第3話 斉藤正義の離反。
私は姫らしく屋敷で本を読んで過ごす事とした。
人の噂も七十五日。
三月ほどは大人しくしようと心に決めた。
御用商人が差し入れてくれた『土佐日記』の写本を開いて読んでいた。
ばたばたと廊下が騒がしい。
その内にズドンズドンという足音が近付いて来て、障子がバタンと大きな音を立てて開かれ、豹のようなぐりぐりした眼と燕のような頷に虎の頸をもち、そこに無精髭を生やしていた大男が突然に入ってきた。
千早が備えを見せた所で、私は慌てて千早の方に手を開いて制止した。
相変わらず、無頓着な方だ。
「帰蝶。心配しておったぞ」
「これは、これは、正義卿。この度は大納言へのご就任。おめでとうございます」
「堅苦しい呼び名な止せ。義兄上でよい。それに大納言と言っても権大納言だ。目出度さも半分だ」
「そうでございますか。義兄上、お久しぶりで御座います」
「久しいな」
正義は私の前にドカッと座り、しばらく考えると私の頭に手を置いて撫でた。
もしかすると、私になんと声を掛ければ良いのか判らず、不器用な義兄上なりの気遣いで慰めているつもりなのかもしれない。
でも、裳着を済ませた女性の頭を撫でるのはどうなのだろうか?
「京は如何でしたか」
「荒れておった。細川の旗と供に三好の旗が目に付いた」
「三好でございますか」
「三好の棟梁である範長(翌年の天文17年から長慶に改名)は畿内随一の武将と褒め讃えられておった」
「畿内随一ですか」
「心配するな。いずれは儂がそうなって見せよう」
「期待しております」(心配なんてしていないわ)
「任せろ。儂が三国一の花婿を見つけてやる」
範長 (長慶)の名を上げた時は眉をピクリと動かして、自分で褒めながら顔が歪ませ、負けん気を出して自分が畿内一になると豪語する。
確かに美濃随一の猛将を自称する義兄上にとって、畿内随一と褒め讃えられるのが自分でないのが悔しいのだろう。
小さい頃から気に掛けて貰い、そんなに嫌いではないが、公家の出自である為か、自尊心が強く、相手を侮り、高飛車に命令する。
先の戦が終わると、美濃と京を何度も往復していたそうだ。
「土岐-頼芸の守護復帰が認められた。後は銭を斉藤家が出せば、守護に返り咲く」
「頼芸様との和解が巧く進んでようございました」
「頼芸もこれで大人しくなろう。これで親父の斉藤家も安泰だ。まぁ、親父が死んでも俺が何とかしてやるから問題はないがな」
「何もかも義兄上の働きのお陰です」
「褒めるな。大した事はしておらん、ははは」
正義は気分良く話して帰って行った。
私は溜息を吐くと白湯を所望し、小雪が小走りに出て行った。
千早が怪訝そうな顔をしている。
「何か気に入りませんでしたか?」
「姫様を敬う気持ちがまったくありやせん。姫様にベタベタと触り、何様のつもりですか。守護様を呼び捨て、殿の事を親父と呼んで、死んだら跡を継ぐ気でいやがります」
「正義義兄上は昔からあのような感じです」
「不遜過ぎませんか」
「実父が前関白の近衛-稙家様ですから仕方ありません」
「か、関白様ですか?」
「しかも頼芸様は従五位下美濃守で、正義義兄上は正三位権大納言。官位では上に当たります。父上に至っては五位以下ですから話になりません」
正義は稙家の庶子に産まれて比叡山横川恵心院に出家させられた。
だが、正義は武芸を好み、家臣の瀬田左京の姉が父上の愛妾となっていた縁で斉藤家に仕官してきた。そして、父上は近衛家との縁を結ぶために正義を養子にした。
将軍様の正室も稙家様の娘だったりする。
