若返りの水
目覚まし時計のアラーム音が鳴り響いて、俺は目を覚ました。ちなみに、夢のなかで眠るとまったく夢を見ないことがわかった。
アラーム音を消すためにベッドの天板に埋め込まれたボタンに手を伸ばそうとした瞬間、体中に激痛が走った。筋肉痛だ。普段運動をしないくせに、昨日、無茶苦茶に駆けずり回ったツケがきっちり回ってきた。
「ウゥ……」
唸り声を発しながら何とか起き上がって、秒速三センチぐらいのスピードでゆっくりバルコニーへ出る。
外はまだ薄暗かった。微かに頬を流れていく風が心地いい。
眼下を見ると、モンスターの姿は消えていた。けど、デビル・ドラゴンの炎によって焼失した建物があちこちにあり、俺は嫌が応でも、ドラゴンに連れ去られてしまった架純先輩のことを考えて暗い気持ちになった。
けど、嘆いてばかりもいられない。
「よし!」と気合いを入れて、昨夜サンチョから貰った回復薬を飲んで、出発の準備を始めた。
鎧を着て出発の準備を整えた頃には、四時五十分を回っていた。
剣を片手に麻袋を肩に担ぎ、ホテルを出て中央広場を抜けてカジノの前へ。ライデン達の姿はすでにあった。
「すいません、遅れてしまって」
俺が頭を下げると、
「いや、謝らんでもいい。わたしらが早く集まりすぎただけのこと」
ライデンが何やらうれしそうに言い、
「ひさしぶりの冒険で胸が高鳴って、ろくに眠れなかった」
ガガも嬉々とした表情を浮かべている。
「ざっと百年ぶりかね」
エクレールが、ライデンとガガの顔を見つめて言うと、三人は笑顔で頷き合った。
そんな三人の様子を見ていると、俺も何だかうれしくなってきて、
「じゃあ、みなさん、準備はいいですね?」笑顔で三人の顔を見回した。
「いつでもいいぞ。……それにしても、素晴らしい鎧を着てるな」
俺の全身を惚れ惚れするような目で見つめながら、ライデンは溜め息を吐くように言った。
「知り合いに貰ったんです」
俺は誇らしげに胸を張った。
「ドラゴンの吐く炎にも耐えられるそうです」
「わたしらも、もっといい装備品が欲しいもんだな」
ガガは、自分の着ているツギハギだらけの拳法着と、俺の着ている鎧を見比べながら、心底羨ましそうな口調で言った。そういえば、三人ともみすぼらしい格好をしている。もしや、お金に困ってるのかな?
「じゃあ、買い揃えましょう」
俺がそう言うと、
「いいのか?」
ガガは顔を輝かせる。
「はい。お金ならありますから。それに、ここは僕にとっては夢の世界なんで、何をするにもお金はかからないみたいですし」
「それじゃあ早速、防具屋へ行こうか」
勢い込むガガに、
「こんな朝っぱらから、やってるわけないだろ」とライデンはたしなめ、「それよりも、モンスターが出ないうちにクロエ村へ行って、若かりし頃の肉体を取り戻そうじゃないか」
「そうだな」
「そうね」
ガガとエクレールも賛同するけど、俺には腑に落ちない点がひとつあった。
「あの……」
「何だ?」
ライデンが俺に顔を向ける。
「何で、モンスターの姿が消えてしまったんですか?」
「ああ、奴らは紫外線に弱い」
「じゃあ、太陽が出てる間は、モンスターに遭遇しないってことですか?」
「全部とは言わんが、ほとんどのモンスターがそうだ」
それを聞いて俺はひと安心した。モンスターに邪魔をされて、クロエ村まで辿り着けないのではないかと心配していたからだ。
「じゃあ、出発しましょうか」
俺がそう言うと、ライデンを先頭にして歩き始めた。
一行は街から出て南へと進む。俺がこの世界へやってきた時、最初に歩いた道だ。
風にそよぐ草原の向こうから美しい音色が聞こえてくる。目を凝らすと、大樹の下でパンサがハープを弾いている姿が見えた。
パンサも俺に気づいたらしく、さらに大きな音で演奏しだした。
「知り合いなのか?」
俺の目の前を歩くガガが振り向いて訊いてきた。
「ええ」
俺は頷き、
「この鎧を僕にくれたひとの兄弟です」
「そうか」
ガガがなぜか渋い表情を浮かべる。俺は気になり、
「何か?」
「いや、何でもない」
「何ですか? 気になります」
「あの男は――」
ガガが言いかけたところで、その前を歩くエクレールが振り返り、
「伝説の大盗賊団リガルデの長、ドン・キホテの曾孫だよ」と顔をしかめながら言った。
「大盗賊団の長、ドン・キホテ?」
俺はそう訊き返しながら、サンチョの手癖が悪いのは、その曾祖父の血を受け継いだからだろう、と心の中で思った。
「そうさ」
エクレールは頷き、
「わたしらが、旅で手に入れた宝や武器・防具類、すべて奴らに盗まれてしまったんだよ」と忌々しそうな顔をして言った。
