ピットのファイター・ダイス ~手斧と拳~
家紋 武範さん主催、「約束企画」参加作品です。
このお話は、暴力や流血など残酷なシーンが描写されています。
苦手な方は、無理せずブラウザバックしてください。
また、このお話は、創作でフィクションです。
現実の個人・企業・団体などとは関係ありません。
広い空間の中央に、狭い鉄の檻がある。
6メートル四方、高さも6メートルほどの檻の中。
仮面を着けたスーツやドレス姿の観客たちが見守る中で繰り広げられるのは……。
上半身裸の男二人が薪割り用の片手斧を持ち、振り下ろし、薙ぎ払い、また振り下ろす。
片方は、身長2mを越える巨漢。
狭い檻の中で、大きな体を存分に動かし、手斧を振り回している。
もう片方は、金髪の男。
巨漢が繰り出す手斧を、余裕をもって躱し、手斧を持たない方の指をクイクイ動かして挑発してみせる余裕すら見せていた。
見え透いた挑発に乗った巨漢が、吠えながら激しく手斧を振り回すものの、金髪の男は影のようにスルリスルリと躱して見せた。
当たれば即致命傷となりうる手斧が、まるで当たらないことに苛立ち、大きく息を乱しながら激しく手斧を振り回す巨漢。
対して、金髪の男は、息を乱すことなくアクロバティックな動きで躱す余裕すら見せた。
ぜえはあと、肩で息をする巨漢。
その様子を、ふっ、と鼻で嗤う金髪の男。
これまた露骨な挑発に激昂した巨漢は、手斧を大きく振りかぶり、まっすぐに振り下ろした。
生意気な、金髪の男の頭をカチ割るべく。
これまででもっとも速い振り下ろし。
しかし、金髪の男は、下から手斧を振り上げて、
巨漢の、手斧を持つ右手を割り砕いた。
手を砕かれ、手斧がどこかへ飛んでいく。
激痛に悲鳴を上げ、泣き叫ぶ巨漢。
その様子を見た金髪の男は、
…………嗤った。
楽しい時間の始まりだと、嗤った。
金髪の男の口の端が、三日月のように吊り上がる。
ゆっくりと、一歩、二歩、距離を詰めれば、
巨漢は傷付いて役に立たなくなった右手を押さえたまま同じ分後ろに下がり、鉄格子に背中をぶつける。
それは、つまり。
逃げたいのに、逃げられない、ということであり。
巨漢の運命は、
すでに、決まったということ。
金髪の男が手斧を振り上げ、気迫の雄叫びをあげれば、
巨漢は、恐怖の悲鳴をあげ、命乞いを始めた。
その先に待つ運命に、観客たちがざわめきだす。
歓喜に。
金髪の男は、泣き喚き呪いの言葉を吐きかける巨漢に構わず、手斧を振り下ろす。
巨漢は、生きたまま、まずは腕を、次に脚を手斧で何度も切りつけられ断ち切られ、バラバラにされていく。
その度に血しぶきが飛び、金髪の男を血の赤で染めていく。
その度に、観客たちが歓喜の悲鳴をあげる。
手足を断ち切られた巨漢が、何事かを呟く。
金髪の男は嗤いながら呟き返し、頭をカチ割り、首を切り落とした。
金髪の男は、勝利のパフォーマンスとばかりに切り落とした巨漢の頭を持ち上げ、観客によく見えるように掲げた。
これにて、戦闘は終了。
観客たちは、拍手と賛辞で勝者である金髪の男を讃え、生々しい死をもたらした戦闘の興奮が冷めやらぬままその場をあとにする。
観客すべてが退場して静まり返った後、ようやく檻が開けられ解放された金髪の男は、観客とは別の出入り口からその場をあとにする。
あとに残されたのは、バラバラにされた巨漢の残骸と、血の臭いだけ。
※※※
戦い終えた金髪の男……ダイスは、『組織』が用意した自室に戻り、熱いシャワーを浴びて汗と血の臭いと戦闘の余韻を洗い流す。
下着にバスローブを羽織っただけの姿で、紙の資料に唾を吐きかけてから忌々しげな形相でオイルライターで燃やしていく。
その様子を、震えながら見守る小男。
サブは、普段見せないほどの怒りを露にしているダイスに、心底怯えていた。
