062.新月前夜~衝動とお姉ちゃんの優しさ~
いつもありがとうございます。
第三章の骨組みができました。
さぁ、次は誰編になるかな?(バレバレかもですが)
夜。
爪の先ほども残っていない、僅かな輪郭だけとなった2つの月が、空に高く登る頃。
「ハァ……ハァ……グッ……!?」
荒い息を吐きながらフラフラとした足取りで寮を抜け出した僕は、周囲の気配に気を配りながら1人になるために寮の近くにある丘を目指して進んでいた。
心臓は相変わらず全力疾走した後のようにドクドクと脈打ち、その脈に合わせて襲ってくる頭痛に顔をしかめた。
下腹部では真っ黒な熱がぐるぐると渦を巻いているかのようで、それはこれまでにない熱量が『溜まって』しまっていることを嫌でも僕に自覚させた。
いつもの丘に……人の気配はない。
僕は1本だけある木に背を預けズルズルと座り込むと、湯気が出そうなほど熱くなった吐息を冷たい春風に乗せた。
「危なかった……」
僕は誰も聞いていないことをいいことに、ポツリとそう呟く。
昼間、実技の授業の半分を見学して過ごした僕は、アイネさんやクロに勧められるままにそのままその後の授業を休み、寮の自室で寝て過ごした。
これまでにない様子の僕を心配してツバキさんが水で冷やした布を用意してくれたり……と世話をしてくれたのだが、今日の僕はそんなツバキさんが近くに来る度に身体の奥から突き上げるような衝動に耐えるのに必死だった。
まだ身体のほうはいつものままだというのに、ツバキさんの女性の部分に目がいってしまい……襲いかかってしまいそうだったのだ。
ツバキさんは、辛かったら自分を『使え』と言ってくれている。
でも僕は……旅の途中で起こってしまったそんな最低なことは、二度としたくなかった。
僕を慕ってくれているのは分かるけれども、だからといってその気持ちを利用して僕の一方的な衝動を吐き出す相手になんて、できるわけがない。
そんなことをしたらツバキさんの気持ちを踏みにじっているように思えるし、将来を誓ったばかりのアイネさんにも申し訳がない。
「はぁ……」
男だったのが女の体になり、新月になれば……なんて、こんなのは普通の人間じゃない。
髪を切っても翌朝には元の長さに戻ったり、細かいところで言えば爪だってこの2年間切ったことがない。どれだけ鍛えても、食べても、全く体型に変化もない。
僕は結局、この呪いのような身体のことを、未だに解明できていないのだ。
そしてそのまま、また月に一度の日を迎えようとしている……。
「……はぁ、いやだなぁ……」
僕は何度目になるかわからない溜息と陰鬱な弱音を漏らすと、そのまま空を見上げて消えかかっている月を憎らしげに見つめた。
女神様……僕はなぜ、貴女に選ばれたのでしょうか……。
なぜ、こんな身体になってしまったのでしょうか……。
なぜ、光の勇者が闇に染まるときなどがあるのでしょうか……。
「………」
心の中で問いを投げかけても、月が何か言ってくれるはずもなく……僕はそっと目を閉じた。
*****
「――ちゃん……ルナちゃんっ……」
「んっ……あれ……?」
身体を優しく揺さぶられる感覚と、不思議な森の香りが鼻をくすぐられ、僕は軽くうとうとしてしまっていたことに気づいた。
部屋で横になっていたけれども、ツバキさんが近くにいたので激しくなる熱の渦のせいで休めていなかったからかもしれない……なんて思っているうちに目の焦点が合うと、目の前には前屈みになって長い髪を耳にかけるような仕草をするマリアナさんの姿があった。
「グッ……」
前かがみになることで強調された、何よりも美味しそうな大きな2つの果実を目にして、また衝動がこみ上げてきた。
「ルナちゃん、こんなところで寝ていたらダメよ……? 昼間から体調が悪そうだったけれど、もっと悪くなってしまうわよ……?」
「そ、そうですね……っ……すみません」
心配そうに声をかけてくれたマリアナさんに返事を返しつつ、言うことを聞かずにピクリと動きそうになってしまった手を身体の後ろに隠して抓った。
お願いだから、僕が何かをしてしまう前に、大人しく帰ってくれないだろうか……。
自由にならなくなった手の代わりに、目が彼女の女性として魅力的過ぎる身体に惹きつけられ、舐めるように見てしまう……今度は目を閉じてそれをやり過ごした。
「……そういえば、ルナちゃんは女の子が好きなひとだったわね」
「えっ……?」
こんな時に何を……と思ったけれど、僕がなにか言う前にマリアナさんは僕のすぐ隣に腰掛けた。
「っ……」
彼女の女の子の香りと森の香りが強くなり、僕はまた吸い寄せられそうになる目線を外すために首ごと反対を向くしかなかった。
手の甲はそろそろ抓りすぎて赤くなっているかもしれない。
「ふふっ……ルナちゃん、目がちょっとえっちだったわよ? 私、昔からそういう視線にはちょっと敏感なの」
「っ!? ご、ごめんなさいっ……」
マリアナさんは優しく微笑んでいるようだけれど……胸が大きいのは大きいので、苦労もあったのだろう。
嫌な思いをさせてしまったかと思い、僕は思わず謝った。
「女の子が好きなのはわかったけれど……ダメよ? せっかく仲良くなったのに、そんなことじゃアイネちゃんに怒られちゃうわよ?」
「ぅっ……すみません……」