京への取次は朝廷と幕府のどちらにも顔が利くので、それが正義の役目となっている。
「そんな大層な奴でしたか」
「美濃では猛将と名高いと自称しているけれど、聞いた事はないかしら?」
「聞いた事はござやせん。立ち振る舞いも大した事もありやせんでした」
やはり千早から見ても十人並らしい。
武芸好きの猪突猛進な性格で多くの首を上げて手柄を立てているが、首と同じ数の失敗も多い。
将軍様と前関白に顔に利く正義を失う訳にいかないと家臣らが必死に体を張って頑張っていると聞いていた。
最前線で正義を守る家臣らは大変だ。
「なるほど、実力もないのに天下無双を真似て突撃を繰り返す馬鹿ですか。姫様と似ているから手が付けられません」
「私のどこが似ているのよ」
「先日も護衛を外して大立ち回りをされたではありやせんか。無謀過ぎやす。姫様が殺されれば、あっしらは任務失敗と誹りを受けます。さらにあの場から無事に逃げることも怪しい。あんな無茶をされては命が幾つあっても足りやせん」
「あ、あんな無茶は何度もしないわよ」
正義と同じと言われて私は頬を膨らませた。
小雪が白湯を持って来たので、それを呑んで気を落ち着かせる。お忍びで町に出る時も護衛が少ないと千早がボヤいていたわね。
父上に頼んで護衛を増やして貰おう。
もう、無謀なんて言わせないわ。
◇◇◇
一月ほど過ぎた。
年が明けて城の中が妙に騒がしい。昨日までの正月の浮かれた空気とは違って、何かピリピリとした雰囲気が漂ってくる。
確かめに出させた千早が戻って来た。
「何があったか、判りましたか?」
「先日、姫様に会いに来たあの大猿が頼芸に寝返ったという噂です」
「はぁ、何かの間違いではないのですか?」
正義は頼芸様に頭を下げない武将として有名だった。
そんな礼儀を知らない正義を頼芸様は毛嫌いしており、寝返る可能性など考えたこともない。
「殿は元々頼芸に仕えていたと聞きましたが、どうしていがみ合っているんですか?」
「昔、頼純様の父が守護だったというのを聞いていて」
「はい。親子、兄弟で美濃守護を争っていたんですよね」
「私の父上は頼芸様に仕え、守護代だった斉藤家を潰し、主家だった小守護代だった長井-長弘も病死した。小守護代の長井家の筆頭家老となっていた父上は、守護様から守護代にして頂いた。父上が受けた恩は返せないほど大きいのです」
「ですが、殿は頼芸様を美濃から追放しやした」
「父上が守護代となり、守護頼芸様より力を付けてしまったことに腹を立ててしまった。様々な嫌がらせをするようになり、その嫌がらせの先鋒だった土岐-頼満様を呼び出して警告した」
「頼満様とは、どなたですか?」
「頼芸様の弟です。父上の家臣の領地を襲って嫌がらせてしたのよ。そして、呼び付けた日の夜に容態を悪くして亡くなった。皆は父上が毒殺した触れ回り、父上と頼芸様の関係は潰れました。後は対決しかなかったと聞いています」
「なるほど。殿と頼芸を対立させる為に頼満を殺した奴がいるんですね」
「おそらく、そうだと思いますが、詳しくは判りません」
私は父上の言葉をなぞらえたが、実際は判らない。
頼芸様は美濃を統治する力量がないのに、守護である事を強調して政に口を挟む。否、口を挟む事が問題ではなく、身贔屓が酷く、身内や直臣に有利な裁決を下すのが問題なのだ。
不平・不満を持つ者が後を絶たず、領地を奪われた者が野盗と化して美濃が平穏にならない。
それが目に余ると父上が注意すると、今度は父上と敵対しするようになった。
もう引き返せない所まで来てしまったのかも知れない。
私ならどうする?