その理由はよく分かっている。
今回の対戦相手だった巨漢は、ダイスが最も嫌うタイプの外道だったから。
ダイスは、強い者や誇り高い者、懸命に生きているものに敬意を払う習慣がある。
反対に、弱い者や弱者を踏みにじるもの、正義などの言葉を都合よく解釈する者には侮蔑すら見せる。
今回の巨漢は、ホームパーティーを開いた一家4人と参加した友人知人たちを、散弾銃と手斧で惨殺した犯人。
しかも、防犯カメラにも映らないように逃亡し警察の捜査の手から逃れる狡猾さも持ち合わせていた者だった。
娘夫婦と孫たちを、その友人知人もろともに惨殺された親が、偶然『組織』と繋がりがあった者で、同じ目に遭わせてほしいと『組織』に泣きついた経緯があった。
この理不尽は、法で裁かれるだけでは、収まらぬと。
要請を受けた形の『組織』は、ゴミを片付けるような感覚で巨漢を捕え、運び込み、始末するよう命じた。
今回のゲームは、そのついでだった。
ダイスは、別に、命懸けの戦いをついで扱いされたことに腹を立てているのではなく。
人として当然の幸福を享受するその日を、踏みにじった巨漢に怒り狂っていたのだった。
社会の闇に見え隠れする『組織』に所属する者にしては、あまりにも真っ当な感覚だとサブは思ったが、自身の幸せを踏みにじられたなら、やはり怒り狂うのだろうと、自分でもそう思った。
舌打ちしながらすべての書類を灰にしたダイスは、灰が納められた灰皿に拳を振り下ろして、灰皿を叩き潰してしまった。
その音に、次は自分が叩き潰されると震え上がるサブ。
しかし、ダイスは、
「…………ちっ…………気分が悪い…………。あ? なんだ、サブ、いたのか」
サブが部屋にいたことにも気付かずにいた。
「あぁ、悪いな。ちょっとイライラしていてな」
何気なく言うダイスを見て、ちょっとどころじゃないでしょうよと思いはしたものの、結局口には出さないサブ。
とりあえずは、怒りの矛先を向けられることはないと分かって、ホッと一息つくのだった。
「なあ、サブ? 今日は、なんか家庭的なものが食いたい気分なんだ」
「…………旦那の言う家庭的な料理って、たとえばどんななんです?」
「……えっ? そりゃあ……。シチューとか? グラタンとか? パスタとか? ピザとか?」
「へい、時間をもらえたら用意しやすぜ」
「頼むわ」
すっかりいつも通りの気楽なやり取りになり、手際よく料理を始めるサブ。
どうにも腹の虫が治まりきらないダイスは、ホームパーティーに並ぶような料理ってなんだろう? と、幸せな一日になるはずだった一家の様子に、想いを馳せていた。
その幸せな光景を見ることは、もう誰もできないのだと、理解しながら。
※※※
※※
※
『やあ、スティーブ。今、時間は大丈夫かね?』
『これは、ライアン様。ご機嫌麗しゅう。ええ、大丈夫でございます。ご用件をお聞きします』
『少し、言いづらいことなんだが……』
『構いませんよ。まずはお聞きいたします。遠慮なくどうぞ』
『すまない。……実はね、昨日孫の誕生日で、ホームパーティーが開かれたのだけれどね。パーティーの最中に、娘夫婦と孫と、その友人たちが殺されてしまってね』
『……! ……それは、……お悔やみ申し上げます』
『ありがとう。話というのはね、スティーブ。その犯人をね、『組織』の力で社会の枠から連れ去って、同じ目に遭わせて殺してほしいんだ。そのためであれば、私個人の意思だけで動かせる私の資産のほぼすべて……総資産の半分ほどになるが、それらすべてを、『組織』に譲渡する用意がある』
『…………ライアン様。前提条件の確認をいたしましょうか。
我らは国家権力ではありません。警察ではないので捜査権も逮捕権も持ちません。
軍隊ではないので武力を持ち得ません。
