クロエ村
老人らを順番に背負い、五キロ近く歩いた俺は、クロエ村に到着した時にはもう、疲労困憊していた。
「久しく来ない内に、随分と廃れてしまったもんだ」
ライデンの言う通り、クロエ村に建つ家々は古く、屋根に乗っている藁もまばらで、雨風を何とか凌げればよい、といった感じに見える。
道を歩く村人達は年寄りばかりで、誰もかれも顔に覇気がなくて痩せ衰えている。牛や馬などの家畜も同じありさまだ。
「なぜ、若返りの水がある村なのに、ジジイとババアばっかりなんだ?」
ガガが、至極もっともな疑問を口にした。
「どうやら、あそこに答えがありそうだね」
エクレールが顎でしゃくった先には、さびれた村には不釣り合いな、まるでアラブの王様でも住んでいそうな宮殿が建っていた。
「何だ、あれは?」
ライデンが驚きの声を上げると、
「もしや、その声。ライデン様じゃありますまいか?」
杖を突いて歩いていた老人が、ライデンの方へ顔を向けて、その顔を綻ばせた。
「ん?」
ライデンは老人の方を向くと、一瞬思案顔を浮かべたけど、
「もしや、クーンツか?」と老人の方へ駆け寄り、肩に手を置いた。
「そうです。いやぁ、おひさしぶりです。ああ、ガガ様もエクレール様もお達者で」
クーンツは、歩み寄って来たガガとエクレールにも会釈をすると、
「どうして、この村へ?」
三人の顔を見回して、最後に俺の顔を見つめた。
「クーンツは世界一の大商人なんだ。短い間だったが、わたし達と一緒に旅をしたこともある」
昔を懐かしむ顔をして、俺にそう説明するライデンに、
「大商人なんて、そんな……。今じゃ、すっかり形無しです」
クーンツは弱り切った表情を浮かべ、
「それにしてもみなさん、お元気そうでなによりです。……もしや、またドラゴン退治に?」
「いかにも」
ライデンは胸を張って答える。
「そのために、若返りの水を飲みに来たんだ」
「若返りの水を、ですか……」
クーンツの声のトーンが低くなる。
「どうした?」
「実は、あの水はもう公共の物ではなくなってしまったのです」
「何だって!」
ライデンが、みんなの分もまとめて、素っ頓狂な声を上げて驚いた。
「あ、あの、どういうことですか?」
俺が訊くと、
「あの宮殿に住む主が、洞窟ごと若返りの泉を買い取ってしまったんです」
クーンツは、苦々しげな目で宮殿を見つめながら言った。
「一体、誰がそんなことを?」とライデン。
「薔薇の蕾です」
クーンツがそう言うと、老人たち三人は驚き入った表情で、彼の顔を見つめ返した。そして、その四人の老人たちの顔を順番に見回しながら、
「あ、あの、誰です、薔薇の蕾というのは?」俺は口を挟んだ。
「薔薇の蕾……伝説の女優の通り名だ」
ライデンは驚き入った表情を崩さず口にすると、
「まだ生きていたとは……」
信じられない、といった口調でガガが呟く。
「わたしらがまだ若かった頃、すでに伝説と呼ばれていたんだよ。まだ生きているなんて、驚きだね。もう200歳近いんじゃないのかい?」と、エクレール。
「現在、推定で206歳です」
クーンツがそう言うと、
「に、206歳!?」
俺は驚きの声を上げた。端的に言って、バケモノでしょ。
「そうです」
クーンツは頷き、
「彼女の姿を見たら、もっと驚きますよ」
「会えるのか?」とライデン。
「名の知れた方であれば。ライデン様たちであれば、絶対に会ってもらえる筈です」
「じゃあ、行こうか」
ライデンの提案に異を唱える者は誰もいなかった。
門扉の鉄格子の向こうに、アラブ様式の巨大な宮殿が見える。
「お金持ちなんですね」
俺が誰に言うともなく呟くと、
「夫と死別すること六回。みんな、資産家だったものですから」
クーンツはため息を吐き、
「少しでも村にその資産を回してくれれば、どんなに助かることか」と嘆いた。そこへ、
「何か御用で?」
守衛所から屈強な兵士が出て来て、鉄格子越しに凄みを利かせてきた。何か、デジャヴを感じる気もするけど。
「わたしはこの村に住む、クーンツという者でして」
クーンツは丁重に挨拶して、
「こちら、伝説の勇者ライデン様に、伝説の拳闘士ガガ様、そして伝説の魔法使いエクレール様」とライデン達を紹介する。
「まさか、本当に?」
兵士は訝しげな顔をしてライデン達を見つめ、
「失礼ですが、もう亡くなられているのかと。あなたたちの活躍は、学校の教科書で学びました」