マリアナお姉ちゃんのその魅力的過ぎるお胸が悪いのです……なんてことは口が裂けても言えないけれど、女の子が好きで節操もない女の子……そんなふうに思われてしまったのだろうか。
「いいわよ。月のものが来ちゃって心が不安定な時に、そういう欲求が強くなってしまうことは誰にでもあることですもの」
「そうなのですか……?」
女の子歴が短い僕としては、こういうのは男ばかりだと思っていたのだけれど……それも僕が女性経験や女性と一緒に過ごした経験が少なすぎるから知らないだけなのだろうか。
「そうよ? ルナちゃんはそんな経験がなかったのかもしれないけれど……アイネちゃんと結ばれたからかしら? せっかく良い人ができたのだもの、アイネちゃんとは適度に、仲良くね?」
「は、はい……」
なんだか妹に恋人が出来て戸惑っているのを諭すお姉ちゃん……みたいな構図になってしまった。
まぁ、アイネさんにもそういう欲求があるのは既にわかっているけれど……それはともかく。
「……ぐっ、ハァ……ハァ……」
今は自分の衝動と戦うのがそろそろ限界になりつつある。
でも自分から動けばそのままマリアナさんに何かをしてしまいそうで……どうしようかと僕が考えていると、マリアナさんの腕が伸びてきて僕を横にさせた。膝枕だった。
「ま、マリアナさんっ……なにをっ……?」
柔らかいもの……マリアナさんの太ももが側頭部に感じられて、僕はまた衝動でうめいてしまいそうになるが……。
「ルナちゃん……大丈夫。大丈夫よ……落ち着いて、ね?」
「マリアナさん……」
しかし、マリアナさんがとても優しい声で……それこそ慈母のような優しさを含んだ声で『大丈夫』と言いながら僕の頭を撫でてくれたことで、不思議な安心感が胸に広がっていった。
荒かった呼吸も、少し落ち着いたように思える。
「……よかった、少しは楽になったかしら?」
「えぇ……すみません、気を使わせてしまって……」
「ふふっ、それなら良かったわ。それに気にしなくていいのよ? ルナちゃんには何かお礼をしないとって考えていたから……」
僕の顔を覗き込んだマリアナさんは、声の通り優しい微笑みを浮かべていた。
「お礼、ですか……?」
「ええ。校外実習で……助けてもらったお礼よ。あのとき、逃げる時にルナちゃんが私の手を掴んでくれなければ……きっと足が遅い私は取り残されて……ココちゃんと同じように死んでいたと思うの……」
それは……咄嗟のことだったし、僕としてはマリアナさんを見捨てて行くなんていう選択肢はなかったけれど……クラスメイトで友達の『ルナリア』としては、そういう行動をとってもおかしくはなかった……のかな?
「もしそんなことになっていたら、私の大切な『約束』を果たせなくなるところだったから……だから、助けてもらったお礼がしたかったの」
「それは……」
マリアさんが言う『約束』……それは、僕とまた会うということだろうか。
命を失うかもしれないという状況で、そのことを思い浮かべていたというのだろうか……。
撫でられる手から伝わる温もりに、チクリと心が痛む。
……もう何度目になるかわからない悩みだけれど、マリアナさんともちゃんと向き合うことを考えないといけない。
アイネさんとの関係が心地よくて幸せだからといって、他から目をそらして良いことにはならないのだから……。
「詳しいことはナイショよ? あ、これは以前にも言ったわね……ふふっ」
「ええ、まぁ……」
そう曖昧に返事をする僕に変わらず微笑みかけてくれるマリアナさんは、そのまま会話が途切れてもしばらく僕の頭を撫で続けてくれるのだった。
「……もう、大丈夫です」
そうして5分か、10分か、それともそれ以上か……マリアナさんの優しい手の温もりを感じていた僕だったが、そう言って自分から身体を起こした。
「あら、そう……? ……そうね、ルナちゃんがそう言うなら、良いということにしておくわ」
身体を起こした僕の目を覗き込むように真っ直ぐ見てきたマリアナさん。
ホントは今も衝動を我慢しているけれど、マリアナさんはそんな僕のことも見透かしているかのように優しく微笑み、立ち上がった。
「じゃあ、私はそろそろ戻るわね。ルナちゃんも、体調が悪いのは本当みたいだし、早くお部屋に戻らなきゃ『めっ』よ?」
「あはは……ありがとうございます」
「ふふっ。では、おやすみなさい。また明日」
そう言うと、マリアナさんは森の香りを残して寮へと帰っていった。
「……ええ、おやすみなさい」
僕はその背に返事を返し……しかし、『また明日』はないだろうなと、後ろめたい気持ちになった。
「グッ……ぅっ……うぐっ……」
マリアナさんの優しさのおかげで和らいでいた衝動が、これまでにない強さで脈打ち、僕は思わず胸を押さえた。
「……きた、かっ……ガッ……!?」
フラフラとする足で、寮の自室に急ぐ。
だれも……今回は誰も、部屋に入れないようにしなくては……。
星が輝いていた空はいつの間にか分厚い雲に覆われ始めていて、とうとう始まった僕の身体の変化のように、闇に閉ざされていくのだった。
お読みいただき、ありがとうございます。
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次回、「アノ日~月の不在と薔薇銀姫の憂鬱~」




