花火の壁
自宅から二つ離れた市で久しぶりに花火大会が開催されるということで、津田は電車に乗り現地へ向かった。のだが……
「花火見せろー!」
「花火は庶民のものだろー!」
「こっちはせっかく家族と来てんだぞ!」
「こっちは彼女とだ! ふざけるなー!」
「そこぉ、止まらないで! 歩いて、壁に手を触れないでくださーい! 手を、手、おい、触れるな!」
湖に浮かぶ船から打ち上げられる花火。その湖面と夜空に映す職人の魂を拝もうと押し寄せた人、人、人人人……。
しかし、湖に面した特設会場はぐるりと一周、巨大な壁に囲まれているのである。
壁といってもさすがにコンクリート造りなどではなくフェンスや鉄パイプによる骨組み。しかし、城壁さながらの堅牢さに加え、上に人が歩けるスペースがあるようで、手をかけよじ登ろうとする者をそこから、やたら長い棒でビシバシと叩くのだ。
高さ七メートル長さは四キロとも地の果てまでにわたるとも言われるその壁に阻まれ、歩けよ歩け。立ち止まり空を見上げる権利も剥奪。チケットなき者は人であらず。誰のための花火大会か。資本主義かこれが格差の壁なのか。
と、なにもそこまですることもされることもないだろうと津田は呆れ、帰ろうと思ったのだが壁をよじ登ろうとする集団を前に、ふつふつと湧き上がったのは体制側に対する反骨精神か。市民の矜持か。それともこの日大量に沸くお祭り男、江戸っ子の血が騒いだか。
熱にあてられ、浮かされ、ふん、と鼻から息を吐き、気合を入れ直した津田もまた壁に駆け寄り、そして群がる人々の浴衣を掴み背を踏み壁をよじ登り始めた。
こんなにするか、と思うほど叩かれ、額から流れた血と汗が口に入る。ゴクリと呑み込んだのは無意識。頭の中は真っ白。やっとの思いで壁の縁に手をかけ、そして目の前に広がった光景に呆気にとられた。
人、人、人、人人人人人人人……壁の内側は外側以上に人の肉で埋め尽くされていた。
運営側が欲を掻いたか、単なる計算ミスか客を入れすぎたのだろう、簡素なベッドが置かれただけの二十万円のカップルシートエリアは、まるで見世物。肩車し、檻のように人が重なり覆いその中で命の危険を感じ、種を残そうという本能からかカップルが一心不乱にまぐわい、プライムシートエリアでは寄るな寄るなと父親が椅子を振り回し、傍で泣き叫ぶ子供。
湖に溢れた客は、湖からの侵入を阻止するために常駐している警備隊に棒で叩かれ押し戻され、それをぽんぽん船から眺める者たちが嘲笑う声がするかと思えば至る所でこれが祭りだとばかりに狂気に満ちた笑い声がする。
津田は壁の上から内側へゴロゴロと転げ落ちワッショイワッショイ邪魔だ重い死ねよ殺すぞ下から突き上げられ殴られ押しやられここは地獄か、希望は、光は……と苦痛のやり場を探し、空を見上げる。その時であった。
『間もなく、花火大会開催の時刻です。皆様、湖と夜空を彩る花火をどうぞご堪能下さい』
会場のアナウンス。怒号が収まったのはそのお陰ではない。
花火だ。いや、違う……とも言い切れない。
すべては数年ぶりの花火大会開催という熱に、欲に浮かれた杜撰な計画のせい。
爆音と共に湖上に現れた鳳凰の如き大火は浮かぶ船を焼き、呑み込み迫るその美しさに津田は確かに目を奪われ、発したのは悲鳴でもなくただ一言
「魂や――」