兵士は少しだけ相好を崩したけど、
「そちらは?」と俺に厳しい視線を向けてきた。
「こちらは……」
クーンツが困った顔でライデンに助けを求めると、
「彼こそ、我々の後継者だよ」
ライデンは俺の肩に手を置き、兵士の前へ押しやった。
「後継者……」
どう見ても勇者には見えない俺の全身を舐めまわすように見つめ、兵士は疑わしげな表情を崩そうとしない。そりゃ、そうだよな。
「メアリーさんに会わせてもらえないか?」
俺を押し退けるようにして、ライデンは兵士の目の前に進み出て懇願した。
「伝説の勇者様の訪問であれば、恐らくは……少し待っていて下さい」と、兵士は守衛室へ引き返して行く。そしてすぐに戻って来て、
「ぜひ、会いたいと言っています」
そう言って、門扉を開いてくれた。
「すまんな」
ライデンを先頭に、俺たちは敷地内に足を踏み入れる。
玄関のドアが開くと、頭にターバンを巻いたアラブ人の男が俺たちを出迎えた。
「どうぞ」
口髭を生やしたその男は、微かに唇を動かしてそう言うと、俺たちを宮殿内へ案内する。
吹き抜けになっているロビーを抜けて真っ直ぐ進むと、噴水つきの中庭に出る。そこをさらに真っ直ぐ進むと、ひときわ大きなドアが現れた。三メートルぐらいの高さがありそうだ。俺たちがそれを見上げていると、
「お客様をお連れしました」
アラブ人の男が、ノッカーでドアを軽く叩いた。
「どうぞ」
ドアの向こうから、耳に残る甲高い声が返ってくる。
「失礼致します」
アラブ人の男がドアを開け、そのあとにライデン、ガガ、エクレール、クーンツ、俺と続く。
ドアから真っ直ぐに絨毯が敷かれていて、その二十メートルほど先にある玉座には、顔をベールで覆い隠した女性が腰かけている。
その姿を見て、全員が息を呑んだ。
彼女は、青地に金色の刺繍が施されたアラビアンナイト風ドレスを着ていて、素肌は露わになっていないものの、ドレスの上からでもスタイルの良さは明らか。少なくとも、206歳の老婆には見えない。
「お連れしました」
玉座の前で足を止めると、アラブ人の男は恭しく頭を下げて部屋から出て行った。
「あなたが、伝説の勇者ライデン?」
メアリーがライデンの方を見て言った。
「いかにも。お目にかかれて光栄の至り」
ライデンは大理石の床に片膝をついて、深々と辞儀をした。他の者もそれに倣った。
「顔を上げなさい」
女王然とした態度でそう言うと、メアリーは全員の顔を見回して、俺の顔を見つめる。
「あなたは?」
「は、はい。喜嶋勇太と申します」
えらく緊張しながら、俺はそう答えた。
「あなたは一体、何者?」
「僕は、その――」
口篭もる俺をフォローするように、
「彼は、この世界の大事なお客です」と、ガガが口添えしてくれた。
「ああ」
メアリーは納得のいった表情を浮かべて、
「なるほど」
「あ、あの……」
俺は、失礼と知りつつも訊かずにはいられなかった。
「206歳と聞いたのですが、本当なんですか?」
ベールの上から覗くメアリーの瞳は、十代の乙女のような輝きを放っている。
その瞳で俺を悪戯っぽく睨みつけたメアリーは、
「女性に対して年齢のことを訊くなんて、デリカシーのない」と、たしなめる。
「す、すいません。想像していたよりもずっと、その……お若いものですから」
「これを取れば、もっと若く見えるのじゃないかしら」
メアリーはそう言うと、ゆっくりベールを取った。その顔を見て、一同は驚きの声を上げた。
メアリーの素顔は、その肌のツヤと張り、透き通るような白さから、まだ十代半ばぐらいの少女にしか見えなかった。
「う、美しい……」
ライデンが思わず感嘆の声を上げると、他の面々も同意するように頷いた。
「そう? そう言ってもらえると、うれしいわ」
メアリーは満足そうな笑い声を上げると、ベールを元に戻して、
「それで、わたしに何か用があって?」とライデンの顔を見つめる。
「いやはや、その……」
あまりにも美しい瞳に射抜かれるように見つめられて、ライデンはしどろもどろになりながら、
「あなたが、若返りの泉を所有していると聞いたもので」
「ええ。それが?」
メアリーは急に警戒心を露わにする。
「デビル・ドラゴンが復活したのは、ご存知ですね?」
堪らず、俺は前に進み出て言う。
「ええ。昨日の夜は、随分と騒がしかったわね」