思想家のように信念に基づいた主義主張を表明するわけではありません。
ボランティア団体でもないので、無償で誰かを助けるようなこともありません。
我らの在り方は、企業でございます。
お客様のニーズに応え、最適なサービスを提供するのが、我らの在るべき姿でございます。
……そうですね。ちょうど、次のゲームが近づいてきた頃でございます。ご観覧の際は、ぜひご連絡を。
きっと、ご満足いただけると思いますので』
『…………ありがとう、スティーブ。必ず、参加させてもらうよ。
あのね、スティーブ。連れ添いを亡くした私にとって、遅くにできた娘とその孫二人は、まさに生きがいだったのだよ。私も年を取ったし、残りの人生すべてを、この子たちの笑顔のために捧げようと、そのために何ができるだろうと考え始めた矢先のことだったんだよ。
…………無念だ…………。あまりにも…………あんまり、な…………理不尽…………。
この恨み、法の裁きなどという生ぬるい結末で終わらせてなるものかと、思ったところにね、ふと、きみのことを思い出したんだよ』
『光栄でございます、ライアン様。その心中、察するにあまりあるものと存じます。必ずや、ご満足いただけるよう、最大限の努力をさせてもらいますので、ご期待くださいませ』
『…………ああ、…………ああ、期待、させてもらうよ』
『それでは、さっそく準備に取りかからせてもらいます。…………ライアン様?』
『なんだい? スティーブ?』
『私とライアン様は、長い付き合いでございますね。僭越ながら、私はライアン様のことを、ビジネスライクな関係を越えた、友と、友人と思っております。
奥方様やお子様方に対する想いは、存じ上げております。
この度のことは、我がことのように感じてしまっております。…………それゆえに。
……それゆえに、必ず、ご満足いただけるよう、格別に取り計らいますので。
次のゲームを、どうか、お楽しみに』
『……ああ、……ああ。そうさせてもらうよ。長々とすまなかったね。では、また』
『お待ちしております』
ピ、プー、プー、プー。
※※※
※※
※
「旦那、次のゲームが決まりましたぜ」
ボクシングや空手といった、打撃の型を大きな姿見で確認しながら体を動かしているダイスに、サブが声をかける。
拳も、蹴りも、サブの目には速すぎて反応すらできないレベル。
仮に、プロに転向しても、このダイスならばやっていけるのではないかという確信がサブにはあった。
そのダイスが格闘技の動きをしている様子なら、ずっと見ていられるサブだが、今回は普段と少しばかり話が違うので、ダイスの邪魔になるかもしれないと思いつつも声をかけた。
「分かった。シャワーを浴びたら資料を見せてくれ」
そう言って、トレーニングを切り上げるダイス。
しばしの後、タオルで頭を拭きながら姿を見せたダイスに、温かい飲み物と資料を差し出すサブ。
資料に目を通すと、とたんに表情が険しくなっていくダイス。
今回もまた、ダイスは荒れるのかと戦々恐々しているサブだが、面倒そうな表情でため息を吐くダイスに、若干肩透かしな気分だった。
「んー…………。いや、いいのか? このマッチングは?」
「あっしが判断することではねぇですが、上は、今回はこれでやってほしいそうですぜ」
『組織』が運営する地下闘技場、通称『ピット』。
そこでは、定期的に非合法な命懸けの戦闘が行われる。
そこで戦う戦士は、『組織』に所属する者が調達してくる。
主に、社会からいなくなっても構わない者、あるいは目立たない者を中心に。
だが、時おり、『組織』と関係がある者が、対戦相手を指定してくる場合がある。
『組織』に頼まれたわけでもないのに。
それらは、非合法かつ生死問わずという条件でありながらも、様々な理由で膨大な額になるファイトマネーを求めている者が選ばれる。
