灰色の記憶 完
「私…だったんですね」
店主がゆっくりと首を横に振った気がした。
「なんとなくですが、覚えてます。
幼い頃に、虫の羽や足を千切ったり、蛙をひっくり返して足掻いているのを見ていたり」
再び店主が首を振った気がした。
「幼少期になら経験している人もいると思います」
俯いたまま、田中が呟く
「落とし穴を掘ってみたり…」
道路に石を置いてみたり
そう呟いた瞬間、灰色のような白黒の写真が、記憶と共に色をつけて蘇る。
「少し落ち着きましたか」
店主が温かい飲み物を差し出しながら囁く。
「ありがとうございます、大丈夫です」
「出過ぎた真似をしてすみませんでした。
ただ、あくまで田中さんのお考えも憶測の域を出ません。真実はまた別のところにあるのかも知れませんし…」
そう言いかけて、店主はもうそれ以上は何も言うまいとした。
「お気遣いありがとうございます。今度は妻もこちらのお店に連れて来てもいいですか」
田中は吹っ切れたような微笑みでそう返した。
「ええ、もちろんです。お待ちしております」
「ただ自宅から少し遠いので、いつになるか分かりませんが」
店主が不思議そうにしているのに気がついたのか、田中が続けた。
「私の妻、足が悪くて車椅子なんです。幼い頃の事故の後遺症らしくて」
田中はまた店に来るのだろうか。
そんな思いに馳せながら、
店主は店の暖簾を下げた。
完