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あなたの真実は  作者: 一ノ瀬双
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灰色の記憶 肆

田中は図書館の閲覧室で、積み上げられた古い住宅地図をぼんやりと眺めていた。


家の造りと「桝谷」という名字を手がかりに、過去の住所を探そうと考えたのだが、思った以上に範囲が広すぎる。

特に関西地方には「桝谷」という姓が比較的多いことが分かり、余計に迷宮入りしそうな気がした。


——この方法じゃ埒が明かないな。


地図を閉じ、田中は軽くため息をついた。

何か別の手がかりが必要だ。



翌日、田中は母に再び電話をかけた。

遠回しに聞いても何も得られないと考え、単刀直入に尋ねる。


「母さん、本当にこの家のことを知らないのか?」


「だから、知らないって言ってるじゃないの」


「でも、桝谷って名前、全然聞き覚えがない?」


「……」


一瞬の沈黙。


「ねえ、そんなことより、あんたは仕事は大丈夫なの?理沙さんだって…」


「話をそらすなよ。母さん、何か知ってるんじゃないのか?」


「……」


また沈黙。


「母さん」


「——もう、その話はやめなさい」


冷たい声だった。

あまり強く言われたことのない母の口調に、田中は戸惑う。


「やめろって……そんなに触れちゃいけないことなのか?」


「……とにかく、やめておきなさい」


一方的に電話は切れた。


田中はしばらくスマホの画面を見つめたまま、無言でいた。





「ふむ……なるほど」


小料理屋のカウンターで、田中は店主にその話を聞かせた。


「母さん、明らかに話を逸らしたがっているんです。でも、あの反応は、単に忘れたって感じじゃなかった」


店主は湯気の立つ味噌汁をそっと置きながら、静かに言う。


「何か、知られたくない事情があるのかもしれませんね」


「そう思います。だから……母さん以外で何か知ってる人を探そうと思って」


田中は少し考え込み、言葉を続けた。


「親戚なら、何か知っているかもしれない」


「なるほど。それはいいかもしれません」


店主は静かに微笑み、お猪口を手に取った。


「……ちょうど、いい肴がありますよ」


「え?」


「今夜はさわらを仕入れましてね。焼き物にしようと思っていたんですが、ご存じですか? 鰆って『春を告げる魚』とも言われるんですよ」


「……春?」


「ええ。そして、関西では特に馴染みの深い魚でもあります」


「関西……」


田中は、店主の言葉にふと考え込んだ。

そして、ある可能性に思い至る。


関西にいる人なら、何か知っているかもしれない




田中は翌日、親戚のひとりに連絡を取った。

関西に住む亡くなった父の姉、叔母だった。


「久しぶりね、隆くん。どうしたの?」


「ちょっと聞きたいことがあって」


「なあに?」


「母さんに聞いても分からなかったんだけど、『桝谷』って名字に心当たりある?」


——沈黙。


明らかに何かを考える間があった。


「……どうして?」


「いや、父の遺品の中に、桝谷って表札のある家の写真があってさ。俺が小さい頃に撮ったみたいなんだけど、母さんは『知らない』の一点張りで」


「そう……」


「何か知ってる?」


叔母はしばらく黙っていたが、やがて小さくため息をついた。



「あなた幼い頃、大阪に住んでいたのは覚えてる?」


「大阪?」


叔母が関西にいるのだから、父が関西出身なのはだいたい想像がついていた。

しかし、自分も関西に居た事があったとは。


「いや、その記憶もなくて。じゃあ、この写真はその時の」


短い沈黙…


「叔母さん……?」


「もしあなたが本当にその頃の記憶を思い出したいのなら、私には止める権利はないわ。

ただ、あなたのお母さんの気持ちも分からなくはない。

だから、全ては話せない。

父の…あなたのお祖父さんのことを調べなさい」


叔母の声は優しかったが、どこか悲しげだった。

それ以上、何を聞いても答えてはくれなかった。


だが、確信した。


母も、叔母も——『何かを知っている』。


そして、それを隠したがっている。


田中はスマホを握りしめたまま、重く息をついた。




夜、再び小料理屋を訪れた田中は、店主にそのことを話した。


「……やはり、何か隠されているようですね」


「ええ、どうやらそうみたいです」


店主は静かに酒を注ぐ。


「ですが、このまま続けて良いものなのでしょうか」


田中は店主の予想だにしない言葉にはっとした。


「お母様がしきりに隠したがるのは、田中さんにとってはあまり良くない真実があるからではないのでしょうか」


「……」


良くない真実。


「お祖父様がそれに関係してくるとなると、かなり大きなことなのでしょう」


——そう。


田中の記憶の外にいた祖父。

その存在こそが、この謎の鍵を握っている。

しかし、ここまで来て今更やめる訳にはいない。

むしろ、ここまで来たら、胸の引っ掛かりが一層強くなり、大きく拍動している気がする。


その拍動は、期待と不安が入り混じった何ものにも変え難い異物となり、棲みついているのを感じた。


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