なにをしても、なんとしても、今すぐに、大金が要る。
そんな者が。
今回ダイスに渡された資料には、未成年の少年……といっても、体格的には十分に大人……が、大金を求める理由と共に記されていた。
さすがに、未成年の子どもと生死を懸けたバトルをしたことのないダイスは、困惑している。
どうしたものかと頭を悩ませ、
「…………まあ、やれというなら、やるさ。いつも通りにな」
「余計なことは考えなくていい。ってのが、上の考えみたいでさぁ。旦那、めんどくせぇ話とは思いますがね。一つ、よろしく頼みます。……あっしにできることがあれば、なんでもやらせてもらいやすから」
サブから、気乗りしないと思われているようなので、念のため否定の言葉をかけるダイス。
「嫌なわけじゃあねえさ。安心しろよサブ。やるべきことはちゃんとやる」
「へい。そこは心配していないんで。……ところで旦那? 以前言っていた、すごい臭い干物、届きましたんで。どんなもんか、さっそく試してみます? ……あっしは遠慮させてもらいますが」
小包を取り出して、ダイスへ差し出すサブ。
……なぜか既に腰が引けているが。
「おお、ありがとう。相変わらず仕事が速いな」
「そのままかじってもいいらしいですが、炙ると旨味が増すそうですぜ」
そう言って、卓上コンロを準備するサブ。
「はい、つまみと、酒です。換気扇も空気清浄機も全部回しましたんで、開封してもいいですぜ。……じゃ、あっしはこれで」
やることやってさっさと逃げ出すサブを見て、この中身、そんなにやべぇモノなのか? と口の端がひきつるダイスだったが。
が、せっかくなので、食べてみることにした。
あからさまな毒物や腐って食べられないものを、販売するわけがないよな。と心に予防線を張ってから、そのすごい臭い干物の封を切ってみた。
……予想を遥かに上回る凄まじい臭いに、後悔したのは言うまでもなく。
丸一日経っても一向に臭いが消えない状況に、泣きたい気分でサブを呼んで頭を下げたダイスだった。
※※※
今宵もまた、高層ビル街の一角に、上流階級という名のケダモノどもが集う。
この世の贅と娯楽を味わい尽くした紳士淑女は、司会を勤める仮面の男からの対戦相手の説明を聞いて、ざわめきだす。
片方は、『組織』が誇る『ピット』の英雄。
もう片方は、大金を求めて駆けずり回ったことで『組織』の網に引っ掛かった、血気盛んな未成年の少年。
少年の方は、スポーツとはいえ格闘技の学生チャンピオンになった実力者ということも紹介され、熱いバトルが繰り広げられそうだと期待が高まっていく。
紳士淑女が集う会場の中心にある、鉄の檻。
その中に、手錠や鎖で拘束され、頭に袋を被せられた上半身裸の若そうな男が、数人がかりで無理矢理引きずられるように連れてこられ、檻に蹴り入れられる。
……どうやら、相当に元気が有り余っているようで、檻の中に入れられた後は、手錠を外せと騒いでいた。
子どもの癇癪そのものな様子に、不快な表情を浮かべる者もいる中で、遠隔操作で手錠や鎖が外され、拘束を解かれてすぐに頭の袋を剥ぎ取って周囲を見渡す少年。
……その、少年に、紳士淑女が舌なめずりするような視線を向ける。
異様な雰囲気に、唾を飲み込む少年。
意図せず、騒がしくしていた少年がおとなしくなった瞬間、少年とは別の入り口から、威風堂々たる姿の『ピット』の英雄が姿を現した。
対戦相手の持つ雰囲気にあてられた少年は、すっかりおとなしくなってしまい、ダイスが檻に入り錠が掛けられた音にビクッと反応してしまっていた。
仮面の男が、戦闘の開始と終了の宣言をすると説明し、戦う前に武器を選ぶダイスロールが始まる。
ほんの小さなサイコロがふられ、回転しながら床に落ち、転がる。
サイコロが示した数字は、6。
