第10話 相羽攻め。 (光秀視点)
私は帰蝶様に懸想している。
瞳は菖蒲ですべての真実を見渡し、肌は雪のように白く、髪は烏の濡羽色ように深い艶のある黒が光に照らされて光っている。
帰蝶様が笑うだけで私の心は満たされる。
織田のうつけ猿などには勿体ない。
阻止できるモノなら今すぐにでも尾張を攻めて滅ぼしたい。
コレ程、自分の無力を呪った事はない。
近江から帰ってくると突然の会談に参加させられ、そこで帰蝶様が織田家に嫁ぐ事が決まった。
会談が終わると、私は光安様に残るように言われていた。
皆が去り、大殿と光安様が残った。
私は光安様の側に腰掛け直した。
「喜べ。殿より勘解由左衛門(妻木-範煕)の娘である煕子との婚儀の許可を頂いた。妻木家がおぬしの後ろ盾となれば、明智家での発言力も増す」
「ありがとうございます」
「光秀。これからも高政を助けてやってくれ」
「畏まりました」
以前の会談で、大殿は私が帰蝶様に懸想していることを暴露した。
光安叔父上は焦って、断っていた婚儀を進めた。
母方の祖父は妻木家と仲が良く、度々のように私を連れて遊びに行った。
煕子殿とは幼なじみであり、嫌いではないが恋心など持っていない。
妻木家は東美濃の影響力があり、明智家の中で有力な与力だ。
妻木家が私の後ろ盾となれば、私の発言力も増す。
高政様の側用人から抜け出し、近い内に城主となって明智家家老の道が開かれた。
そして、高政様の側衆に格上げされる。
大殿から相羽城を攻めるつもりだから準備をせよと命じられた。
織田家から正式な回答を待って、相羽城の鷹司-某の討伐が発令され、私は軍監の一人に命じられた。
そこから本格的な準備が始まり、ここに至った。
高政様は大軍監を差し置いて私を名指しした。
「光秀。相羽城の攻略を説明せよ」
「承知致しました。東より高政様の本隊三千人が押し寄せ、南から稲葉-良通様が率いる稲葉勢二千人で挟撃致します」
相羽城は揖斐川に流れ込む根尾川と三水川の間に広がる平城であるが、この両川の為に大軍で攻め難い。
敵を威嚇する為に町などに火を放つ事もあるが、この後、饗庭-国信が統治するので、放火や乱取りは最小に留める。
殿は大桑城の頼芸様を牽制する為に稲葉山城から兵八千人を引き連れて長良川を渡河し、頼芸派の鷺山城付近で陣を置いた。
大桑城に戻った頼芸様が討って出てくるなら受けて立つという威嚇であり、織田家との密約もあり、頼芸様との決戦を避ける為に苦心している。
私は集まった武将らに向けて声を上げた。
「頼芸様は我らの守護でございますが、政には興味がなく、只、権威を欲しがる子供のような者です。その様な者に美濃を託せますか。否、託せる訳もございません。我が殿、利政様は美濃の衆を思われて立ち上がりました。各々方、この美濃を良くする為にお力をお貸し下され」
「山城殿に合力致そう」
「我も力をお貸しするぞ」
負けずに「我も」、「我も」と声を上げる。
戦では勢いが重要であり、士気を上げる為の猿芝居も辞さない。
殿から教わって教えの一つだ。
物事は欲が先立ち、大義名分が次に必要となり、最後に道理を持って正さねば巧く事が運ばない。
判っていても殿は生き延びる為に敢えて破ったツケが『美濃の蝮』などという異名となった。
強くなくては始まらないが、強さだけでは、国は治らない。
ここに集まった同志は、所詮、鷹司-某の持つ二万石を奪いに来た禿鷹のような者だ。
ここに大義名分と道理を通す事で美濃を底から固めてゆく。
「鷹司某は虚言を持って相羽城を手に入れた。これを許しておけば美濃は混乱し、我らは落ち着いて領地を治める事は出来ません。鷹司某を討つのは美濃の平穏を得る為であります。我が殿は鷹司某に降伏の使者を送り、相羽城の返還を求めました。しかし、鷹司某はそれを拒絶し、今も城に籠もっております。今後の見せしめとして根絶やしと致します」
うぉぉぉぉ、武士らが一斉に吠えた。
戦となると血が滾るのだろうか?