謀反や主殺しは大罪であり、家臣らが付いて来なくなる。
だから、主人である頼芸様に手が出せない。
手が出せない以上、逆に頼芸様に決起して貰い、その返す刀で美濃を追放した。
そうとも考えられる。
父上は仕方なく追放したなば、父上を責める者は減る。
う~~~~~ん、考えたくないけど、父上ならヤリそうだ。
考えるのを止めよう。
「それより、正義義兄上が頼芸様に寝返ったなどという噂が流れているのですか?」
「先日。頼芸に守護復帰の内定を報告に行きやがった時に、頼芸が上座を大猿に譲り、頭を下げたらしいです。正月参賀にも呼ばれ、皆の前で上座に座らせて褒め讃えた。気を良くた大猿が頼芸に何かあった時は駆け付けると豪語したそうです」
「し、してヤラれた」
「しかも・・・・・・・・・・・・」
自尊心が強い正義は気分を良くし、頼芸様は自らの困窮を訴えて味方すると言わせた。
宴の席で豪語した正義に畳み掛けるように、元々、自分の領地だったが横領されて困っていると啜り泣いた。
ならばと、正義はその土地に殴り込んで頼芸様に返した。
その領主が父上にも頼芸様にも付かず、日和見していた300石の小さな領主だったのが味噌だ。
父上を支持する領主なら、正義もそんな横暴はしなかった。
父上の領地ならば、「300石位ならくれてやる」と父上も言うだろう。
だが、日和見の領主だったから父上に相談する必要もない。
正義は手勢を連れて奪い返して、頼芸様に『感謝しろ』と恵んだ。
正義らしい豪胆さだ。
だが、周りの見る目は父上から頼芸様に寝返ったと写ってしまう。
「その他に稲葉-良通が呼び出され、高政殿を養子に迎え、跡目にしようと思うがどう思うかと聞かれたとか」
「兄を養子に迎えるですって?」
確かに兄の高政を頼芸様のご落胤と称して、頼芸様を尾張に追放した後に、守護を自称させたのは父上だ。
母の深芳野殿は頼芸様の愛妾の一人であり、父上に下げ渡された。
だが、兄上様が頼芸様の子など誰も信じていない。
誰も信じていないが大義名分は必要であり、代わりの守護を兄上とした。
ご落胤など、取って付けた嘘だ。
嘘でも守護として担いだ。
今回、それを逆手に取って絡み手を入れてきた。
正義が離反し、兄上がどちらに付くか判らない。
問題は兄上を支持する美濃三人衆の稲葉-良通、安藤-守就、氏家-直元の動向が不透明になったことだ。
裏切らないと思うが、大国の六角家が重い腰を上げたとなると、状況が微妙になってくる。
このままでは斉藤家が二つに割れる。
中美濃の頼純派の切り崩しをしている場合じゃない。
大変じゃない。
「あの大猿が寝返るのが大事ですか?」
「西美濃に次ぎ、中美濃が荒れるからです」
「姫様。何故、中美濃が荒れるのですか?」
「正義兄上の烏峰城城は可児郡あります。中美濃の明智庄の隣です。しかも正義兄上はその周辺に多くの与力を多く抱えているのです」
「なるほど。大猿が敵に回ると姫様の実家とぶつかりやすか」
「父上の有利は動きませんが、中美濃から送れる兵の数が減ってしまいます。すると味方が減り、父上が負けるのではないかという懸念が広がり、織田と六角の援軍によっては形勢がひっくり返る事になるのです」
「そりゃ、大変ですね。城内が慌てる訳ですぜ」
「そうよ・・・・・・・・・・・・?」
「どうかしました」
「それにしても随分と多くの情報を仕入れてきましたね」
「はい、城の忍びと情報を交換しやした。最近、殿は姫様の動向が気になるようで、姫様の動向と交換なら何でもしゃべってくれます」
「それで大丈夫なの?」
「互いに利用しあうのは世の常です。殺し合う相手でも必要ならば情報を交換しますぜ」
「殺し合う中でもですか?」
