夏目と少年と
夏目は反対方向の電車に乗った。
とある春の日、どうしても学校に行く気分にはならなかった。
〈サボります〉と親に連絡をして、返信がくる前に携帯の電源を落とした。それから、こんなことする必要ないのに、と自分に苦笑する。
車内に人はまばらだった。学校へ向かう車両なら、この時間はいつも満員だ。なんだか気持ちがすんと軽くなる。きっとこのうちの何人かは、反対方向の電車に乗っているのだろう。夏目は勝手に想像した。
車窓からの景色はつまらなかった。
クリーム色の家屋が忙しなく流れていく。それよりもずっと遅いスピードで、ひとりぼっちの太った雲が、薄い色の空をのんびりと後退した。
つまらない景色を見ているうちに眠気がやってくる。夏目は目を閉じた。振動や音が心地よかった。春は車内も暖かい。夏目は穏やかな匂いのなかで眠りについた。乗客は夏目ひとりだった。
目が覚めたところで夏目は降りた。海沿いの簡素な町だった。カモメが鳴いて、電車は次の駅へ向かった。
夏目は歩くことにした。この町にも、人はまばらだ。
海に沿って歩いていると、少年がひとり、かがんでなにかをしていた。
近づくと、電車のおもちゃを地面に滑らせて遊んでいるようだった。緑色のTシャツに半ズボン、麦わら帽子をかぶった細い男の子だ。
夏目は少年の隣に腰を下ろした。そこからは綺麗に海と空が見えた。
「なにしてるの?」
夏目はきいた。
少年は夏目のほうをちらりと見て、すぐに電車遊びを再開する。
「待ってるの」
「だれを待ってるの?」
「わかんない」
少年はまた夏目のほうに目をやった。
猫のように大きな瞳は、やけに静かだった。
「きっと来ないよ、その人」
夏目が言うと、少年は「ふふっ」と笑って電車のおもちゃを力いっぱい転がした。スピードに乗った車体は、コンクリートの上を跳ねながら滑り、倒れて、海に落ちた。
「いま、来たみたい」
少年は立って、夏目を指さした。
「待ってたの、私?」
「お姉さんは、どこから来たの?」
少年の問いに、夏目は答えられなかった。
自分がどこから来たのかなんて、とっくに忘れてしまっていた。
「わかんないよ、そんなの」
夏目は少し、泣きそうになった。
「お姉さんは、どこにいくの?」
「‥‥‥死んだひとが、いくところ」
「それはどこ?」
「‥‥‥わかんない」
少年はけらけらと笑って、夏目の額にキスをした。
「悲しいことはないんだよ」
少年は言った。
「死んだ人のことは、誰かが物語にしてくれるの。ぼくのことも、お姉さんのことも、きっと誰かがつかまえて、物語のなかで生かしてくれる」
夏目は少し不貞腐れていた。
「そんなの、意味わかんないし」
「意味なんてないよ。でも、そういうものなんだ」
「まあ、いいけど」
夏目は立ち上がってスカートについた砂利をはらった。
「待っててくれてありがと。いこっか」
「どこに行くのか、決まったの?」
「‥‥‥うん、その誰かのところ」
こうしてふたりは、ぼくのところへやってきた。
ぼくは文才もないし、想像力もカラカラだから、きっと平凡な物語になるよと言った。
夏目は不服そうだった。少年は笑っていた。
ふたりの居場所を、ぼくは見つけなければならい。それがいつになるのかはわからない。
でも、ぼくがまた物語をつくろうと試みたのは、とある春の日、こんな夢をみたからだ。