「そうだ」
ガガも同調して、急に怒りが込み上げてきた様子で、
「ドラゴンを倒して、平和な世の中になったから、悠々自適に暮らそうと思っていたのに、奴らに金を盗まれたばっかりに、この歳まで働きづめになってしまったんだ」
どうりで三人とも、金に不自由してそうなわけだ。そりゃ、怒るわな。
今度は先頭を歩いていたライデンまで会話に加わり、
「宝よりも何よりも、わたしが一番悔しいのは、勇者の剣を盗まれてしまったことだ」と嘆く。
「勇者の剣?」
俺が説明を求めて三人の顔を見回すと、
「どんなに硬い物でも絶対に斬れる、この世にたった一本しかない、最高の剣だ」とガガが説明して、
「デビル・ドラゴンの鋼のように硬い体を斬り裂けたのも、その剣があったお蔭だね」と、エクレールがライデンに水を向ける。
「そうだ。あんなに斬れ味鋭い剣は、他にひとつとしてない」
「ちょ、ちょっと待って下さい」
予想外の新情報に俺は慌てた。
「普通の剣だと、ドラゴンは倒せないってことですか?」
「いや、それはない」
ライデンは否定するものの、急に困ったような表情を浮かべて、
「ただし、他の剣だと、すぐに刃こぼれしてしまうから、替えを何十本も担いで行かなきゃならないが」
何だよ、そのふざけた話は。俺は心の中でため息を吐く。
「そんな……じゃあ、その勇者の剣を探しましょうよ」
「だから言っただろう」
ガガは疲れたような声を出して、
「勇者の剣もドン・キホテ一味に盗まれてしまったんだ。今じゃ、どこにあるのかもわからん。熔かして、別の物に変えられてしまっているかもしれん。その可能性が大だな」
「あんな名剣を熔かしてしまうなんて……罰当たりもいいところだ」
嘆くように言うライデンに、
「探しましょうよ」
俺は勢い込んで言った。
「探すって言ったって、なあ?」
ライデンは途方に暮れたような表情を浮かべ、ガガとエクレールに視線を送る。
「パンサが、何か知っているかもしれません」
大樹の下に腰かけて、こちらに顔を向けているパンサの姿を見つめながら、俺は言った。
「何か知っているって言ったって、もうかれこれ百年も前の話だからなぁ」
え、そんなに昔の話? ってか、あんたら今、何歳なの?
「いくら曾孫とはいえ、そんなこと知るわけないだろうなぁ」
などと老人たちがぼやいている内に、パンサのいる場所へ辿り着いた。
「こんにちは」
ハープを弾く手を止めて、パンサはまず俺に、続いてライデン達に会釈をする。
「こんにちは」
俺が会釈を返すと、
「どうも」などと、老人たちはぎこちない様子で挨拶を返した。
「昨晩は大変でしたね」
パンサはそう切り出すと、
「ええ、実はこれから――」
という俺の言葉を遮った。
「話はサンチョから聞きました。これから、クロエ村へ行くのでしょう?」
「はい。あの、ちょっと訊きたいことがあるんですけど」
「何でしょう?」
俺は、老人たちをちらりと見てからパンサの方へ顔を戻して、
「パンサさんの曾祖父のドン・キホテさんのことで」
そう口にすると、パンサは急に暗い表情になり、
「わたしには関係ありません」と素っ気ない口調で言った。
「関係ない?」
パンサの態度の変わりように驚きながら訊き返すと、
「ええ。この身に犯罪者の血が流れていると思うだけで、わたしは自己嫌悪に陥りますよ。だから、あのひととは何の関係もないと思うことにしているんです」
パンサはサバサバとした口調でそう答えた。それを聞いた俺は、実の弟も泥棒家業をやっていることを、パンサは知らないのだろうか? と、ふと心の中で思った。
「すいません」
心の動揺を露呈してしまい、ふと冷静になって、恥ずかしそうに微笑むパンサは、
「それで?」と訊いてきた。
「あの、その……」
言い辛くなってしまった俺の代わりに、
「ドン・キホテは昔、わたしらが冒険で得た物をすべて盗んだ」と、ライデンがパンサの前に歩み出て言う。
「そんなことが?」
パンサは目を丸くする。
「そうだ。盗まれた物の中には、伝説の名剣といわれる、勇者の剣もあったんだ。それがあれば、ドラゴン退治も楽になる。どこにあるか知らないか?」
「そんなこと言われましても……」
パンサは困ったような表情を浮かべながら、老人たちの顔を見つめる。そりゃ、そうだよな。自分が盗んだわけでもないのに、知るわけないよ。
「教えてやってもいいぜ」
突然、頭上から声が聞こえてきて、俺たちは驚き、一斉に顔を上げた。すると、生い茂った木の葉から、サンチョが顔を覗かせて、
「ただし、デビル・ドラゴンの腹の中に眠っているといわれる財宝を、俺に全部くれると約束するならな」