「騙し合い、利用しあう。裏切った奴は殺すだけ、それが出来ないなら忍びなどやってられません」
節操がないと言うか、世知が無い世の中だ。
でも、利用はしあえるのか。
おぉ、よい事を思い付いた。
「千早。正義義兄上の領地に行って家臣や領民の動向を探って来なさい」
「あっしは姫様の護衛がありやす」
「城の警備の者を利用出来るのよね。鍛錬の時以外は寝そべっているだけでしょう。暇でしょう。仕事を上げるわ」
「彼奴らは城を守っているだけで、姫様を守る気はありやせん」
「なら、城を出なければ、守ってくるのね」
「・・・・・・・・・・・・」
千早の言葉が詰まった。
正解のようだ。
嫌がる千早を説得するには、もう少し押さなければならないらしい。
私は目をウルウルさせて懇願する。
「千早、後生です。正義義兄上が頼芸派と思われぬ為には、父上も動く必要があります。その最有力の手立てが私を嫁にやる事です。正義義兄上は嫌いではありませんが、お年も召されておりますし、何よりも正室がおります。その正室を離縁するか、側室に下げて、輿入れするなど体裁が悪いのです。駄目ですか?」
「大猿がそんな年寄りとは見えませんでしたが?」
「御年33歳です」
「男勝りの年でございますね。年配者が小娘を嫁にするなど良くあることです」
そ、その通りだ。
30代の男勝りに10代前半の小娘が嫁ぐのは珍しくない。
むしろ多い。
20代は役目もなく冷や飯を食う者が多く、一兵卒では手柄を奪われる。そして、20代前半を生き残って足軽頭まで出世すると手柄も立てやすい。
20代後半から30代前半で大手柄を上げ、侍に召し抱えられてから妻を取る。
一方、女の子は10代前半で裳着を済ませる。
20歳になっても未婚だと、何か欠陥があるのではと悪い噂が立つ。
10代で結婚するが普通だ。
名家のお坊ちゃまでなければ、男は30代が年頃となる。
これでは千早が納得しない。
「でも、それより酷い相手に嫁がされるかもしれないのよ」
「誰ですか?」
「私の兄の高政兄様よ」
「兄妹で結婚など先ずありやせん」
「頼芸様の養子となれば、実の子と認めたと同じよ。つまり、私と兄様は血が繋がっていないことにされる。次期守護に斉藤家から姫を送るのは当然となるわ」
「そうなりますか」
「でも、兄様だけは駄目。父上の威光は届かない上に、姫は奥で大人しくしておれば良いと、いつも口うるさく文句を言ってくるのよ。あぁ~困ったわ。奥に閉じ込められた姫に忍びの護衛など不要。兄様なら千早らを解雇するでしょうね」
「困りやす。まだ一年も仕えていないのに解雇されては、あっしらがヘマをしたように思われてしまいやす」
「私も千早と別れたくないのよ」
「姫様。何とかなりませんか?」
「正義義兄上が家臣や領民を掌握出来ていないなら、頼芸様に付くと言っても家臣らが止めてくれる。掌握出来ているかが鍵なのよ」
「判りやした」
「調べて来てくれる」
「仕方ありやせん。調べて来ましょう。ですが、屋敷が絶対に出ないで下さい」
「約束するわ」
私の手駒が千早ら二人というのが心許ない。
無いモノはどうにもならない。無いモノはないと諦めよう。
千早が単純で良かった。
因みに、高政兄様に嫁ぐ事はない絶対にない。
高政兄様が絶対に私を欲しがらないし、頼芸様の実子という意味合いを強める為に頼芸様の娘か妹かを貰う。
そもそも北近江の国人浅井-久政の妹を妻に貰い、嫡男の喜太郎(斎藤 -龍興)が誕生したばかりだ。
ここで隣国の浅井家と揉める事もない。
喜太郎ちゃんの嫁を土岐家から貰うのが先だろうな~。
さて、果報は寝て待て、私は屋敷から出られない。
千早の報告を待ってから次の一手を考えよう。
一休み、一休み、チーン。