑う妹と、彼女に寄り添い、鼻の下を伸ばしている婚約者候補の姿を見た時、私は己の女性としての幸せを完全に諦めた。
父が「エステラはまだ嫁ぐには若すぎる」と反対したため、両家の縁談自体は成立しなかったものの、それ以来、私は自分の髪色に合わせた茶褐色のドレスを制服のように纏い、父の補佐として生きることを選んだ。
そんな「行き遅れの総領娘」が、新皇帝の即位と、帝国皇太子リヒャルト殿下の成人を祝う舞踏会に出席したのは、単なる侯爵家としての義務の一環に過ぎなかった。ここぞとばかりに着飾った令嬢たちの中で、私は一人、舞踏会用に裾こそ長いものの、いつものような地味な茶褐色のドレスを着込んでいた。
その夜、私は壁際で宰相閣下と父の話を聞いていた。西方の領地を襲う干害……それは我が家にとっての喫緊の課題だった。夢中で傾聴していた私は、宰相閣下に水を向けられ、つい立場を忘れて口を挟んでしまった。
「耕地を分けて一年おきに保水する今のやり方は、土地の限られた西方の領地では非効率かと存じます。ため池を設置し、汚染を防ぐため排水路とは完全に分離した専用の引水路を建設すべきではないでしょうか」
生意気を言ってしまい、父の叱責を覚悟した私を救ったのは、宰相閣下からのお褒めの言葉と、そのすぐ後に紹介された皇太子リヒャルト殿下との邂逅だった。
「先程の会話がちょっと聞こえたんだが、ペトラ嬢は、よく勉強しているね。君は、ご実家の領地を愛しているのだね」
この夜の主役であるリヒャルト殿下はそう言ってくださった。エルフの血を引いていると噂に聞く通りの美貌。だが、そのサファイア色の瞳の奥には、なぜか私と同じ「払拭できない不安」が揺らめいているように感じられた。
殿下は、父母の侯爵夫妻が必死に売り込む妹エステラと一度だけ踊られた後、まっすぐに私の方へ歩いてこられた。
「ペトラ嬢。私と踊っていただけますか」
目を見張った私は、エステラの刺すような視線を背中に感じたが、結局殿下の手を取った。私のダンスは、令嬢としての社交のためというよりは、高位貴族としての義務として叩き込まれたものだ。しかし、殿下は緊張する私の指先を優しく導き、完璧なリードでエスコートしてくださった。夜会でこんなに楽しく、軽やかに踊れたのは初めてのことだった。
ダンスが終わり、最新流行のドレスを翻して早足で皇太子殿下に歩み寄るエステラに絡まれかけた時、殿下の義理弟君であるアルヴィン皇子殿下が来場した。エルフの血を濃く受け継いだ輝くシルバーブロンドの髪に、皇太子と同じサファイアの瞳。おまけにアルヴィン殿下はこの若さで上級魔法を使いこなし、一流の発明家としても知られている。帝国の正装を纏った才気あふれる絶世の美貌の貴公子に、令嬢たちは絶句し、会場は嘆息に包まれた。
その美しさときたら、自信家のエステラでさえ敗北を認めて赤面するほど。先ほど妹に「自分は見た目の美しさだけに重きを置いていない」と言い切ったリヒャルト殿下は、苦笑気味に弟君を見つめて、私にだけ聞こえる声で囁いた。
「……本当にこいつは、こういう時には……便利だな」
その言葉に含まれた微かな揺れに、私は不敬ながら、この尊きお方を抱きしめたいと思ってしまった。皇太子殿下は、才能に溢れ、光り輝く弟君の影で、孤独と不安を抱えて生きてこられたのではないかという直感が、不意に私を胸を打ったからだ。
その後少しの間、恐れ多くも皇太子殿下と歓談させていただいた。内容は乾地の干害対策と、最新の用水技術に関する意見の交換で、今考えると、令嬢の社交としては失敗している気がするけれど……。
夜会から一月が経ち、皇室からフェリックス侯爵家に婚姻の打診が届いた時、私は驚愕した。それが若く美しい妹へではなく、私への申し込みだったからだ。地味な長女が皇太子に見初められたことに驚きつつも狂喜した両親は、すぐにでも話を進めようとしたが、私は真っ先に己の不釣り合いを訴えた。
「私のような、美しくもない年上の女では皇太子妃は務まりません」
けれど、その後すぐに直接面会に来てくださったリヒャルト様は、私の骨ばった手を強く握りしめて仰った。
「私は、君の知性が瞬く灰色の瞳を、何よりも美しいと思う。君を一生大切にする。共にこの帝国を盛り立ててくれないか」
彼の真摯な求婚を受けた瞬間、二十三年間の侯爵家での生活で乾ききっていた私の心に、初めて温かな水が流れ込んだ。
それから二年後、殿下が20歳、私が25歳の時、帝国を挙げた壮麗な結婚式において、私たちは結ばれた。エルフの国で作られたという真珠色の繊細なロングベールは、私の鳶色の髪に驚くほどよく似合った。
結婚生活は、甘い言葉を交わすよりも、領地の図面や資料を広げて議論することの方が多い毎日だった。でも、なかなか子に恵まれず、周囲から側妃を勧める声が上がっても、殿下は「私の隣はペトラ以外に考えられない」とはねのけてくださった。
私が31歳の時に息子ラインハルトが生まれた。その一年後、アルヴィン殿下が皇籍を捨てて自由な旅に出立された日に、リヒャルト様が浮かべた穏やかで、自信と愛情に満ちた微笑みを、私は一生忘れない。その青玉の瞳には、もはやかつての不安の影は見当たらなかった。
ちなみに、喋れるようになったラインハルトは、時々立ち寄ってくださるアルヴィン様の冒険のお土産話を、何よりも楽しみにしている。
私は、今は皇帝陛下となられたリヒャルト様より先に逝く。クオーターエルフの陛下は、今も三十代のような若々しさを保っているが、私は年齢相応に老いてしまった。介添えをしてくださる陛下の横で、私は時折、申し訳なさを感じる。
「若い息子に、老いた母が付き添われているようだわ」
私が冗談めかして言うと、リヒャルト様はいつも変わらぬサファイアの瞳で私を見つめ、静かに首を振る。 「何を言うんだ、ペトラ。君は、あの夜、灰色の瞳に知性を煌めかせて私を見つめてくれた時から、少しも変わらず美しいままだ」
私はもうすぐ、このサファイアの眼差しを残して旅立つ。
けれど、怖さはない。私が彼と共に築いた水路は、故郷の鳶色の大地を潤し続けるだろう。そして、この土地が西方の風に吹かれるたび、私はその土の色と匂いの中に、そして彼の記憶の中に、永遠に生き続けるのだから。
くすんだ灰色の瞳を持つ乙女だった私に、信じられないほどの幸福を与えてくれた、私の愛しい皇帝陛下。そのサファイアの瞳が、どうかこれからも、私たちが愛したこの帝国を照らし続けますように。
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