灰色の記憶 壱
男は机の上に広げたアルバムをぼんやりと眺めていた。実家で父の遺品を整理していた時に古びた箱の中から出てきたものだ。写真の端は黄ばんでいて、長い年月を経てきたことを物語っている。
なんとなく中身が気になり母に了承を得て持って帰ってきた。
ふと、一枚の写真に目が留まった。どこか懐かしいような、しかし、はっきりと思い出せない場所。古い日本家屋の前に、小さな男の子が立っている。
「……この家、なんだろう。どこかで見たことがある気はするけど」
だが、記憶の奥を探っても、それ以上は何も浮かばない。写っている小さな男の子は、確かに自分なのだが。
写真の家の表札は、『桝谷』とある。
ますたに…はて?
身内にもまわりにもそんな性の人物は思い当たらない。
アルバムの写真はその一枚で終わっていた。
記してある日付は25年前。
翌日、男は馴染みの小料理屋に足を運んだ。カウンターに座り、女将に軽く会釈をしてから、静かに日本酒を一杯頼む。
「珍しいですね、こんな時間に」
店主が穏やかに笑いながら、徳利とお猪口を置いた。男は写真を取り出し、店主の前にそっと置く。
「この家、見覚えがあるんですが、どこだったか思い出せなくて」
店主は写真を手に取り、しばらく眺めた後、ゆっくりと息を吐いた。
「懐かしい雰囲気の家ですね。古いですが、しっかりした造りだ」
「はい。父の遺品を整理していて出てきたんです」
「お父様の。この写真が気になるのですか」
男はお猪口を傾けながら言葉を選ぶように続ける。
「私、幼少期の記憶があまりなくて。この家に見覚えはあるような気がするのですが、まったく思い出せないんです。ご主人に相談すれば何か思い出すきっかけになると思いまして」
たしかに、さまざまな客の悩み事を聞いているうちに、いつしかこういった相談が増えていっている。
店主はしばし考え込むように顎に手を当てた。
「そうですか……ご家族に聞いてみるのが一番かもしれませんね」
「母に聞いたんですが、『そんな家は知らない』って」
「なるほど……」
店主は興味深そうに目を細めた。
「自分の子供が知らない人の家の前で写真を撮った、なんてことあるんでしょうか」
男の言葉に、店主はお猪口を手に取り、ゆっくりと酒を口に含んだ。
「聞いたことはないですね。
……となると、誰がその写真を撮ったのか、も気になりますね。お母様が知らないのであれば、お父様、ということになりますが」
静かに流れる小料理屋の時間の中で、男は写真を見つめながら、確かめようのない記憶の欠片を手繰り寄せようとしていた。
つづく