灰色の記憶 伍
田中は思い悩みながらも、少しずつ手を尽くしていくことに決めた。まずは、大学時代に専攻をしていた授業の教授が歴史的建物を研究していたことを思い出し、連絡を取った。
「お久しぶりです、先生。ちょっと頼みたいことがあるんですが」
電話の向こうで、教授の懐かしい声が響いた。
「おお、田中くんか。どうした?」
「実は、家のことで調べものをしているんです。ある家の写真を見つけて、それがどうしても気になっていて」
「写真だと? 何か面白い話になりそうだな。詳しく話してくれ」
田中は写真に写っていた家の特徴を伝えた。表札に「桝谷」と書かれ、古い日本家屋のような造りをしている家だということ。それを基に、教授にアドバイスをもらおうと考えた。
「なるほど、桝谷という名前、そして瓦屋根の家か……君が言う通り、関西に住んでいたというなら、多少なりとも覚えがあるかもしれない。大工に知り合いがいるから、ちょっと協力してもらおう」
少しずつだが、真相に辿り着きつつある。
そう思ったが、そんな期待はすぐに打ち消されてしまう。
「田中くん、すまない。さすがに数が多すぎるみたいだ。せめてもっと詳しい地域か、その建物が建てられた年代でも判ればいいんだが。写真を撮った日付はわかるかい?」
教授に言われて写真を調べてみたが、日付は記されていなかった。
「こちらも色々と調べてはみるから、何かわかれば連絡しよう」
「分かりました。ありがとうございます、先生」
田中は再びその夜、小料理屋の店主元へ訪れた。
「先生から、年代を絞れば絞り込みやすいと言われました。」
店主は静かに頷き、穏やかな笑みを浮かべた。
「焦らず、少しずつ調べていきましょう。時間がかかるかもしれませんが、根気強く続ければ、きっと何かが見えてきますよ」
田中は、店主の言葉に励まされ、再び調査の手を進める決意を固めた。
田中は小料理屋のカウンターで、再び店主と向き合っていた。最近の調査結果を報告し、少しの間黙って考え込んでいた。
「……どうにも絞り込めないんです。瓦の特徴や外観から調べてみたんですが、関西でも瓦屋根はよく見かけますから、どうしても特定が難しくて」
店主はゆっくりと酒を注ぎながら、田中の話を聞いていた。しばらく沈黙が流れた後、店主がふと口を開いた。
「ところで、田中さん。失礼ですが、今おいくつですか?」
田中は少し驚いた。店主が何気なく聞いたその一言が、何かの手がかりになるのだろうか。
「今年で34になります」
「写真を見る限り、写っている田中さんは4〜5歳くらいでしょうか」
田中はその言葉を聞き、なぜそんな事に気づかなかったのか、自分に落胆した。
「そうか、この写真は恐らく30年ほど前に撮られたもの。着ている服装から夏頃」
半袖に短パンを身につけている少年がそこには立っている。
「何か思い出せますか?」
田中はその言葉を深く深く胸の底に落とし込み、自身の記憶の渦に埋もれていく。
しかし、深く沈もうとすればするほど、浮かび上がってしまう。
「…駄目ですね、何も思い出せません…」
店主は静かに言葉を続ける。
「では、田中さんの一番古い記憶はどうですか?」
田中は眼を瞑り、もう一度深く沈もうと試る。
一番古い記憶。
小学校の運動会で家族で一緒に食べたお弁当。
普段は料理をしない父が、唯一作ってくれた玉子焼きの味。
…違う。
その味は前にも食べたことがある。
いつだったか…。
長い沈黙が続いたが、店主は静かに待った。
その瞬間、田中の頭の中に何かが走った。
線香花火のような懐かしさと儚さで消えてしまいそうであったが、なんとか拾い上げた。
「玉子焼き…」
店主は微笑んで、田中に向かって静かに頷いた。
「手がかりはいつも、身近にあるものなんですよ。たとえ、ささいなことでも」
夜が更ける中、田中は心の中で決意を固めた。