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戦国物語 ~胡蝶の夢~  作者: 牛一(ドン)
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第7話 尾張の虎、織田信秀。

最近、私の大安売りだ。

私を嫁がせる事で斉藤家の危機を回避しようと躍起になっている。

でも、せめて面貌(めんぼう)が魅力的な人で、頼りがいがあり、私の意見も聞いてくれる殿様であった欲しいのよ。

贅沢と判っているわ。

でも、夢を見るくらいはいいでしょう。

筋肉モリモリの馬鹿は嫌よ。

公家かぶれの黒歯でニヤリと笑うと背筋がぞわぞわする。

公家様が嫌いって訳じゃないけど、ほほほっと笑いながら肩を近づけて、「大丈夫でおじゃりまする」とか言って、手を触られると最悪な感じがしない。

馬鹿は嫌い、公家かぶれなんてごめんなのよ。

若くって、かっこよくて、白馬に乗って登場する若様って最高じゃない。


「姫様。欲望が口から飛び出していやす」

「いいのよ。どうせ千早しかいないじゃない」

「聞き耳を立てている侍女には丸聞こえでやす」

「身元は父上が洗っています。下手なことはしないでしょう。どこに人質として出されるか判らないのよ。妄想に更けるくらいわいいでしょう。武家に娘だから諦めているけど。明日はどこに売られるか判らない我が身を憐れと思わない」

「姫様に憐れという文字が似合わないというか。人質として嫁いできた姫に家を乗っ取られる家が憐れの間違いじゃないですか?」

「そりゃ、乗っ取るとか出来るのが、一番だけどね。そんなに巧く行かないのが、世の中なのよ」

「姫様にしては弱気ですね」

「弱気じゃなく、現実を見据えているのよ。でも、機会が巡ってくれば、まだ大博打を打つわよ」

「もう二度とあっしは命を懸けたくございやせん」

「千早とは、一蓮托生よ」


千早が溜息を吐いたが、溜息を吐きたいのは私の方なのよ。

せめて自分で選べないかしら?


「姫様。殿がお呼びで御座います。『竹の間』にお越し下さいとの事です」

「判りました。すぐに準備を致します」


何かあった?

目で千早に聞いたが、千早が首を横に振った。

竹の間は来客用の部屋だけれども、どこの客だろうか?

私は侍女の小雪らに命じて、軽装から来客を迎える衣服に着替える。

着替えが終わると侍女を引き連れて移動する。

奥から大殿に渡ると騒がしさが増した。

私は竹の間に入ると思わず、息を呑んだ。


稲葉(いなば)-良通(よしみち)殿、明智(あけち)-光安(みつやす)叔父上らの重鎮がズラリと並んでいた。

一体、誰と会見するつもりなの?

正式な会見ならば、山城の大広間で執り行う。

だから、私が頼純(よりずみ)様に嫁げと命じられた時も山城だった。

非公式の会見で重鎮が呼ばれている。


「帰蝶。ここに座れ」


父上の左手が床に叩き、その先の円座が敷かれていた。

私は中央を歩き抜け、光安(みつやす)叔父上の前を通って円座に座った。

父上の後ろに小姓が太刀と槍を持って座り、重鎮の後ろで若侍が控えている。

その中に従兄弟の光秀(みつひで)を見つけて目を細めた。

近江の六角家に行っていた?

戻ってきたなんて聞いていないよ。

後ろで侍女の衣装を身に纏った千早を睨むと、バツが悪いいのか顔を背けた。

情報を共有できるとか、隙を見せるから騙されるのよ。

どうやら私への情報を遮断されていたみたいね。

何の目的?

父上がする事だから何か意味があるのだろう。

でも、光秀がいるのに高政(たかまさ)兄様はいない。

高政兄様は、「女だてらに刀を持つな」と怒鳴ってくるので、私が呼ばれただけでも騒ぎそうだ。

その点、光秀は何も文句も言わない。

刀の練習相手にもなってくれた。

多くの軍記物や医術書など読んでおり、話していて飽きる事もない。

元服すると挨拶をするだけになり、ゆっくりと話す機会が無くなってしまったのが、残念だった。

若くて顔もよく、旦那様として最高だけど、明智一門というだけで城主ですらない。

身分が低過ぎる。

明智家の家督と継ぐ事になれば、候補くらいには上がるのだろうけど、美濃斉藤家の状況を見れば、その目すらない。

座ってからしばらく待たされ、そんなどうでもいい事を考えた。


正面の扉が再び開き、お目当ての来客が入って来た。

見覚えのある顔であった。

町で見掛けた平手(ひらて)-政秀(まさひで)だ。

尾張の虎と呼ばれる織田(おだ)-信秀(のぶひで)の知恵袋と呼ばれる片腕だ。

私は先日の戦で織田家に興味を持った。

色々な人に聞いてみたが、尾張の虎をよく知る取次役の堀田(ほった)-道空(どうくう)の話は面白かった。

道空はこんな風に語った。


「織田家は越前の織田神社の神官でありましたが、斯波様に見出されて仕官して尾張で守護代と又代を勤めました。しかし、応仁の乱のおりに主家の斯波様が二人に割れ、東軍、西軍のそれぞれが守護と守護代を任じて争いました」

