第2話 称号の剣『破魔縛呪滅業』
自宅の一室で完成形の『剣』を振るうナザーリィ。様々な扱い方をして、慣れないグレートソードの長さ、重さ、大きさを肌で覚える。
薄い部屋着のままなので、彼の筋骨たくましい肉体の躍動するようすが、目の前で見える。バットゥーユを出てから、手に入れた剣の真価を教わるため、その足でオクニの竜神神殿へ向かったのだった。大神官は言った。
「その剣はな、<全世界>に存在する数多の世界……その各々に、ただの一振りずつしか与えられていないと伝わる、名剣だ!あらゆる魔法をその身に吸収して、所有者が背負っている悪い<業 カルマ>を滅ぼしてくれる」
『破魔縛呪滅業 ハマバクジュメツゴウ』が、己の身体の一部だと言えるぐらいにまで使い込もうとする、剣士ナザーリィ。自分の胴体の周囲を滑らせるように回転させながら、まるで舞っているかのようだ。大神官の言葉が思い出される。
「お主の悪しき因縁を断て。そして時代を動かすのだ、その清らかな刃を持つ剣を手に……!」
そこまでの説明で充分だった。彼は馬を駆って自宅へ戻り、使いの者に、「天下のあらゆる魔法の力を奪う剣を手に入れた」と、オクニをはじめワシ派の人々へ伝えるよう命じた。
オオトリ派の拠点都市、うす暗い部屋で、二人の男が妖しげに会合している。一人は上背があり、抜け目ない顔つきをして、長く伸ばしたアゴヒゲを固めている。長さ180cmの戦闘棒を扱う最高指導者アテルイである。
もう一人は小柄な術師。<全世界>に存在する魔法は<呪術>と<魔術>に分かれる。術を飛ばす対象を中心に効果を発揮するのが<呪術>だ。彼はこれから、凶悪な呪術を八つも使おうとしていた。
術師の右手の中には一塊の「黒い糸くず」が握られている。左手をそちらへかざしながら、糸くずを指先で「こねくり回す」。聞こえて来る呪文。
「<蟲毒虫>よ、憎しみを毒に変えて、我らの敵、ワシ派の剣士ナザーリィを討て!オーマニ・バン・バラザァ……」
丸められた糸くずは床へ落とされると、昆虫のような、ゆるやかに反って細長く伸びた脚を十数本、体からニョキニョキと生やした。その、長さもまちまちな脚を不器用そうに、互い違いに動かして床を這い、隅っこの暗がりへと入り消える。身体にも精神にも猛毒と成る体液を注入するため、ターゲットの居る場所へ向かった。
「こいつを八体も!そのナザーリィとか申す者、これにて一巻の終わりにございます」
次々と床を伝って目的地へ向かう<蟲毒虫>たち。
「いくら何でも、あれに八方から襲われては、ひとたまりも有りません!」
* * *
しかし……じっと考え込むアテルイ。玄関から外に出て、遠くオクニの空を睨みつける。周囲には、神託で選ばれた精神的最高指導者を護るために五、六人のボディーガードがまとわり付いている。彼は自らへ問いかける。
「あれほどの男だ。これしきのことで参るだろうか?」
いつも手にしている戦闘棒で、地面の土に直径1mほどの円を描く。その中に三角形と逆三角形を重ねて線描した。六つの頂点を直線で結ぶ。六芒星、簡易の魔法陣が出来上がる。何かを占うつもりらしい。
「表が出れば我らの勝ち。裏が出れば……」
そう言いつつ小さな金貨を右手の親指で弾いてトスした。コインは高速で回転しながら六芒星の中に落ちる。裏が出た。
「裏が出ればナザーリィの勝ち……!」
アテルイはコインを拾い疑うような目でジロジロと確認する。
「むっ……これは!」
その金貨は「製造ミス」で両面とも裏に成っている、珍しい品物だった。ナザーリィめ!悪運の強い奴!!