「ドラゴンを倒すために、この三人に若返りの泉の水を飲ませてあげたいんです」
「ダメよ」
メアリーはにべもなく断る。
「どうしてですか?」
「あの水は、いつ枯れるともわからない。だから、そう簡単にあげるわけにはいかない」
「そんな……」
みんなの口からため息が漏れる。
「そこをどうにかお願いできませんか?」
クーンツが頭を下げ、他のみんなもそれに倣った。若返りの水がなきゃ、ワガママな老人と軟弱な高校生の一行に過ぎない。
メアリーは、
「頭を上げなさい」と冷静に言い放つ。
「お願いします」
俺はメアリーの前に進み出て土下座をして、
「知り合いが……憧れの女性が、ドラゴンにさらわれてしまったんです。彼女を助け出すには、若返りの泉の水がどうしても必要なんです」と必死に頼み込んだ。
だけど、メアリーは表情ひとつ変えず、
「何と言われようと、ダメなものはダメ」
そう言って、手元にあるベルを鳴らした。
「お呼びでしょうか?」
髭面のアラブ人がすぐに姿を現す。
「お帰りになるそうよ。玄関まで送ってあげて頂戴」
メアリーはそう言うと、
「待って下さい! お願いします!」と叫ぶ俺の声に耳を貸さず、瞼を閉じて居眠りを始めてしまった。
「仕方がない。ここは一旦、引き下がろう」
落胆する俺の肩に、ライデンが手を置く。
「さあ、では参りましょうか」
アラブ人は眠たそうな目で一同を見回すと、ついて来るよう後ろ手を振りながら、ドアの方へ歩いて行く。俺たちは、仕方なくそのあとに従った。
「何て、がめつい女なのさ」
宮殿の門扉の外へ出ると、憤懣やるかたなしといった表情で、エクレールが怒声を上げた。
「確かに、がめついな」
ガガは頷きつつ、
「それにしても、206歳にはとても見えんかった。やっぱり、若返りの泉の水の効果は絶大なんだな」と、メアリーの美貌を思い出して鼻の下を伸ばす。
「さて、どうするか」
ライデンは俺に顔を向けて、
「あの婆さんをどうにかして説得するか、諦めるか、それとも……」
「それとも、何です?」
「洞窟に忍び込んで、こっそり盗み出すか」
ライデンは悪びれた様子もなく、そう言ってのける。あんた、本当に伝説の勇者なんだよな? 色々と信憑性に欠けるぞ。
「勇者様にそんなことをさせるわけにはいきません」
早くもこの一行の良心になりつつあるクーンツが、慌てて口を挟んだ。そのクーンツに、
「何かいい方法はありませんかね?」と俺は意見を求める。
「いい方法……ですか」
クーンツは、腕を組んで思案顔を浮かべるものの、いい案は浮かばないようだ。
「メアリーさんはなぜ、あそこまで若づくりに励むんですか?」
「やはり、絶世の美女として持て囃された過去の栄光が忘れられないのではないでしょうか。ただ、ひとつだけ彼女に関して噂を聞いたことがあります」
「どういう噂ですか?」
「遠い昔に恋した男性のことを、今でも想っている、という噂です。彼と再会した時、老いた自分の姿を見せたくない。だからこそ彼女は、病的なまでに若くいることにこだわっているらしいのです」
「過去の栄光が忘れられない、という心境はわたしにもわかるな」
ライデンが独り言のように呟くと、ガガとエクレールも頷いた。傍から見ててもわかるけどね。
「どうしましょう?」
頼みの綱が断ち切られて、絶望感に打ちひしがれた俺は、情けない声を出してみんなに意見を求めた。
「どうしようも何も、ここでこうして手をこまねいているわけにもいかん」
ライデンは俺を叱咤するように言うと、
「若返りの水がダメなら、せめて勇者の剣だけでも手に入れようじゃないか」
「そうだ。あの剣さえあれば、今のわたしたちでもドラゴンを倒せるかもしれん」
ガガが力強く言うけど、俺にはそうは思えない。やっぱり、老人たちには若返ってもらう必要がある。未練がましく宮殿の方へ目を遣るものの、
「さあ、行くぞ」と、ライデンに強引に腕を引っ張られてしまう。
「クーンツ、おまえも来るか?」
ガガが声をかけると、クーンツはうれしそうな顔をして、
「いいんですか?」
みんなの顔を見回した。
「旅は道連れ。来たいなら、来るがいい」
ライデンがそう答えて、俺はげんなりした。老人ばかりが増えたところで、ドラゴンを倒せるわけがない。
「では、お供させて頂きます」
図らずも仲間が増えた一行は、サンチョの待つ街を目指して、クロエ村をあとにした。