会場の一角に設置された大型スクリーンにサイコロの目がどの武器を指すかの早見表が表示された。それによると、6は、『素手』だった。
武器は使用せずに、己の肉体のみで戦うことが仮面の男により宣言され、戦闘が開始された。
「ゴングは鳴ったぞ。構えろ。お前も戦う理由の有る戦士ならば、戦え。……さもなくば、死ね」
開始の合図が鳴ったにもかかわらず、いまだ戸惑う少年を、ダイスは睨み付けながら命じた。
声をかけられて、ようやくボクシングの構えを取る少年に対し、無造作に近付き大振りの右ストレートを繰り出す……と見せかけて、股間に前蹴りを繰り出すダイス。
ストレートを、まずは防御しようと即座に反応する少年だったが、下方向への攻撃には反応できず、前蹴りで股間を蹴り飛ばされた。
股間を押さえて悶絶する少年に、会場からは、嘲笑や侮蔑の言葉が聞こえてくる。
「立て。ゲームは始まったばかりだぞ?」
いきなり股間を蹴られて涙目になっている少年は、ダイスの次の一言で目付きが変わった。
「ママと約束したんだろう? 幼い頃から1人で自分を守ってくれたママを、今度は自分が守るって。病気のママに約束したんだろう? だから、こんな場所にいるんだろう?」
無言で構え直す少年に、ダイスもまた、ボクシング風に構える。
互いに、ジャブを放って距離を測りつつ、フットワークを活かして本命の一撃を撃たせないよう動き回る。
探り合うような時間が過ぎ、有効打を撃てないことに苛立った少年は、おもむろに必殺の右ストレートを繰り出す。
が、ダイスは首をそらしただけで躱してしまう。
そして、距離を取られる。
少年のボディががら空きだったにもかかわらず。
必殺の一撃を、余裕をもって躱されてしまった。
その事は、少年の幼いプライドを傷付けただけでなく、ダイスのことを、格上だと、自分より強いと、はっきりと認識させてしまった。
勝ち目があるとすれば、なにか?
それは、若さゆえの体力。
そう判断し、足を止めての打ち合いを選んだ。
左右の拳での、速度を優先したワンツーパンチ。
時おり、変化をつけてボディブローも織り混ぜる。
ダイスの防御が下がれば、顔を狙った右ストレート。
自身の持つ力を出し切るつもりで、次々と拳を繰り出していく。
しかし、ダイスは、拳を握るボクシング風の構えから、指をまっすぐ伸ばした拳法のような構えに移行、ジャブを手の平や手の甲で外側に逸らし、ボディブローを手の平で受け止め、ストレートを掌打で突き上げ逸らす。
腕が突き上げられたがら空きの胴に、拳が撃ち込まれる。
キツい一撃を撃ち込まれた少年は、数歩後退し、しかし、また踏み込んでパンチを繰り出す。
それらすべてが、逸らされ、受け止められ、空いた場所にまた拳が撃ち込まれた。
このゲームは、ボクシングのように、3分でインターバルが挟まれることはない。
レフェリーがストップをかけることもない。
疲労を、隙を見せれば、その隙を突かれて攻撃される。
精彩を欠いた攻撃は余裕をもって逸らされ、ストレートは躱されて、反撃の右ボディブロー。さらに、顔面に左フック。
疲労に息を乱し、目蓋が切れて血がにじんでも、腹が赤黒く変色しても、少年の闘志は消えない。
決死の雄叫びを上げ、大きく振りかぶった一撃を繰り出す。
しかしそれは、目測を誤ったとしか言えないほど遠くから撃ち込まれ、バランスを崩して前のめりに倒れる。
……と、見せかけて、下半身を封じるタックルへと変化させた。
マウントポジションになれば、実力差があったとしても。
少年は、そう考えてはいた。
だが、実際は。
頭を押し下げられ、飛び上がって避けられた。
タックルしたあとは、そのまま床や鉄格子に叩きつけるつもりだった少年は、その勢いを利用され、自身が鉄格子に激突する羽目に。