「公方様も二つに割れたのですから仕方ないわね」

織田(おだ)-信秀(のぶひで)弾正忠(だんじょうのちゅう)家は、下尾張の清洲を拠点とする守護代 織田大和守家の三奉行の一人でしかありません。しかし、信秀の父であった信定(のぶさだ)は津島を手中に収めると、織田家で首一ツ抜け出しました」

「津島というのは津島神社の事ですか」

「その津島でございます」


尾張の津島神社が開催する津島天王祭では、屋台船の上に五百個以上の提灯を掲げて浮かべるそうだ。

一度、見に行きたいと思っていた。

木曽川、長良川、揖斐川が合流し、海にも近く、鎌倉街道の伊勢桑名へと続く津島湊は大いに繁盛していると聞く。

その財力を背景にして、織田(おだ)弾正忠(だんじょうのちゅう)家の信秀(のぶひで)は前守護代の織田(おだ)-達勝(たつかつ)を下し、養子の信友(のぶとも)を入れさせて尾張の支配者となった。

信秀は奉行に過ぎないが、守護代の織田大和守家の首をすげ替えて尾張の支配者となった訳だ。

しかし、これは家臣過ぎが主の地位を奪う下剋上ではない。

同族による争いであり、どちらも尾張守護の斯波(しば )-義統(よしむね)を主としている。

私の弟である孫四郎が守護代になって、姓を明智か、土岐に変えれば、美濃源氏が守護代職を取り戻したと言われて、下剋上の覇者と言われずに済んだかも知れない。

そんなモノだ。

尾張の虎の話で、一番面白かったのが那古野城取りだ。


「信秀殿は京より公家の飛鳥井(あすかい)-雅綱(まさつな)卿を招いて蹴鞠を伝授して貰ったそうです。他にも山科(やましな) -言継(ときつぐ)卿を招いて和歌などを嗜んでおりました」

「そこは父上と似ておりませんね」

「殿も決して軽視されている訳ではございません。公家出身の平井(ひらい) -信正(のぶまさ)を軍術奉行に任じて、和歌や連歌、蹴鞠などを奨励しております」

「父上が蹴鞠をしている所など見た事がございません」


私の反論に道空が汗を拭くのが面白かった。

父上も和歌や連歌、蹴鞠などを軽視していないが、父上が好きかと言えば、そうではない。

和歌や連歌、蹴鞠などが役に立つとは思えないからだ。

しかし、信秀はこれを役立てた。


「信秀殿は雅な今川(いまがわ)-氏豊(うじとよ)殿と懇意にされておりました。氏豊殿は九代目当主の今川氏親殿の傍系の今川一門らしく、教養が深い方であり、那古野城を任されておりました」

「那古野城は織田の城ですね」

「はい。今は織田家の城ですが、以前は今川の城でした。信秀殿は和歌や長歌などで親しくなり、腹痛を起こして那古野城に避難する振りをして兵を引き込んで那古野城を奪ってみせたのです」

