5話 お父さん、待って!
自分のお尻を拭くのも大変なぐらい大きなお腹を抱えて、
足も腰もビシビシ痛いのだけれど、
隆志もお母さんも一向に動く気配がないから、
あたしはお父さんを追って外に出た。
12月の風は身を切るような冷たさだ。
なのにお父さんは上着も着ないで飛び出した。
あんな事言われたら、いたたまれなくなるに決まっている。
なんて事言う家族やねん、まったく。
でも、今はあたしもその一員だから、見て見ぬふりはできない。
意気込みはどこへやら、5分も歩かないうちに後悔が襲ってきた。
これがドラマなら「ここにいると思った」とか言って、
すぐに巡り合えるものだけど、
土地勘のないあたしに、お父さんがどこにいったかなんて、
わかるはずもない。
慌ててたから携帯電話も置いてきてしまったし、
お財布も持っていない。
しかもあたしは、病的な方向音痴なのだ。
ここはどこやねん…
ほとほと疲れ果てた頃、公園をみつけた。
ちょっと一休みして、誰かに道を聞こうと、
あたしはベンチに近づいた。
隣のブランコが揺れている。
こんな時間に?もしや不審者が?
そんな、あたしは妊婦やで…見たらわかるやろうけど、
太ってるわけやないで。
って、お父さん?
あたしはゆっくり近づいた。
お父さんはブランコを揺らしながら、鼻歌を歌っている。
まるで黒沢明の映画やんかい。
少し戸惑ったけれど、声をかけることにした。
「お父さん」
あたしに気付いたお父さんは、
慌ててブランコを降りてまわりを見回した。
「美幸さんだけかいな」
「すみません」
「別に謝らんでもええけど」
あたしはお父さんに持ってきた上着を渡した。
お父さんはちょっと頭を下げて、上着を着た。
「あの…」
「なんや?」
「みんなビックリしてしもただけですから」
お父さんは苦笑いを浮かべて、あたしから目をそらした。
「せやろな。死んだと思ってた人間が帰ってきたんやからな」
お父さんが上目づかいでちらっとあたしを見た。
答えに窮したのと、軽いお腹の張りを感じて、
あたしはベンチに腰をおろした。
重みでベンチがギシギシいって、ちょっと恥ずかしかった。
お父さんもちょっと離れて腰をおろした。
「お父さんが亡くなったって聞いた時も、
おんなじリアクションやったんですよ」
お父さんは、黙ってうつむいている。
「駆け付けた時にはもう骨組だけを残した感じで焼けて
しもてたんです。お母さんと隆志さんは、その前で、
ワンワン泣きはりました。
ほんまに、子どもみたいに」
お父さんは、まだ顔を上げない。
「それからはもう、なにがなんやわからへんうちに、
お通夜もお葬式も終わって…」
「で、それから保険金で遊びまくったというわけやな」
お父さんは、大きくため息をついて両手で顔をごしごし擦った。
「お父さんも一緒やったんですよ」
「えっ?」
お父さんがあたしを見た。
「南国の海も一緒に見ました。リムジンにも一緒に乗りました。
美味しいご飯も一緒に食べました。お父さんの席も用意して、
テーブルチャージも払ったんです」
本当にお母さんは、あのケチで大雑把なお母さんが、
お父さんの遺影を片時も離さなかったのだ。
「お父さんは贅沢したことない人やったからって、
お母さん、思いつくままの贅沢を」
お父さんが、あたしの言葉を遮る。
「そんな事、頼んでない」
お父さんは立ち上がり、歩き出した。
「お父さん!」
あたしは慌てて呼び止めた。
「なんや?まだなんかあるんか」
「あの…」
お父さんが振り返った。悲しみと諦めの入り混じった老いた目が
あたしを見た。
「帰り道、教えてください」
ありがとうございました。