なんとか気力だけで立ち上がったが、観客たちの殺せコールを受けて、攻勢に転じたダイスによって、守りすら無意味にするほどの速く重い打撃になす術なく、滅多打ちにされる。
そして、腹に一撃撃ち込まれて立てなくなったあと、後ろから首を絞められ、ゴキリッと大きな音が響いた。
脱力した少年は、もう動くことはなく。
勝者たるダイスは、片腕を上げて、勝利をアピールした。
「俺の…………勝ちだ!!」
ダイスの勝利宣言に、観客から歓声と拍手が贈られる。
仮面の男クラウンにより、戦闘の終了が宣言され、熱狂冷めやらぬ観客たちは、生々しい殺し合いを見た感想を口にしながら、その場を後にする。
観客が全部いなくなったのを確認してから檻が開けられ、ダイスもまたその場を後にする。
倒れたまま動かない少年を、一度振り返ってから。
※※※
サム少年は、病院のベッドで目を覚ました。
死んだと思い意識を失ったはずの自分は、あちこちが激しく痛むし包帯が巻かれているものの、生きてはいた。
首の骨を折られて死んだと思っていたにもかかわらず、今生きていることを、今際の際の夢のように感じていたが……。
ドアがノックされ、つい返事をしてしまうと、スーツ姿の男性が姿を現す。
……その、威風堂々たる風格の、男は……。
「やあ、サムくんだね。私は弁護士のジョンという。どうぞよろしく」
人差し指を口に当て、しゃべるなとジェスチャーしてから語りだすのは、地下闘技場の鉄の檻の中で戦った、あの男だった。
……他人の空似でなければ、だが。
「今回訪ねてきたのは、カジノで大勝した賞金の振り込み明細を持ってきたんだ」
サムは、こいつなに言ってんだ? と警戒を隠さないが、ジョンと名乗った男性は、意に介さず続けた。
「しかしねえ、カジノは未成年が入っていい場所ではないんだよ。ましてや、実際にプレイしてお金を得てしまうのは、本当はよろしくない。
その上、きみは、カジノで勝って気をよくしたことで、ビールやワインを飲んで、酔っぱらってケンカを吹っ掛けたそうだね」
バックから取り出したタブレット端末を操作して、防犯カメラの映像と称したものを見せてくる男性。
「……こちらの防犯カメラに映っているのが、きみだね? よく見ておくれ。
これが、カジノで勝つ様子。スロットに、ルーレット。ポーカーもだね。
それで、こっちが、バーでお酒を飲む様子。
最後にこれが、チンピラにケンカを売る様子だ。
……あーあー、酔ってふらふらじゃないか。ボコボコに殴られているよ。きみ、偶然通りかかった人が警察を呼ばなかったら、危なかったそうだよ?」
全く身に覚えのない映像を見せつけられ、その映像に映っている自身を見て、わけの分からない恐怖に震えるサム。
「今回は、年齢の証明を怠ったカジノ側の過失として、訴えないでほしい。代わりに、勝った分の賞金は上乗せして振り込む。それが、カジノ側からの話だよ。
……どうする? 年齢確認を怠ったカジノを訴える? そうすれば、賞金はパアだ。しかも、きみがカジノ側を騙したとして逆に訴えられるかもしれない。そんな面倒なことになるよりは、黙って口を閉ざして賞金をもらっておいた方がいいと私は思うよ」
そう言って、振込明細をサムに見せつける自称弁護士。
「そうすれば、きみのママの病気を治すための資金が得られるよ? 約束したんだろう? きみが、ママを守ると」
それは、サムの心を動かす、決定的な一言。
悪魔に魂を売り渡してでも。サムはそう決意して、非合法なバトルに参加した。
女手一つで自分を育ててくれたママを、今度は自分が守るんだと。
「……分かった。これ、もらっておく。それよりもさあ、この金、ママの治療費としてドクターに交渉してくれないか? オレみたいなガキが何を言っても、金を用意してから出直せと言われるんだ。なあ、頼むよ。あんた、弁護士なんだろう?」