「呪術だけでは足りぬ。もっと強力な術師を呼べ。魔術<トビカミ>を放て!」
「ハ……ハッ!!」
直ちにベテランの魔法使いが現れた。その男は、人の生き血を素材に使った紙を折って<鳥>に似た形にし、空中へ投げる。それは羽ばたくと頭上を旋回した。
「触れる者の命を奪う、忌まわしき<トビカミ>よ目を覚ませ!オクニの剣士、アグレッシュマ=ナザーリィという男を誅殺せよ!」
<トビカミ>は鮮血の色の両目を開き、同じ色のクチバシとカギ爪を生やして、術者に操られオクニを目指し飛ぶ。
―――― 視線を感じる! ――――
剣士ナザーリィの第六感が強く訴えていた。それもそのはず、遠く隔たれた場所から、彼は多数の魔法の標的にされているのだ。名剣の所有者を「八方塞がり」にしようと放たれる、八体の<蟲毒虫>たちが迫る。
称号の剣が、こちらへ向かって来る強大な魔力の群れを感じ取る。ナザーリィの居る部屋へ、四方八方から同時に侵入する、黒い糸くずで出来た呪術。『剣』を背負うような形――両手で構えた武器を大きく振りかぶっているので、ブレードの切っ先は丁度、所有者の腰の下に位置している。両目を閉じて精神統一しているナザーリィは、『剣』が伝えて来る<蟲毒虫>の配置を心の中でイメージしていた。八方を同時に見ることは出来ないからだ。
「進退きわまったと感じたら、自分のためでなく、周囲の人たちのため、力の弱い者のため、また次の世代のために今できることを探せば、容易に<道>へ出られるもの」
そうつぶやいて、手にしている剣を自らの肉体の周囲で滑らせるように振り回す。信じがたいバネで、床からナザーリィ目がけ跳躍し毒を打ち込まんとする呪術を、信じがたい鋭利な感覚で捉え、回転するブレードに吸収させる総白髪の剣士。
一匹、二匹……あっという間に六匹の魔力を吸い尽して残るは二匹。同時に飛びかかって来た!これを、ためらいの無い動きで「まっぷたつ」に切り裂きブレードへ吸い込ませた、名剣の所有者。深く息を吸って目を開く。口から息を吐いた。
「まだ何か来る!」
彼は手早く上着をつっかけて中庭へ出る。
* * *
晴れ間の見える遠い空へ目をやる。更に強い魔力を備えた何かが、真南をだいぶ過ぎた太陽を背に猛スピードで飛来するのを『剣』が感じ取っていた。明らかに「味方」ではない。明らかに「生き物」ではない。明らかに魔法的な攻撃を加えんとする「何か」がこちらへ来る。
ギギンッツ!!!
<飛行物体>の一撃目は剣で受け流した。そいつは大空で悠々と弧を描いて再び突撃して来る。剣士はそれを初めて見た。その凶悪な雰囲気……武人としての直感が働く。強敵だ!言葉の剣の所有者を亡き者にしようと燃え盛る、血の色をした両目をカッと見開いて、強引に突っ込んで来る。
二回目の攻撃も、ナザーリィは剣で受け切った。それが精いっぱいで反撃のチャンスが無い。相手の力は凄まじく、グレートソードにまだ慣れていない所有者は、危うく大剣を落としそうに成ったほどだ。
彼の苦しい戦いのようすを、仲間の女剣士が見つけて中庭へ出て来た。ナザーリィよりも若く見える、薄化粧の女性である。
「ナザーリィ!どうなさったのです!?」
「来るなハナトリ!あれは危険だ!私が何とかしてみよう」
ハナトリと呼ばれた女剣士は、ナザーリィと同じデザインでグレーの地に金色でマークが入ったヨロイを着けている。剣を手に取った。
遠い異国から、<トビカミ>は遠隔操作されている。狂える両の目は、安全なところでこれを操る術師と共有されていた。攻撃対象を「女剣士」へと切り替える。しかしナザーリィもハナトリも、それに気づいていない。彼女の頭部目がけて猛進する<トビカミ>!
「ハナトリ、危ないっ!!」
『剣』を投げ出すようにして、ナザーリィは<飛行物体>の攻撃を防いだ。勢い余ったそいつは、中庭の立ち木に衝突し、破壊的な音を立てて弾かれた。けれども空中で姿勢を制御し、再び空高く舞い上がる。
ぶつかられた立ち木は、<飛行物体>のクチバシが当たった部分を中心に、見る見る内に立ち枯れて腐り、メキメキと死の音とともに倒れて地面へザッ!と落ちた。見ていた二人は次の攻撃を決死の覚悟で待つ。あの敵は強すぎる!!
そこへ、痩せて背の高い、黒い肌の仲間が現れた。衣装と手にした書物を見れば賢者らしい。その男性は、インクを浸したペンを片手に、空中で攻撃のタイミングを伺う凶悪な物体へ向かって呪文を唱える。
「アマアツ・テラ・ラミ・ラミル。カミに折られし飛ぶトリの目は、魚のウロコで塞がれるべし。アニ・アニ・アンテニ!」
ベテラン賢者、「時間の」ホルネー=マーグレスは、ペンを<トビカミ>へ向けてフーッと息を吐く。すると黒いインクの玉が矢のように上空へ発射され、燃える血の色をした<トビカミ>の両目にくっついて、これを塞いだ。突然にして視力を失った<飛行物体>は地上へ落ち、しばらくもがいていたが、やがて術が解けてただの「紙」へ戻ってしまった。
「うぬうう!!」
アテルイたちは事情を知ってくやしがる。しかしながら、いくら待ってもワシ派からの魔法による反撃が来ないのを、オオトリ派の最高指導者は評価していた。その彼へ悪い知らせが届く。
「将軍らが軍を動かしています!自分たちでワシ派へ、目にもの見せてやらんと言って大掛かりな争いを起こすらしく……!」
オオトリ派の幹部はすでに動いている。アテルイにも止めることは出来そうにない。事態は更に悪い方へ向かいつつあった。