「サンチョさん」
俺は驚き、
「財宝なら全部あげます。だから、勇者の剣がある場所へ連れて行ってくれませんか?」
ワラにもすがる思いで頼んだ。
「へへ、任せな」
サンチョは地面に飛び降りる。
「だが、勇者の剣を取りに行くには、船がなきゃならねえ。準備しておくから、あんたらは先に若返りの水を採りに行っててくれよ」
「はい」
威勢よく返事をして、俺は老人たちの方に顔を向けた。彼らは訝しるような表情をして、サンチョを見つめている。それはパンサも同じで、
「サンチョ、本当に勇者の剣の在り処を?」と半信半疑の目を向けた。
「ああ。俺はおまえと違って、キホテ爺さんにはガキの頃からよく遊んでもらってたからな。武勇伝をよく聞かされたよ。死ぬ間際に、財宝の隠し場所を教えてくれたんだ」
「何てことを……。すべて、持ち主に返すべきです」
「だから、この爺さんに剣を返すって言ってるじゃないか」
「他の財宝もすべてです」
「嫌だね。大体、元の持ち主なんて、ほとんど死んじまってらぁ」
言い争いを始めそうな雰囲気を察して、
「あ、あの……」
俺は口を挟んだ。
「じゃ、じゃあ、剣のこと、よろしくお願いします」
「おう。気をつけてな。クロエ村から帰ったら、ホテルに来てくれ」
サンチョはそう言うと、パンサから逃げるように、
「さて、船の手配でもしに行くとするか」と街の方へ足を向けた。その後ろ姿を見送りながら、
「僕達も行きましょうか」
俺はライデン達に声をかけ、草原を歩き始めた。
モンスターの影すら見えない、しごく平和な草原を歩き続けて、俺たちはクロエ村を目指した。
やがて草原を抜け、草木がまばらに生えた平野に出ると、エクレールが愚図り始めた。
「わたしゃ、疲れたよ……」
「頑張ってください」
俺が励ましても、
「もう普段の一日分の量は歩いたんだ。へとへとだよ」
「婆さん、駄々をこねるな。わたしだって辛いんだ」
先頭を歩くライデンが疲労した顔を向ける。
「そうだ、ワガママ言うな。もうクロエ村も見えてきたことだし」
ガガが前方を指さす。遥か彼方、米粒ほどの大きだけどで、村があるのが俺の目にも見えた。
「あんな遠くまで、あたしゃ、歩けないよ」
エクレールは遂に音を上げ、地面にしゃがみ込んでしまう。子どもかよ、あんた。もうメンドくせぇ。
「婆さん」
ガガが咎めるような視線を浴びせるも、
「ふん! 行きたきゃ、あたしを置いて行けばいいさ」と、エクレールは体力回復系の魔法『ポカリ』を自分にかける。けれど、魔法の力が弱く、ちっとも体力を回復できない。その様子を見下ろしながら、
「困ったもんだ」
ライデンは呟いて、どうするんだ? というように俺を見てきた。
「わかりました」
俺はため息を吐きながら言うと、
「僕が背負います。乗って下さい」と、エクレールに背中を向けてしゃがみ込んだ。もう、こうでもするしか先に進めそうにない。
「いいのかい?」
一応はそう訊きながらも、最初からこの展開になることを望んでいたらしく、エクレールはうれしそうな顔をして俺の背中に身を預けた。
俺は立ち上がると、エクレールの体が意外に重いことに驚きつつ、
「大丈夫です。さあ、行きましょう」と歩き出そうとするも、
「ちょっと待った」とガガに止められてしまう。
「何ですか?」
「エクレールだけ楽してズルいぞ。なあ?」
同意を求めるようにガガがライデンの方へ顔を向けると、
「そうだそうだ」とライデンは神妙な顔つきをして頷いた。
「あんたらは、己の足で歩きな」
エクレールがあっかんべーをすると、
「ずるいぞ」
「ひとりだけ楽して」と、爺さんふたりは猛然と食ってかかる。その子どもじみた様子を見て、俺は大きくため息を吐き、
「じゃあ、交代で背負いましょうか?」
「そうだ」
「それが、民主主義というものだ」
爺さんふたりは納得した表情を浮かべるけど、今度はエクレールが機嫌を損ねて、
「あたしゃ、リューマチ持ちなんだよ。少しは労わって欲しいもんだね」と愚図ってしまう。もう、どうすりゃいいのさ。
「そんなこと言ったら、わたしだって腰痛持ちだ」
ライデンが負けじと応酬して、
「わたしは、心臓にあまり負担をかけてはならぬ、と医者に言われている」と、ガガも睨みを利かす。
本当にこのひと達は、伝説の勇者一行なの? 俺は今更ながらに不安を覚えながら、
「交代で背負いますから、先に進みましょう。ね?」と宥める。老人たちは渋々承知して、再び歩き出した。マジで世話が焼ける。
先が思いやられるけど、若返りの水さえ飲めば、こんないざこざも無くなる筈だ。そう信じて、すがるような思いでクロエ村の方を見つめた。