すがり付く相手を間違っていると思わなくもなかったが、サムは、目の前の男の身分に賭ける他ないと頼み込む。
速くしないと、ママの命が危ないと。
「……それで、こちらが、きみのママの治療費だ。先ほどの賞金が振り込まれた口座から、引き落とされた明細になる。勝手にやったのは悪いとは思ったけれどね、急がないと、きみの言うとおり、ママの命が危ないからね。
……今日うかがったのは、きみのママの治療が開始されたことを確認するためだったんだよ。病院側は、既に動いている。任せてくれと言っていたよ」
「ほ、本当か!?」
「本当だとも。……ああ、そうそう。ママの入院していた病院、あそこには腕の良いドクターが少なくてね。ママが後回しにされそうだったから、別の病院に移って治療してもらっているよ。きみも、同じ病院に入院しているから、後でナースにでもママの様子を聞いてもるといい」
「あ、あ、ありがとうっ! ありがとうっ! ……うう、イテテ……」
ホッとしたことで、自分の痛みを思い出したか、急に痛みを訴え出すサムを、そっと寝かせてやるダイス。
「さあ、あとは病院側に任せて、まずは自分の体を治すことを優先しなさい。ママが元気になったときにきみがケガをしたままだと、ママが心配するだろう?」
「ああ、ありがとう。弁護士さん」
「では、私はこれで。お大事に」
※※※
弁護士を名乗った男は、病院の駐車場に待たせていた車の窓をノックして、ロックを外してもらい、車に乗り込む。
後部座席でシートベルトを絞めたあと、運転席に座る小男に、出してくれ、と告げる。
病院の敷地を抜け、公道を走る車の中で、運転手の小男……サブは、後部座席に座る自称弁護士の男……ダイスに声をかけた。
「旦那、今回はまた、ずいぶん張りきったみてぇですね?」
「うん? そうか?」
とぼけるダイスに、サブはため息を隠さない。
「そりゃあそうですよ。あっしもバトルの映像を見ていましたがね? 普段の半分も力を出していなかったでしょう?」
「そんなことはないさ。俺はいつでも全力で戦っているよ」
あくまでとぼけるダイスに、もう一度ため息を吐くサブ。
「不可解だったのは、ラストで首を絞めてへし折ったでしょう? なのに、小僧は生きてる。ありゃあ、いったいどんな手品なんです?」
「うん? ……たとえば、こう、だな」
ゴキリッ、と、あのときのような不吉な音が鳴る。
いきなり鳴った音に、ビクつくサブだったが、自分がその対象になったわけでもないとすぐに気付き、ホッとする。
「…………よくは、分からねぇですが、関節を鳴らしたとかそんな感じなんですかね?」
「まあ、そんなとこだ」
「………………まあ、旦那らしいっちゃあらしいですがねえ」
若干嫌味のこもったサブの言葉に、肩をすくめて見せるダイス。
ゲームの生還者は、少ない。
今のところ、『組織』の情報を漏らした様子は無いものの、いつ、彼らの口から『組織』の情報が漏れるか、小心者のサブは気が気じゃない。
とはいえ、 ゲームの生還者を無事日常に帰還させることも、『組織』が決めたこと。
その『組織』に所属する者からすれば、言われたことをこなしていればいいわけで。
不始末が起きて、そこから『組織』のことが明るみに出ないよう、気を引き締めるサブだった。
「さあ、俺たちも家に帰ろうぜ。愛すべき我が家へよ」
「旦那、今日は何を食べますかい?」
「そうだなあ……。今日は肉の気分だな」
「分かりやした。良い肉がありやすんで、期待していてくだせえ」
「お、そいつぁあ楽しみだ」
他愛ない話をしつつ、二人はまた、帰るべき場所へ帰っていく。
次の惨劇が始まる、その日まで。
しばしの休息を求めて。
このお話は、創作でフィクションです。
現実の個人・企業・団体などとは関係ありません。