「和歌や蹴鞠で城を取ったのですか?」

「和歌や蹴鞠も馬鹿に出来ません」


父上とはまた一風違った軍略家と思え、私は信秀殿に会ってみたいと思ってしまった。

しかし、土岐頼芸様がそんな織田信秀を頼って美濃奪還を企み、斉藤家と織田家は反目している。

一度目の戦は引き分けだったが、西美濃の牛屋城を奪われ、土岐頼芸様が美濃に返り咲いたので信秀殿の勝利と言える。

二度目の戦は父上が撃退して牛屋城を取り戻したので父上の勝利だが、それでも土岐頼芸様は美濃で美濃守護に返り咲いたので、織田家の辛勝といった所だ。

私の目の前にいる政秀は、その信秀の智恵袋であり、信秀は平手政秀を『我が張良』と褒め讃えいる。


「此度は会談に応じて頂き、ありがとうございます」

「最初に申しておく。先日、道空を通じて申した通り、儂は織田家と手を結ぶ気などないぞ。それをはっきりという為に応じたまでだ」

「それでも感謝致します。しかし、此の儘、織田家と戦を続けても斉藤家に利する事はございますまい。四方を敵に囲まれていては斉藤家もお辛いでしょう」

「ふん。今川家と対峙して風前の灯火の織田家に言われたくない」


父上と政秀が言葉で軽く殴り合う。

斉藤正義義兄上を失って、我が斉藤家は近衛家から絶縁状(ぜつえんじょう)を叩き付けられ、近衛家を通じて公方様に働き掛ける事も出来なくなった。

京が落ち着かないので六角家や朝倉家も美濃に構って居られないだけであり、京が落ち着けば、斉藤家は絶体絶命なのだ。


「もちろん、山城様(斉藤利政)がお強いのは承知しております。死んでいた尾張守護代を唆し、見事に寝返らせた手腕はお見事できた。寝返った織田大和守家は守護様を人質に取って厄介な存在となりました。守護様を人質に取るなど、誰の入れ知恵か、我が方も完全に見落としておりました」

「尾張守護など、切り捨てて仕舞えば、どうという事もなかろう」


ニヤリと父上が悪い顔をする。

美濃守護を追い出した父上から見れば、守護など邪魔者でしない。

しかし、織田家は朝廷や幕府に多額の献金をして、尾張奉行なのに守護代並に扱って貰っており、信秀殿は三河に介入する口実として朝廷から三河守という官職を得ている。

三河守は朝廷が認める三河の支配者という証だが、朝廷は信秀が三河を征しても構わないというお墨付きを与えた。

朝廷や幕府を利用する織田家が尾張守護を切れない事を承知で、父上は嫌がらせのように政秀を責めた。


「織田弾正忠家は守護をお守りする家でございます。それは出来ません」


政秀がはっきりと言い返す。

その目は真っ直ぐに父上を睨み、そこには僅かな怒りの色が見える。

父上が何をやったのか判った気がした。

父上があぐらを汲み直し、膝に腕を乗せ、そっぽを向いて独り言のように呟いた。


「儂は巧く事が運んだと思った。三河岡崎の小倅を唆し、尾張守護代と時を同じくして反抗させた。織田家は美濃、清洲、岡崎の三方から攻めた。儂の思惑はすべて巧く運び、織田家は終わったと思った。思ったのだが・・・・・・・・・・・・」

「その程度で織田家は終りませんぞ」

「しぶといのぉ」


織田家は『加納口の戦い』で大敗北を喫して、木曽川が赤く染まるほどの犠牲者を出した。

出陣している隙に居城の古渡城を焼かれて失った。

だが、すぐに兵を集め直して清洲を攻めて、逆撃の一撃を当て、三河の援軍に向かうと岡崎城を落とした。

今川方の岡崎を落としたから、面目を失った今川が逆襲してきた訳だ。

あの『小豆坂の戦い』で互角以上に戦っていれば、織田家は立ち直ったかもしれない。

しかし、負けてしまった。

美濃斉藤家も苦しいが、尾張織田家も苦しい。

そういう事だ。


少し整理してみよう。

私が人質として大桑城の頼純様に嫁いで時間を稼いでいる間に、父上は尾張守護代の織田-信友を唆して、美濃に出陣している隙に古渡城を襲わせる計画を立てた。

同時に、岡崎の松平-広忠も唆して、西三河の織田家の拠点である安祥城を襲わせた。

美濃で信秀が大敗して、古渡城と安祥城は援軍もなく、本隊の大敗北を聞きつけて落城する予定だった。

もし、信秀が生き延びても没落する。

父上は織田勢が尾張・三河で忙しくしている間に西美濃の牛屋城を奪還し、西美濃を平定した。

それが父上の戦略は完璧だったが、信秀は尾張・三河の城を奪われずに、逆に西三河の要であった岡崎を取って西三河の攻略に成功し、面目を保った。

清洲勢はだらしない。

結局、反撃も出来ずに手も足も出ず、清洲で籠城して耐えた。

安祥城が攻められていると聞くと、すぐに西三河に兵を向け、撤退した岡崎松平勢を攻めて岡崎城を陥落させた信秀の素早さを賞賛するべきかもしれない。

信秀は美濃の大敗から一ヶ月もせずに西三河を掌握した。

あり得ないしぶとさだ。

西三河を失った今川が怒って今回の侵攻となり、織田家はその戦で敗北して、西三河は元の状態に戻された。


美濃で失った兵の数は一千人や二千人ではない。

多くの織田家の武将も討ち取られて、その首を上げた美濃の武将らが褒美を貰っていた。

論功行賞を私も聞いていた。

織田家の被害は普通ではない数の武将と兵を失った。

そんな状況で援軍を出して岡崎の城を落として、西三河を掌握した?

ヤル事が異常過ぎる家だ。

父上がそんな大敗北を喫すれば、半年以上も復帰戦など行えない。

そもそも兵が集まらない。

織田家は普通ではない家なのが良く判った。

父上と政秀の睨み会いは続く。

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