手柄を立てれば、領地が貰え、饗庭国信の与力となる事が約束されている。
しかも今回の戦では、一番多くの兵を出している明智家の者は手柄を立てても褒美が貰えない事が決まっており、他家も者が躍起になっていた。
相羽城に復帰する饗庭国信はまだ若く、旧臣の多くを失っている。
国信を支える為に明智家から重臣が送られており、その重臣らは国信の一万石からいくぶんかの領地が貰える。
さらに貰うのは貰い過ぎとなるからだ。
だが、領地経営の才と戦の才はまったく違う。
名目の為に出陣させているが、戦で手柄を垂れられる器ではなく、また、討死などされても困るので、秀満様の守りに回されている。
しかし、それでは明智家の士気が上がらない。
そこで光安叔父上の嫡男である秀満や斎藤-利三らの初陣を兼ねた。
これならば、若様らの初陣を敗戦に出来ないと、家臣一同も奮起する。
城攻めの総大将は高政様が取り仕切り、その近習である私が軍監を仰せつかった。
私の軍監の一人であり、上司に大軍監がいる。
南の二番隊は稲葉-良通が指揮を取っている。
相羽城は農兵を集めて八百人で籠城している所に援軍三百人が加わって、一千百人となっている。
大桑城の頼芸様が陣触れを出せば、五千人程度の兵は集まるだろうが、その場合は後詰めの殿が率いる八千人が動くので後背を気にする必要もない。
早朝から根尾川を渡河して相羽城に迫った。
頼芸様の援軍を期待しての籠城だろうが、その願いは叶わない。
『掛かれ』
高政様の号令で一斉に攻め掛かった。
鉄砲の音に足を止める兵もいたが、わずかな数で大軍を抑えるのは不可能だった。
川から水を引き込んで掘にしているが、板を並べて筏とすれば、四方から攻める事が出来る。
平城での籠城など無策と同じだ。
「光秀。見事だ」
「いいえ、向こうの知恵がないだけです」
「儂なら狭い隘路から攻めに拘ってしまって、もう少し時間が掛かりそうだ」
高政様は南北の狭い隘路から攻めるだと?
それでは時間が掛かる処か、今日中に終わらないだろう。
美濃は米が足りなければ、隣村を襲って奪えば良いと考える脳筋な武将が多い。
日照りなどになると、水の配分の交渉に行った家人を手に掛けて戦となる場合もよくある事であり、中々に争いが治らない。
戦好きが多いのも困りモノだ。
高政様はそんな美濃武将を体現したような大きな体を持つ武将であり、如何にも強そうなのだが、頭は良くない。
殿はそんな高政様を心配し、私や利三らが支える事に期待していた。
大殿が「帰蝶様が男であれば・・・・・・・・・・・・」と嘆く由縁だ。
帰蝶様は頭脳明晰であり、私が貸した『管子』も一日で読み解き、その感想を聞くと、美濃を憂う言葉がツラツラと連歌のように流れ、その言葉に感動して夜も更けるのも忘れて語り合い、気が付くと障子が明るくなる可惜夜を迎えていた。
同席していた秀満や利三などは途中で疲れて眠ってしまったというのに帰蝶様の目は真っ直ぐに私を見つめていた。
お転婆姫、暴れう馬と呼ばれる帰蝶様が『四書五経』(四書の『論語』『大学』『中庸』『孟子』、五経の『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』)や兵法書の『孫子』を読破している。
また、古典である『古事記』や『日本書紀』、『吾妻鏡』を好まれ、女性として『源氏物語』、『枕草子』、『大鏡』も嗜む才女なのだ。
しかも頼純様に嫁いだ先の大立ち回りを見ても判るように、勝負所を見逃さない天性の勘の良さと人一番の度胸を兼ね備えておられる。
大殿 (利政)が「帰蝶が男であったなら」と嘆くもの判る。
筏などを用意させて四方から攻める振りをして、敵が兵を散らばった所で大手門から本格的に攻め掛かる。
名将の稲葉-良通様がこちらに合わせて裏門に猛攻を掛けた。
長梯子で裏門の城壁に稲葉勢が取り憑くと、大手門が手薄となり、丸太が大手門を破壊すると、兵が雪崩れ込んだ。
後は勢い任せで本丸を各自が目指す。
私は負傷兵の多い隊を下がらせ、無傷の部隊を投入する。
見事な差配と、大軍監の遠藤-胤好殿からお褒めの言葉を頂いた。
因みに、胤好殿は出陣しそうになる高政様を、「家臣の手柄を奪うものではありません」と宥める役となっていた。
頼芸様も動くに動けず、城は一日で落城し、大殿へ寝返る頼芸派が続出したのは言うまでもない。