2話 父、現る!
俺たちのマンションから実家までは、車だと15分程だ。
慣れ親しんだ町内の裏道を、すいすいと走りながら、
やっぱり同居した方が良かったのかなと考えた。
葬式の後、同居してもいいわよと美幸は言ってくれたが、
やんわりとかわした。
嫁姑問題の怖さは、ワイドショーでみのもんた氏に
ずいぶん教わったのだ。
間に挟まれる俺がたまったもんじゃない。
スープがちょっと冷めるぐらいの距離が
いいに決まっているのだと思ってはいたが、
お袋がもし呆けてしまっているのだとしたら、
このまま一人ってわけにもいかないのではないか。
住宅街の中の古い一軒家の前で、
ところどころ欠けたブロック塀沿いに駐車をしてエンジンを切った。
眠そうな顔でボーっとしている美幸をつついて、
車から降りる。
案の定、玄関は無施錠だった。
「お母ちゃん?ただいま」
わざと大きな声を出した。
「隆志!」ひっくり返った声と同時に
ドタドタドタと大きな音がして、お袋が走ってきた、
というより転がってきた。
美幸はまた噴き出し、慌てて口を押さえた。
お袋は二重あごをガクガクふるわせている。
「た、た、大変や、お、お、お」
言葉が出てこないものだから、足をじたばたする。
電池が切れかかったおもちゃのようだと、息子の俺でも思うのだから、
美幸が笑うのも無理はない。
とはいえ、笑っている場合じゃないのも現実だ。
「大丈夫か?熱でもあるんか?
どっか痛いとこあるか?」
「何言うてんねん、あんた!お、お父ちゃんがな」
お袋が俺の腕をぐいと掴んだ。
家の中はシーンとしていて、茶の間にだけ電気がついていた。
「疲れて夢でも見たんやて」
お袋に引っ張られるままにやってきた茶の間は、
いつもと同じ風景だった。
昭和ティストのそこは、中央に丸い卓袱台があり、
茶箪笥の隣には大きな仏壇が置かれている。
お袋が黙って茶の間に続いている和室を指差した。
その指の先に視線を向けた俺は、固まった。
薄暗い和室の押し入れの前あたりに、
ぼんやりと人影が浮かんでいる。
俺と美幸は手を取り合い、そろって息を飲んだ。
「えっ?な、なんや?」
必死で冷静を保とうとする俺の耳元で、
美幸が「見て来て」と囁く。
その声は震えてはいるがしっかり命令口調だ。
俺は仕方なく恐る恐る近づいた。
自分でも情けないぐらいへっぴり腰でだ。
「・・・あの・・どちらさんですか?」
何を言ってんだ?俺!
影がすくっと立ち上がった。
俺と美幸は同時に「ひっ」と声にならない声をあげて、
尻もちをついた。
腰が抜けた俺に、美幸の身体を気遣う余裕はなかった。
俺は情けない格好のまま動けなくなってしまった。
人影がゆっくりと茶の間に入ってきた。
見覚えのあるちょっとメタボなシルエット。
「お、お、お父・・ちゃ、ちゃん?」
俺はほとんど無意識のまま、仏壇の前に這っていき、
チン!と鳴らした。
なんまいだ、なんまいだ、なむあみだぶつ、なんまいだ…
ふと気付くと隣で美幸もわけのわからないお経を唱えている。
いきなり頭に衝撃が走った。
「阿呆!」
やっぱり聞き覚えのある声の主が、俺の頭をはたいたのだ。
恐る恐る見上げたその顔は、仏壇の写真と同じだった。
それから視線を下げて足を見てから、そっと触ってみた。
「足や…足ある」
ありがとうございました。